26 / 113

4-5

二人にとって中秋節は特別な日だ。  甘くて苦い記憶を刻んだ夜。 「中秋節、嫌いだったな」  湯船でうつむいたまま祐樹はぽつんと呟いた。  向い合せに座った孝弘の顔は見られなかった。なんでこんなこと言い出しちゃったんだろうと思う。さっきまで楽しく話していたのに、わざわざこんな話題を出すことはなかったのに。  でも思ったのだ。  5年前のあの夜の話をしなければと。今日、今夜のうちに。  このまま夜を過ごして日常に紛れ込ませてしまうこともできるけど、それでは何となく収まりがつかないような、いつまでも小さな刺が刺さっているみたいな感じが残る気がした。 「どうして?」  孝弘の声が穏やかで怒っていなかったので、続きを言った。 「毎年、孝弘を思い出した。忘れたいのに伝統祝日だから嫌でも思い出して、自分から遠ざけたのに悲しくなった」  たった一度、これでお別れだからと言い訳して、孝弘と夜を過ごした。告白されて突き放したのに、もうこれで二度と会えないと思ったら手を伸ばさずにいられなかった。  最初で最後だと知っていて、それでも孝弘との思い出が欲しくて、孝弘には黙って抱かれた。それが中秋節の夜だった。 「俺も毎年、祐樹を思い出したよ」  孝弘の声に祐樹ははっとした。  そうだ、孝弘のほうが祐樹の何倍も傷ついたはずだ。  告白した相手と抱き合った翌日に、その相手は姿を消してしまったのだ。何も言わず、連絡先も残さずに。  その事情と理由は東京の祐樹の部屋ですでに打明けてしまったけれど、だからと言って孝弘が傷ついた過去が消えたわけじゃない。祐樹が後悔を謝罪するより早く孝弘の声が届いた。 「でも俺は忘れたいと思ったことはなかったけどね」  孝弘の声は穏やかで、当時のことはこだわっていないように聞こえたが、それがかえって祐樹の気持ちを沈ませた。そして同時に喜ぶ気持ちがあるのも感じた。  祐樹が心残りだったように、きっと孝弘もずっと引っかかっていたのだ。毎年思い出したのは孝弘も同じだったと知って、歓喜に似た感情が湧いてくる。    傷つけた自覚は嫌ほどある。それなのに、まるい月を祐樹が切なく見上げていた時に、孝弘も同じように感じていたと知って、どこか喜ぶ気持ちがある自分は身勝手だろうか。  どういう感情であれ、忘れずにいてくれた。祐樹のことを思い出してくれる日が、一年のうちに確実に一日はあった。  そう思うと、それが負の感情にまつわる記憶だとしても心のどこかで喜んでいる自分がいる。自分勝手なのは百も承知だ。

ともだちにシェアしよう!