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「だから、こっちの作文て創作に近いかも。内容は何でもありっていうか」 「何でもあり?」 「例えば「私が頑張ったこと」がテーマだとしたら、両親が亡くなったけど貧しい中で努力を重ねて大学に合格したみたいな泣きの作文がよくあるけど、実際は両親は生きてるんだよな」 「え、じゃあ嘘ってこと?」 「嘘じゃなくて作文だって言ってた。文章を書く練習だから、事実を書く必要はないだろって」 「へえ、知らなかった」 「俺も中国人の作文読んで知ったんだ。「夏休みに経験したこと」ってテーマで、日本語作文の添削頼まれたときに」 「どんな内容だったの?」 「父親が海外赴任してて、そこを訪ねてアルバイトや色々な経験をした、とても勉強になったみたいな内容。でもそいつの父親、北京で仕事してるし、こんな嘘の作文出して大丈夫か?って訊いたら、嘘って何? 作文だろって」 「つまり文章として上手だったら事実じゃなくてもいいってこと?」  だから創作に近いと孝弘は言ったのだ。 「そう。どれだけ素晴らしい文章を書くかがポイント」 「確かに、有名作品の引用とかあるといい文章だって聞いたことある」 「それだけ詩や漢文の知識がある、こいつは知識人だ、エリートだって見なされるんだって」 「ああ、わかる。テレビの会見とかもそうだよね」 「そうそう。だから過去の作文集とかのパクリみたいなのがよく提出される」 「それもOKなんだ。あ、そうか、いい文章を書く練習なんだから別にいいの?」 「もともと名文を暗記して、その引用で文章を作るのが作文だって言ってた」 「ふーん。根本的に概念が違うんだね」 「ああ。だから著作権の概念が曖昧なんだって安藤さんが怒ったことあるな」 「安藤さん? 上海の?」 「うん。まだ北京いたころの話だけど。中国人スタッフが出して来たのが良い企画だと思ったら、別の会社がやった企画の丸々パクリで。それがアメリカ企業の企画だったから、こんなのやったら向こうの企業から訴えられるって説教したんだけど、そのスタッフは全然、意味がわかってなくて」 「何が駄目なのかわからないんだ」 「そうなんだ。こっちでは企画のパクリは別に悪い事じゃなくて、いい企画だからうちでもやりましょうくらいの感覚なんだよな」 「真似の仕方にもよるしね。丸ごと全部同じはまずいけど、いいとこ取りするくらいはどこでもやってるし、アレンジすればオッケーってとこもあるから」 「その加減が理解できないって言ってた。いい物を真似して何がいけないんだ?って。常識が違うから、そういうとこの擦り合わせは難しいよ」  孝弘は通訳として間に立つから、両者の言い分を聞くことになる。両者の間でジレンマを感じることもたくさんあるんだろう。

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