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第6話
余談だが、なぜか「見ているこっちが寒い」とトキジが自分の上着をオリエに投げて寄越したから、ありがたく使い倒してやることにして、オリエが先ほどまで休んでいた仮眠ベッドの下敷きにして寝てやった。
「いつ目を醒ましても大丈夫だから、安心していいぞ」
眠る子に話しかける。
目がでっかくて、尻尾がびたびた動いて、お人形さんみたいにかわいい顔をしていた。一所懸命にアップルパイを頬張って、パイ屑まみれになった頬は愛らしかったが、もっとしっかり肉をつけたほうがいいとも思った。
「起きたら、なんかうまいもんでも食おうな」
真新しい朝陽がブラインドの隙間から差し込む。
子供を助けられても、ちっとも嬉しくない。悔しさばかりが募る。奥歯を噛みしめ、拳を握り、無力な自分に苛立つように、眩しい朝陽にすら苛立ちを覚える。仕事を終えた翌日の朝は、いつもこんな気持ちだ。
扉がノックされて、トキジの低い声で「起きているか」と静かに問いかけられた。
「起きてる。入っていいぞ」
答えると、トキジが物音を立てず入室した。
昨夜の残務処理を終えてそのまま病院へ来たらしく、社名入りのジャケットの下にYシャツとミリタリーズボン、コンバットブーツというちぐはぐな格好だ。
そのちぐはぐを男前に着こなせるのがこの狼獣人のムカつくところでもある。高身長で筋骨隆々、毛並みが豊かで色艶も美しく、そのうえ顔面が色男ともくれば大抵の格好は自分のものになってしまうのだろう。
「伊達男め」
「……なんだ、唐突に……朝からケンカを売ってくるな」
「なんでもない。お前こそ朝早くからなにしに来た?」
「その子の様子見と、付き添いを代わりに来た」
「子供のほうは別状ない。まだよく眠ってる」
「そうか。お前は一度家に帰って休め。顔の怪我は……えらく腫れたな」
「問題ない。俺が家に帰るのは後回しだ。先に医者と話して、そのあと会社に顔を出して今後の調整して、お前のところにも連絡を入れる。依頼主から連絡はあったか?」
「いまのところない」
「この子供の状況だけど……」
「それなら、いましがたこの子を診察した当直医と昨夜の看護師に話が聞けた」
「なら、話は早い。この子には身元が分かるものがなにもなかったから、午前中に児童保護局から保護官が来て、面談する予定だ」
「ミハイルを依頼主のもとへ運ぶ道中で、改めてうちとそちらのスタッフが売春組織の連中から聞き取りをしたが、子供は人身売買組織から購入したそうだ。人身売買組織からは、両親は末期の薬物中毒者で金欲しさに子供を売った、既に死亡しているだろう、と聞かされていたらしい」
「じゃあやっぱり保護局だな……」
この後、子供は保護局で保護され、行政の力を頼って親の生死を含めた捜索を行いつつ、見つからなかった場合は児童養護施設などへ行くことになる。以降の身の振り方は児童の意志と児童保護局によって決められる。子供を保護した時はいつもその手順だ。
オリエはガシガシと後ろ頭を掻いて納得のいかない気持ちを指先に籠める。子供絡みになると、いつもこんな後味だ。もやもやして、すっきり晴れ渡ることがない。
「あー……無力だ……なんでこんなになにもできないんだ……」
思わず声に出てしまった。オリエは手の甲で自分の唇を押さえて、「しまった」と内心で舌打つ。同業他社の前でどうにもならない愚痴を吐いてしまった。
ちらりと左隣を見上げると、大きな狼耳はオリエの吐露を聞き漏らさなかったらしく、オリエを見下ろすトキジの視線と視線が絡んでしまった。視線を外すと負けたような気がして目を逸らさず、「なんだよ」と眉根を寄せて睨み上げる。
「お前は子供を助けるたびに眉を寄せて悩む顔をするなぁ……」
トキジは苦笑した。
オリエとトキジの会社は、主に未成年者を守るために設立された。今回のように子供の将来にかかわる物事の清掃も、リベンジポルノの画像をできるかぎり削除する清掃も、子供を人身売買組織に売るような最低の親の清掃も、子供の利益になるなら断らない。
そうして子供を守り、今回のように助けたとしても、オリエはいつも子供の未来を憂いては歯痒さを痛感し、表情を歪める。そのせいか、オリエが子供を助けて喜んだり、笑ったりする顔をトキジは一度も見たことがなかった。仕事で鉢合わせる以外で接点もないせいか、トキジが思い出すオリエはいつも難しい顔をしている。
性格上、ソリは合わないかもしれないが、それでも、トキジはオリエのそういうまっすぐな気質や守るべき者を思う心、自分の家族のように胸を痛める姿、自分の怪我よりも誰かを気遣う優しさと強さには敬服するものがあった。同業者としてこれほど信頼がおける者はそういない。
「俺が助けたのに、結局は行政に頼ってる。中途半端に放り出した気がして申し訳なくなってくる」
「助けた子供の行く末を見守る専門部署を社内に作って、そのためだけに人を雇っているだけでも充分だと思うが……」
「足りない」
「これまでに助けたすべての子供のキーパーソン役を担い、定期的に送られてくる報告書を読み、自分でも施設に足を運び、子供から手紙やメールが来れば返し、時季や状況に応じて寄付をして、子供たちを自社施設に招いてパーティーも開いている。保護局や孤児院の里親探しにも協力的だ。そのうえまださらに……と考えるとは……。欲張りもほどほどにしておけ」
「欲張りで悪かったな」
「悪く捉えるな。ただ……」
ただ、あまり無理をするとただでさえ薄っぺらいその体がもっと薄くなって、終いには倒れてしまうぞ、とガラにもなく心配を口にしそうになってトキジは黙った。
トキジが心配する程度のことは、オリエは自分で理解して調整しているからだ。
「そもそも、採算度外視でお前も俺と同じことしてんのに、俺だけ欲張りってのもおかしいだろ。俺が欲張りならそっちは強欲の化身だ」
オリエはトキジの裏腿を軽く蹴って茶化す。
狼獣人はそれくらいじゃビクともしないし、なんなら蹴ったオリエの足の甲のほうが痛いが、朝早くから商売敵と話すうちに無力感に苛まれていた気持ちがすこし薄れたのも確かで、今朝はちょっと朝陽が心地好く思えた。
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