5 / 6

第5話

「両方とも君のアップルパイだ。食べてくれ」 「そうだ、ほら、食え食え」  トキジが紙箱を開いて箱を持ってやると、オリエの腕に抱かれたまま、子供はアップルパイに顔を埋めるようにして食べ始めた。  爬虫類の尻尾を持つ生き物は警戒心が強く、他人に懐かないことが多いが、この子はアップルパイが大好物だったらしく、暴れることも取り乱すこともない。 「腹が空いてたから二つ必要だったんだな……」  一心不乱にアップルパイを貪る子供は、瞬く間に、二つとも食べきった。 【2】  二つの会社から同時に清掃された売春組織は混乱を極めた。組織の一人が逃走に必死になるあまり、机に放置した拳銃をミハイルが隠し持っていたらしい。  商品入れ替えの最中だったという売春組織側の言葉の通り、組織内外を徹底的に清掃してもミハイルとアップルパイ好きの子供以外の発見には至らなかった。  頭部に怪我をしたオリエは懇意にしている病院で検査入院した。  オリエ本人は入院せず治療だけ受けて夜のうちに帰ろうとしたが、自社スタッフとトキジの両方から、「一晩様子を見ろ、残務処理は両社のスタッフで充分行える。ただでさえお前は稀少な人外の一族なんだ。用心しろ」と強めに言われて、不承不承、一泊することになった。  皆、端的に「人外の一族は稀少だから」という言い方をするが、それはつまり、稀少な一族は怪我や病気の症例が少なく、なにかあった時に対処が遅れるとこわい、万が一の際は懇意にしている病院なら話が早いしすぐに治療を開始できる、という意味だ。  親身な気遣いが伝わってくるからこそ、オリエは病院の世話になった。  それに、同じ病院に入院しているアップルパイ好きの子供の付き添いも兼ねていた。親や兄弟が傍にいないいま、傍にいてやれるのはオリエくらいのものだ。  早朝、オリエは三十分程度の仮眠で目を醒ました。  まだ午前六時過ぎだ。  昨夜はオリエの裁可が必要な残務処理を行い、深夜四時半過ぎに病院へ来て、傷の縫合や簡単な検査などを受けつつ電話で部下に指示を出していたが、「怪我人はおとなしく!」と医者と看護師に叱られ、五時半頃に病室へ案内された。  体質的に、生まれた時から短時間の睡眠が癖になっているというのもあるが、単に、子供の様子が気になって目が醒めたというのもある。  オリエは同じ病室の隣のベッドのカーテンをすこし開き、子供の寝顔を見やる。  個室に仮眠用ベッドをひとつ入れてもらって、オリエはそこで休み、広いベッドで子供を寝かせている。  警察と児童保護局には連絡済みだ。今日の午前中には警察官二名と児童保護局、福祉施設、役所の職員などが来て、この子供に聞き取りを行う。可能なかぎりオリエとトキジの両方と、双方の弁護士も同席する予定だ。  カンパニーと東雲は、役所や警察組織とは良好な関係を築いていて、上層部とも顔見知りが多い。子供を保護した事情を深く突っ込まれることなく、子供の氏素性の確認などで協力を仰ぐことができる。  契約にもよるが、清掃業者は、基本的にすべての証拠の処理を依頼主の判断に委ねる。ただし、今回の場合、ミハイル以外の被害者がいた場合、すべて清掃業側で保護、その後も清掃業側に一任するという契約を結んでいたので、この子はこちらで保護することができたし、関係各所への連絡も円滑に行えた。  依頼主も、ミハイル以外の被害者を引き渡されたところで扱いに困るので清掃業者に事後処理を任せた、というところだろう。  解体した建物の建材などは解体物の回収業者に委ねたし、回収した証拠や情報、データは昨夜のうちに依頼主に手渡し済みだ。オリエとトキジの会社はその時点で回収物を破棄する契約を結んでいるので破棄した。  ただし、依頼主側に訴訟を起こされた場合や、刑事事件に発展した場合、なんらかの問題が生じた時のために、仕事中は全スタッフが小型カメラを装備し、録画録音しているので、それらのデータの破棄だけは不可という条件で仕事を請け負っている。  昨夜のうちに護衛業者と自社スタッフから「ミハイルを無事親元に届けた」と連絡があったし、ミハイルの両親や代理人、弁護士からもクレームなどは来ていない。  残るは、この子供の処遇だけだ。 「…………」  睡眠が足りないせいか頭痛の酷いこめかみを揉んで、目頭を指で押さえる。  そこでようやく「ああ、昨日の怪我のせいもあるのか」と自分のこめかみの傷を思い出す。銃底で殴られたあとに、ミハイルが連射した弾丸が掠ったらしい。傷口は止血され、縫合テープが貼られている。出血量のわりに軽傷だが、見た目だけは派手に重傷だ。鬱血した眼球周辺が青黒く変色し、腫れのせいで右の視界がすこし見にくい。  オリエは深呼吸してからゆっくりと立ち上がり、子供の枕元まで歩み寄る。  子供は昏々と眠っている。医師の診断によると、栄養状態が悪く、成長曲線よりも身長と体重が下回るものの、恒常的な虐待の痕跡はなく、病気も見つからず、怪我もない。あの売春施設に売られて間もなかったのか、客を取らされたり、施設の誰かに味見をされたりした形跡もなかった。その点だけは救いかもしれない。  年齢は三歳から四歳。身長は七十センチほど。尻尾は長く、真珠色をしていて、爬虫類の鱗がある。発見時にこの子の尻尾を見ただけで人外の血が入っていると分かったが、瞳や髪も同様だった。この子の瞳と髪は、日没の時、昼と夜の境目に見える夕日に古代紫が混じった色をしている。やわらかな褐色の肌をしていて、触れるとオリエと同程度の体温の低さだった。種族的な特徴として、オリエも体温が低いほうだから、種類が近いのかもしれない。  一般的に、世間であまり見かけない髪や瞳の色、耳や尻尾、特殊能力、基礎体温の異常な高低などは、人外か否かを判断する材料になる。それはオリエにも適用されて、オリエは、レモンカラーのプラチナブロンドにピーコックグリーンの瞳をしていて、体温が低い。  この子がどういった環境で育ったのかは分からないが、あまり良い環境でなかったのは確かだ。発見時は大人用の古着のTシャツを着ているだけだったのでオリエの上着を着せて、さらに毛布で包んで病院まで運んだ。

ともだちにシェアしよう!