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第1話

 父が還らぬ人となったのは、十の頃のことだった。流行病だった。平安なる京で猛威を振るっていたその病は、もの寂しいばかりの宇治にも足を伸ばし、あっという間に私の唯一の肉親を奪い去ってしまった。父を失った悲しみに暮れ、涙ばかりこぼしていた私は、喪が明けると同時に宮中へ昇ることとなった。  幼い私はその日のために新調された童(わらわ)直衣(のうし)(子ども用の上流貴族の日常着)を纏い、洗髪したての髪を丁寧に櫛けずり、角髪(みずら)を結った。当時の私は、いつになく豪勢な装いのおかげで、参内(さんだい)する(宮廷に参上すること)頃にはいくらか気分が上向いていた。しかし、いざ宮中に足を踏み入れると、建物や調度、下働きの男童(おのわらわ)の水干(すいかん)姿に至るまで、侘しい暮らしをしていた私の目にはすべてが輝かしく、己が途端に地味で不格好に見えてしまい羞恥すら覚えた。父は先帝(せんてい)(前の天皇)の七番目の弟で、かつては兵部卿宮(ひようぶきようのみや)として京に住まいを持っていたが、私が生まれる頃にはすでに宇治へと居を移し、隠遁生活を送っていたため、私自身は京を訪れたことさえほとんどなかったのである。  そんな世間に忘れ去られたような子どもが、なぜ宮中という華々しい世界に呼ばれたのかといえば、ひとえに時の東宮(とうぐう)(皇太子)妃(ひ)、桐壺女御(きりつぼのにようご)様のお計らいによるものだった。桐壺様は幼少の頃、父と交流があったらしい。そこで、父を失い後ろ盾をなくした私を哀れに思い、引き受けてくださることになったのだそうだ。  平安京の北端に存在する大内裏(だいだいり)にはさまざまな官庁が集まり、貴族たちが国政を治める場となっている。また、中心部に位置する内裏では、帝(みかど)や東宮、きさきたちが暮らしており、その中の一つ、桐壺様のお住まいである淑景舎(しげいさ)にて、初めて彼女と対面したことを私は一生忘れない。  その日は小雪が舞っていた。格子の下りた室内には火鉢が何個も置かれていたが、それでも全身が強張り、思うように手足を動かすことができなかった。寒さのせいだけでなく、私は委縮していたのだ。  桐壺様を取り巻く女房(侍女)たちは皆美しく、これまで私が接してきた、気は良いが洒落っ気とは無縁の年嵩な乳母(めのと)たちとは異なり、さすが宮仕えの女たちともいうべき気品が滲み出ていた。椿や氷重(こおりがさね)といった色とりどりの女房装束(十二単)や背丈を越すほど長い黒々とした髪は目にも鮮やかで、質素な生活しかしてこなかった私には眩しすぎた。若き女人をこれほど間近で見たこともなく、絢爛な場に放りこまれてどうしたら良いかまるでわからなかったのだ。  挨拶の一つも口上できず、私はただ俯くことしかできずにいた。すると、几帳(きちよう)(移動式の布製の衝立。間仕切りや目隠しに使用する)の奥に座していた桐壺様が、左大臣(さだいじん)であらせられる藤原 隆道(ふじわらのたかみち)様の一(いち)の君(きみ)(長女)という高貴な御身でありながら、直接声をかけてくださったのである。 「お父上のことは、まことに残念でございました」  まろやかな声は真実私のことを思い、憂える響きを帯びていた。その声に私は思わず涙ぐんでしまった。当時の私は何かにつけて泣いてしまうような子どもだったのである。せっかくのお言葉にも返事をすることかなわず、目尻を幾度も擦っていると、ふいに女房たちが立ち上がり、私と桐壺様を隔てていた几帳を取り払ってしまった。さらには御簾(みす)(すだれ。間仕切りや目隠しに使用する)も巻き上げられる。高貴な身分の女性は普段、人前に姿を見せることなどないのだが―― 「ああ、悲しいことを思いださせてしまい申しわけございません。どうか、もうお泣きにならないで」  お姿を現した桐壺様は、この室内の誰よりもたおやかで可憐な、たいへん美しいお方だった。年は十六の女盛りと聞いている。若い彼女には、紅梅重(こうばいがさね)の明るく華やかな色味をした小袿(こうちき)(上流貴族の女性が人前に出る際に着用する表着)がよく似合い、まばゆいほどだった。一瞬目がくらみ、瞳を瞬かせているうちに、かんばせを悲しそうに歪ませた桐壺様は、膝立ちで私のもとまでにじり寄ると、そっと頬を撫でてくださった。温かな手のひら。柔らかい声音。私の涙を止めるため手を尽くしてくださっていることはわかったが、優しくされた私はますます咽び泣いてしまうのだった。 「ごめんなさい、ごめんなさいね」  桐壺様が私を抱きしめてくださる。母を知らぬ私は、乳母以外からこのようなことをされるのは初めてだった。とんとんと背中を叩きながらあやされ、何度もしゃくりあげたのち、ようやく落ち着くことができた。 「僭越ながら、わたくしのことは今後、母とも姉とも思ってくださいまし」  少しはにかみながらそう言った彼女は、まるで菩薩のようであった。 「あ、あの……、これから、よろしくお願いいたします」  彼女の微笑みにつられ、私はようよう言葉を発することがかなった。胸の鼓動がうるさいほどに高鳴っている。そんな私のことなどお構いなしで、桐壺様は腕に力をこめられる。 「ようやくお声を聞けましたわ。なんて可愛らしいのでしょう。こちらこそ、末永く仲良くしてくださいね」  嬉しげな桐壺様に私も嬉しくなってくる。背中に手を回そうとしたとき、隣に控えていた女房が声をあげた。 「姫様、それ以上抱きしめたら宮様が潰れてしまいますわ」 「下野ったら失礼ね。わたくし、そんなに怪力ではなくってよ」  軽妙なやりとりに、周囲の女房たちがくすくすと笑いだす。桐壺様も下野も楽しそうだ。そっと腕を離された私は残念に思いながらも、場の雰囲気にあてられ気がつけば一緒に笑いだしていた。  その後は双六や貝合わせ(貝に描かれた絵などを揃えて遊ぶこと)などを楽しんだ。幾度目かの勝敗が決まる頃には、私たちはすっかり打ち解けていた。 「そろそろおやつを準備いたします」  そう言って下野が席を立とうとしたときである。ふいに若々しい男性の声が降ってきた。 「私のぶんも用意してくれると嬉しいな」  屏風の合間を縫って現れた青年は、光り輝くばかりの美貌の持ち主だった。おそらく年は桐壺様と同じくらい。扇で口元を覆っていても、輪郭や鼻筋、生え際の美しさは隠せない。こちらを見下ろす切れ長の瞳は色気に溢れ、裏地の二藍がうっすら透けた白い直衣姿はたいそう風雅で洗練されていた。巷で流行りの物語に出てくる光源氏(ひかるげんじ)とはかくあらんといった立ち姿である。彼の美々しさ、また、圧倒的な風格に私は目が離せず、不躾に見つめてしまった。 「まあ、東宮様。いったいいつからいらっしゃったのですか」  驚きの声をあげた桐壺様の言葉で、私は初めてこの方が東宮様だということを知った。東宮様といえば次代の帝。脈々と受け継がれる主芙婀(あるふぁ)の血が色濃いのだろう。強烈な存在感の理由に納得すると同時に、やんごとなき方の登場に私はふたたび緊張してしまった。  いっぽう、東宮様はずいぶんくだけた様子で桐壺様に話しかけられる。 「突然やってきたから驚いたかい?」 「ええ、驚きましたわ。先触れの者も寄越さずにいらっしゃるなんて」  慌てて場を整える女房たちに促され、私は桐壺様とともに下座に座り直した。上座に腰を落ち着けた東宮様は、私たちを見つめてにこりと微笑む。 「宮の素のお姿を拝見したくて、衝立の陰から覗かせてもらっていたんだ。それにしても、君はあいかわらず貝合わせがへたくそだね」 「双六では勝ち越しましたのよ」  美男美女のお二人が揃うと、まるで絵巻物を眺めているかのようだった。仲睦まじく言葉を交わす姿はとても自然で、二人で一つと神仏に定められているかのように感じられる。私はただただお二人の麗しさに見惚れた。のちに知ったことだが、主芙婀の東宮様と男女伽(おめが)の桐壺様は、魂のつがいなのだった。魂のつがいを見たのはあとにも先にもこのお二方だけだったが、なるほど確かにお二人は魂で惹かれあっているのだと納得できる佇まいであった。幼き私は、夫婦とはかくあらんと強く憧れたものである。   「桐壺様へのご寵愛はいっこうに衰えませぬなあ」 「娘を入内(じゆだい)(女御などきさきの位に就く人が正式に内裏に入ること)させたは良いものの、御子ができる気配もなし。やはり男女伽でないとなかなか御子は授からないものなのでしょうかね」  後宮(こうきゆう)(帝やきさきたちが住む場所)で暮らすようになってから、何度そういった会話を耳にしただろう。姿かたちのみならず、お心映えも素晴らしい桐壺様は東宮様の寵愛を一身に受け、今をときめく御仁であった。男女伽ということもあり、すでに東宮様との間には皇子が一人おられる。  この世には、男女の他に主芙婀、男女伽、平多(べいた)といった性の違いが存在する。主芙婀に生まれた人物は皆数多の才に溢れ、人の上に立つさだめを持っている。数は少なく、子ができにくいため、主芙婀を多く排出する天皇家では多数の女人をきさきとし、万一にも血統を絶やさぬよう努めている。いっぽう男女伽も、主芙婀と同等に数の少ない存在である。年に数度発情期と呼ばれる現象が起き、獣のごとき強烈な色情を覚えるという。そして、発情中は周囲の主芙婀を狂わせる、艶めかしい香りを発するそうである。その間に主芙婀とまぐわえば高い確率で子を孕むことができるのだ。それゆえ、血を残す必要がある高貴な生まれの主芙婀は男女伽を求める傾向にある。男女伽も、色情を鎮められるのが主芙婀との契(ちぎ)り(性行為)だけのため、主芙婀を欲する。  主芙婀が発情している男女伽のうなじを噛むと、つがいという関係が生まれる。男女伽はつがいができると、つがい相手にのみ発情するようになり、つがい以外と契ることができなくなる。つまり、つがいというのは婚姻よりもよほど強力な結びつきなのである。  その中でも、ひとたび香りを嗅いだだけで運命の恋に落ちるつがいたちのことを魂のつがいという。まるで世俗のことを何も知らぬ姫が見る夢物語のようだが、東宮様と桐壺様はまさにその夢物語のような出逢いを果たされたと聞く。初めて顔をあわせたその日、御簾越しに互いの匂いを感じ取り、ともにこの方こそが運命だと理解したのだそうだ。その話は世の中に広く知れ渡り、身分の尊卑を問わず憧憬の的になっている。私はお二人とは血が繋がっているわけでもなく、ただただ桐壺様のご厚意で引き取られただけの身であるが、お二人の評判を耳にするたび誇らしく、嬉しく感じていた。  その気持ちは何年経てども変わることなく、初めて出逢ったその日から、母であり姉であり初恋の人でもある桐壺様に、そしてその夫君である東宮様に、敬慕の念を抱き続けている。

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