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第1話
【1】
グリウム・クリーニングサービスカンパニー代表、オリエ=グリウムは仕事中だった。
時刻は深夜、場所はイルミナシティ郊外の森林地帯、オリエの視線の先には売春組織の建物がある。コンクリート打ちの二階建てだ。かつては民家だった廃屋を再利用しているらしく、一見しただけでも隙が多い。そこかしこから室内の光が漏れ、歩き回る人影が手に取るように分かり、最近流行りの音楽も漏れ聞こえる。情報屋モリルからの情報通り、若くて金のない連中が小遣い欲しさに見切り発車で始めた商売だというのがよく分かる。
簡単そうに見える仕事だからといって、手を抜くわけではない。今夜の清掃業務の依頼主は、とある未成年者の両親だ。未成年者の名前はミハイル。数ヶ月前に親元から家出したミハイルは悪い連中に捕まり、この売春組織で働かされているらしい。
仕事の手順はいつもと変わらない。オリエは、会社のスタッフと協力してミハイルを救出し、売春組織を清掃する。この場合の清掃は、ミハイルに関連するすべての物事、つまりは建物や映像、ミハイルの将来に不利になるものすべてを隠滅する、という意味だ。
本来、人命の救出は警察や軍隊の職分だが、ミハイルの両親はこの件を公にするつもりはないらしい。私設の救出専門業者へ秘密裏に依頼することも可能だが、現場の清掃業務までは仕事内容に入っていない。そこで言うと、グリウム・クリーニングサービスカンパニーは救出から清掃まで一貫して自社で請け負っている。清掃ついでに、掃除屋らしく悪党の掃除も行うというわけだ。
裕福な家庭の一人息子ミハイルは、救出後、オリエの会社の護衛スタッフと護衛専門業者に守られて、調達屋の用意したチャーター機で実家に戻る手筈になっている。今回は、調達屋と護衛業をオプションでプラスするという万全の態勢だ。
「調達屋のチャーター機に、護衛業の送迎付き……、かなり過保護ですね。大金持ちだってことは依頼主の屋敷の住所を見ただけで分かりましたが、それにしても金がかかってませんか?」
「家出した息子にこれだけ金かけて救出するんだ。悪い親じゃねぇんだろ」
オリエとともに下準備の最終確認をしていたスタッフたちがぽろりと漏らす。
「いい親か悪い親かは知らないが、今夜の依頼主は自宅で息子の帰りを待つそうだ。……喋ってないで準備済ませろ」
オリエは淡々とスタッフを急かす。
これまでの経験上、大抵の親は子供の居場所が分かると、すこしでも子供の傍近くにいたいと願った。救出された時に一刻も早く抱きしめたいと考え、一刻も早く無事を確かめたいとオリエたちに同道することを希望した。
だが、ミハイルの両親はそのタイプではないらしい。
数時間前の最終確認の際、電話口の依頼主夫婦は、『オリエ代表、我が家はご存じの通り、お客様が多く出入りなさいますし、ちょっとしたことが命取りになりますの。ミハイルを連れて帰ってくる時は、誰にも見られないようにしてくださいましね』『状況によってはミハイルを家に連れてくるな。こちらで病院を指定するからそこへ運ばせろ。以降は、私ではなく秘書へ逐次報告しろ』とオリエに命じた。
家庭はそれぞれ、事情もそれぞれ、いろんな家がある。オリエはそれ以上深く考えず、依頼主の希望通りに仕事を完遂することにした。
『代表、ちょっとまずいことが発生しました』
スタッフのジュリオから無線連絡が入った。救出対象が捕まっている建物の裏で待機していたチームの一人だ。
「オリエだ。どうした?」
『……それが……、なぜか東雲(しののめ)の連中が来てまして……』
「すぐに行く。待機していろ。……ルクレツィア、ここは任せた」
「了解」
鰐獣人のスタッフに指揮を任せてオリエは建物の裏へ回る。
十分ほどの距離を物音を立てず迂回すると、木立の密集した一角に困り顔の自社スタッフと、オリエの会社とは異なる集団がいた。
オリエの会社も、その集団も、全身灰色のよく似た装備で、枯れ枝の森林地帯に紛れこむための服装だが、社章と腕章だけは異なるので、違う会社だと判別できる。
「東雲総合環境整備保障、なんでお前らがここにいる?」
オリエは集団のなかで抜きん出て大きな狼獣人へ詰め寄った。
「これはこれは……グリウム・クリーニングサービスカンパニー、そちらこそどうしてここに?」
美しい夕焼け色の狼獣人が慇懃無礼な態度でオリエを見下ろした。
オリエの身長が一八七センチあってもなお高い二メートル三〇センチの狼は、ご機嫌斜めの子供をあやすように夕日色の尻尾をわざとらしく揺らし、オリエを挑発する。
このオス狼が、東雲総合環境整備保障の社長トキジだ。オリエの商売敵で、いけ好かないライバル会社の社長で、図体だけはデカい狼だ。
「これはうちの仕事だ。それとも、卑怯な狼は横入しようって魂胆か?」
「それはこちらのセリフだ。我が社が請け負った仕事の邪魔は遠慮していただきたい」
「帰れ、東雲総合環境整備保障」
「そちらこそお引き取り願おう、グリウム・クリーニングサービスカンパニー」
両者、睨み合う。
グリウム・クリーニングサービスカンパニーと東雲総合環境整備保障は同業だ。当然、仕事内容もかぶる。滅多にないことだが、時には現場がカチ合うこともあった。
バチバチと火花を散らす二人を差し置き、オリエの会社のジュリオが、顔見知りの東雲の社員と世間話を始めた。
「まぁ……うちも、そちらさんも、社長同士のソリが合わないだけで、別に俺たちは仲が悪いわけじゃないんだよなぁ……」
「そうなんだよなぁ。同業同士、情報交換したり、知り合い紹介したり、仕事の融通利かせられるしなぁ……」
ジュリオが話し始めたのを皮切りに、ほかのスタッフたちも、「うちのボスがまたおたくの社長と争ってるな」「止めろよ、あの二人が殴り合いでも始めたら家に帰るのが遅くなる」と毎度のことに苦笑している。
「おい、ジュリオ、うちと東雲、両方の弁護士に連絡して、今回の契約内容を突き合わせて確認だ」
「ジーノ、カンパニーとうちの契約内容の突き合わせが終わったら、依頼主の弁護士にも連絡をとれ」
両者、睨み合ったまま互いの部下に指示を出す。
さほどの時間をかけずにその場で確認作業が始まり、瞬く間に完了した。
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