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Part1:Touch It①
俺は昔から嘘をつくのが得意で、本当は胸を傷めるような特別な恋に憧れているくせに、相手に深入りするのが怖くて、いつも物分りのいいふりでドライな関係を続けてきた。
だから目の前の親友の、最近アルファの少年に告白されて困っているという突然の相談には驚きつつも、内心羨ましくもあり、ちょっぴり疎ましくさえある。まあ、ないものねだりというやつだ。
Part1:Touch It
俺の名前は嶋 伊織
そもそも俺は何の変哲もないベータの両親の間に生まれた、何の変哲もないベータの子供で、小学校も中学も同じベータの連中とつるんで、平凡な毎日を過ごしてきた。
両親からは小さい頃から、出来るだけアルファやオメガと関わるなと、散々口うるさく言われて育ったもんだから、俺もなんとなくそうやって生きてきたが、高校にもなるとヒートがやってくるオメガなんかもいるわけで、匂いにあてられたアルファに輪姦されたとかいう物騒な噂や、交際していたアルファと番になって結ばれたなんて話もあり、俺たちベータの間にもそれは届いてきた。
俺は、他人の人生はドラマみたいなことばっかなのに、自分の人生はなんてつまんねえんだろうなんて思っちまって。そして一度そう思ってしまうともう何もかも駄目だった。
友達と一緒にいてもどこか愛想笑いで、上手く笑えないし、将来とかどうでも良くて、大学に入るもんだと思っていた両親に、内緒で就職した会社も1ヶ月と経たないうちに辞めてしまい、それがバレると完全に愛想を尽かされてしまう始末。
母親はこの世の終わりみたいに泣き通しだし、キレた父親には殺されかけて、一時我が家は相当悲惨な状態だったわけだが、見かねた親戚たちに俺は家を追い出され、両親はその後精神科に通っているらしい。
これには俺も本当に悪い事をしたと心底反省したんだが、だからといって真面目に就職をやり直したのかと言われると、そうではなく。
ベータの友人や両親から解放された俺は昼はコンビニでバイト、夜はバーでバーテンとして働き、気ままなフリーター生活を謳歌していた。
同時に思春期からゲイだと自認していた俺は、知り合いのいない土地にあって、タガが外れたように色んな男と知り合い、それこそアルファもベータもオメガも関係なく付き合ってみたが、相手が本気になってSEXの先を求めるようになる度に怖気付いては、無理矢理関係を終わらせてきた。
結局のところ俺は、胸を焦がすような恋を夢見ながら、一瞬で燃え尽きてしまう恋と、ちょっとのスリルで自分を誤魔化していたに過ぎない。
ベータの両親や友人、見知った土地からどんなに離れようと、ベータでゲイの自分がアルファとオメガのような強い結び付きで誰かと恋に落ちることなど出来ないと、俺は自分こそがずっと性に囚われていたんだと気付いた時には、もうとっくに色んなことを諦めてしまっていた。
さて、しかしそんな不肖な俺にも親友と呼べるやつが一人いるわけで。
それが今目の前で酔っ払いながら、俺みたいな恋愛不適合者に恋についての相談をしている男、新妻 三春 だ。
三春は俺より4つ上の40歳で、複数の会社を経営していて、年収3千万以上。
金を稼ぐのが趣味みたいな、俺とは真反対のカタブツ野郎のくせに、実はオメガで、ヒートを抑制しながらオメガ性を隠して生きてきたという仰天生物でもある。
アルファに搾取されまいとオメガということをほとんど誰にも隠したまま、勤勉に努め、研鑽を積み、今の地位を築いたのだと聞いた時には、よくその歳までオメガってバレずに、アルファやベータのボスやってこれたな、と驚いたのと同時に、その泥を啜るような半生に不覚にも泣いちまったっけ。
そんな三春だが、今まで誰にも触れることを許して来なかったということはもちろん童貞なわけで、そんなところも俺とは正反対なわけだが、最近じゃあそもそも恋愛自体に興味がないって感じで、俺は勝手にシンパシーを感じていたってのに、どこでどう出会ったんだか最近十五の少年に告白されたというのだ。
しかもその少年が三春がこれまで絶対に屈しないと誓ってきたアルファだっていうからこれまた驚きで。
俺はというと、25歳年下のアルファの少年に求愛されて、普段のクールさが影も形も見えないほど取り乱すこいつを見て、その純粋さに自分のクズ野郎ぶりを思い知らされて、頭が痛くなりそうだった。
「それで?お前もそいつのこと好きなの?」
俺はカウンター越しで向かい合った三春の手からブランデーの入ったグラスを奪い取り、代わりのペリエを出しながら聞く。
不意に酒を取り上げられた三春は、空いた右手をとろけ始めた瞳でしばらく不思議そうに見つめたあと、ぽつりぽつりと答え出した。
「…分からないんだ。
私は自分を誰も愛せない人間なんだと思ってきたから。だから誰にも愛されないし…でも別にそれでいいと思ってた。…いや、そう言い聞かせていただけか」
あらあら、まあ…。
いつもの仏頂面はどこに置いてきたんだか、髪をくしゃくしゃに掻き乱しながら、酔って紅潮した顔をさらに赤く染め上げ、テーブルに突っ伏している三春を見て、恋愛ってこんなに人を変えるものなんだっけか、とちょっと感動してしまう。
同時にそんなドラマみたいな恋愛もアルファとオメガだから起こり得るんだろうなと思うと、砂を噛むような虚しさが込み上げてきて、余計卑屈な気持ちにもなった。
「私なんかが誰かを好きになっていいのか、いやそもそもあの子はまだ子供で、ただ年長者への憧れとかを恋愛感情と勘違いして」
「お前ね。お前が十五の時どうだったよ。オメガってこと隠して、アルファの連中と渡り合ってよ。普通そんな子供いるか?」
「何が言いたいんだ?」
「だから十五っていうのはそんなガキじゃねえってこと。いいじゃん、未成年上等。相手が本気なら、真剣に応えてやれよ」
「お前、他人事だと思って適当言ってないか?」
「そうだよ、お前ももっと適当でいんだよ。ちょっとは本能に従って行動しろ」
俺は三春が握りしめていたペリエの空き瓶を手から取り上げながら言った。
すると三春はボトルを失って寂しくなった右手を見つめながら、言われたことを頭の中で反芻し、ぐるぐると逡巡し始めているみたいだったから、俺は既にぐしゃぐしゃの髪をさらに掻き乱してやる。
三春は子供みたいにぶんむくれて、口を尖らせながらよろよろと立ち上がり、「ごちそうさま」とだけ言って頼りない足取りで店の出口へと向かった。
俺はカウンターから出ると今にもつまずきそうな三春の肩を支えて、読んでおいたタクシーの待つ外まで連れていく。
「次はおめでたい報告期待しとくわ」
車に乗り込む直前にそう言って背中を叩いてやると、タクシーの車窓からぶすくれた顔を覗かせる三春。
俺はあえて満面の笑みで手を振ってやったが、内心は穏やかではなかった。
恋愛不適合者ないし、なんなら社会不適合者(いやオメガってことを隠して社長やってるのは、めちゃめちゃ社会に適合してるとも言えるが)まである三春に先を越されて(?)心の中ではめちゃくちゃ焦っていたのだ。
馬鹿だと思うかもしれないが、自分が世間からどれだけずれた人間だと感じていても、同じような人間が身近にいれば、自分もまだ大丈夫だと思えるものだ。
でも今の俺は長年の親友に急に梯子を外され、救いようのないクズへと猛スピードで落ちていってる気がする。
夜の暗がりに一人残され、俺は生まれて初めて、俺ってこのままでいいのか?という焦燥に駆られていた。
「そう思った時が、行動に移す時だ」
バーに戻り客のいなくなった店内で後片付けをしていると、ふと以前、経営学について語った三春の言葉が脳に浮かんできた。
面白くねえなと思いつつ、その言葉が妙に腑に落ちた俺は、年貢の納め時か、と深いため息を吐いて、ポケットからスマホを取り出す。
アドレス帳やSNSのリストには、体だけのお付き合いのお友達がずらりと並んでいる。
俺は意を決して、片っ端からそれらの連絡先を削除していき、気が付けば俺のスマホに残ったのは三春とこの店のマスターとオーナーだけ。
我ながらなんという希薄な人間関係だ、と少しだけ悲しくなったが、大事だと思う人だけが残ったリストを見て、不思議と嫌な気分ではなかった。
むしろ清々しいというか、誇らしいというか、人間関係の断捨離を済ませて、かつてないほど晴々とした気分だ。
俺は残りの片付けを済ませ、明かりを消し、ドアを施錠すると、裏口から出て、こっちのドアにも鍵を掛ける。
そのまま裏手にある階段を昇ると、店の二階に間借りしてる自分の部屋に入り、ソファーベッドに勢いよく倒れ込んだ。
この先三春みたく、心を動かしてくれる相手に出会うなんてこと、俺には無いかもしれない。
でも満たされない隙間を埋めるために誰彼かわまずSEXして、こんな俺でも好きになってくれていたかも知れない人たちを傷付けるのはやめよう。
誰も得しないし、自分を消費するだけだ。
それに胸を焦がすような恋愛に憧れて火遊びなんて、36のおっさんがみっとないしな。
「…何も諦めないし、腐ったり、やけっぱちにもならない。でももし一生ひとりぼっちでも、それでも何とか生きる」
口にするとビビるくらい頭の中がクリアになって、なにか悟った気になれる。
俺はその日生まれて初めてってくらい、独り寝でもぐっすりと眠ることが出来た。
そして次の日、バイトは遅刻した。
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