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ぱさり、と髪が肩に落ちる音がした。落ちた髪は人間の男の指に拾われ、掌に収められる。そして反対の手の指で撫でるように梳かれていった。  ふう、と小さく息を吐けば、男が口を開いた。 「痛かったですか?」 「いや」 「では、気持ち良いですか」 「別に」  髪を触られている。それ以外の感覚も感想も無い。この男は何が楽しくて私の髪に触れているのだろうか。   「ああ、確か、呪いに使えるんだったな」 「何の話です?」 「貴様が何故執拗に我の髪に触りたがるのかを考えていた」 「呪いに使われる髪は呪いたい相手のものを用いて行われるものです。貴方の髪を得たとて、人を呪う事はできませんよ」 「どうだか」  その話が嘘だろうと真だろうと興味は無い。呪いをかけられたらそれまでだ。  どうせ動けないのだから、気が済むまで好きにさせたらいい。  この体は今、陰陽師を自称するこの男に術で押さえつけられている。立ち上がるどころか指1本動かす事さえできない。今までも都から離れた空き家でひっそりと暮らしていた我の元に、この男のような陰陽師とやらを名乗る人間達が我を退治しようと乗り込んできた。だがあの人間達の珍妙な術は効かず、皆我に食われて死んでいる。こいつも同じように食ってしまおうと手を伸ばした瞬間、この男が口を開いたのと同時に我の体は動かなくなった。そのまま我を殺すのかと思いきや、舐めるように我を観察し、背後に回ったかと思えば月明かりと僅かな蝋の炎を頼りにこうして髪を梳き始めたのだ。   「やはり良い髪ですね。貴方は美しい鬼だ」 「妙な事を言うな」 「ふふ。もし貴方が女人であれば今頃押し倒し、かき抱いていたでしょう」 「残念だったな。我は女でも人間でもない」 「いいえ。男であっても変わりません」  男が腕を振り上げると動かなかった体が後ろに引っぱられた。畳に倒れた我を、男は笑みを浮かべて見下してくる。 「私の物になりなさい」 「我に拒否権は無いのか?」 「ありません」 「ならば仕方がない」  顔に近付いたら食ってやろう。そう思ったが、男は我に背を向けて外に向かって歩き出した。 「何もしないのか」 「ええ。今の貴方に近付けば、流石の私も食われかねませんから。また明日、来ますよ」 「来んでいい」  男はふっと笑って去っていく。気配が消えてからやっと体が自由になった。どうやら我はまだ生きているらしい。だが、この家から出る事はできなくなったようだ。 「結界か……」  いつの間にか、家の外は黄金色の薄い膜で覆われていた。恐らく他の人間には見えないだろう。あの男が何を考えているのかが分からなかった。 「最初から何処かへ行くつもりはなかったが、閉じ込められると腹が立つ」  試しに結界に触れてみれば、指先が吹き飛んだかと錯覚する痛みに襲われる。我慢して更に手を伸ばしたが、その先は石でできた壁のようだった。要するに行き止まりだ。叩くとゴツッ、と音がする。  引っ込めた手は、焼けたように赤黒く、所々皮が剥けていた。それでも手をひと振りすればすぐに治る。 「破れなくはないか」  だが、破る利点が無い。どうせ別の地に移動する気は無いのだ。

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