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第4話

 オリエはこめかみのあたりに火傷に似た熱さを感じながらも、己の回避は諦めて子供の安全を優先し、体の陰に子供を隠す。 「オリエ!」  全速力のトキジが迷いなくオリエのもとに直進したかと思うと、オリエの腰に腕を回して子供ごと片腕で抱き上げ、懐に抱え、己の背を銃弾の盾代わりに使い、走った。  それなりの身長と体重がある成人男性と子供の二人を物ともせず抱えて走り、ミハイルから一定の距離をとると木立の陰に身を隠す。  オリエとトキジは可能なかぎり身を小さく、ミハイルの銃弾が尽きるのを待った。射撃の腕前は素人らしく、オリエのこめかみを掠った一発以外はでたらめな方向に飛んでいる。 「……おい、しのの、め……、っ」  狼の腕のなかで身じろぎ、顔を上げた瞬間、トキジの唇にオリエの唇が触れた。 「なんだ? グリウム・サービスカンパニー」 「なんだじゃない。回避しろって教えてやったんだから逃げろよ。なんでまっすぐ俺のとこに走ってくるんだよ!」  ミハイルに居所を知られないようにオリエは小声で怒鳴る。  トキジはしらっとした顔でオリエのこめかみと頭部の傷を確認しながら、「眼球の近くをやられたな。おとなしくしていろ」と己の手指が汚れるのも厭わず傷口を押さえて止血し、続けて、「こう言っちゃなんだが、このアップルパイの使い時が分からない。手が塞がって敵わん」と笑った。 「俺だってアップルパイが邪魔だ。でも、記憶だともうすぐ必要になるから黙って持ってろ……って、ちがう、いまその話じゃない。なんでお前はそういつも俺の親切を無下にするんだ!」  オリエとトキジは、双方の胸の間に子供とアップルパイ二箱を挟んで鼻先のくっつく距離で言い合う。   トキジはいつもこうだ。ここぞという時に颯爽と現場を駆け抜け、オリエのフォローに入る。 「グリウムの……、お前の、その自分の命を顧みないやり方はやめろと俺は散々注意してきたはずだ。向こう見ずは強さではない」 「さっきの状況なら最善だ。優先されるべきは……」 「弱者の命だ。だが、お前の命も大切だ。お前が過去に俺や俺の部下の命を助けたように、俺たちは共闘戦線を張った仲間だ。だから俺はお前のもとへ走った」 「…………」  トキジとは、過去に何度も助け合ったことがある。  オリエはトキジの実力を認めているし、同業として尊敬するべきところもある。  だが……、だがしかし……。 「同じ現場で同業者に死なれたら寝覚めが悪いからな」  トキジは片頬を持ち上げ、はっ、と人の悪い顔で笑う。 「言い方! その言い方本当に腹が立つ! こっちだって同じ気持ちでいつも注意喚起してやってんだよ!」 「噛みつくな、仔犬」 「……この野郎」  その鼻っ柱、本当に噛んでやろうか。そう思って背伸びしようとしたオリエがふと視線を下ろすと、二人の間の子供が泣きそうな顔をしていた。  トキジの胸板と鬣に右頬を埋もれさせ、オリエの鎖骨あたりに左の頬をぎゅうぎゅうに押し潰された子供がぷるぷる震えている。オリエが、「大丈夫だ。助けるから安心しろ」と努めて優しく声をかけ、トキジが、「どこか痛いところはないか?」とやわらかな声とともに微笑みかけると、よりいっそう震えた。  なにせ、顔だけは美人のくせにヤンキーみたいにガラの悪いオリエと、目つきの鋭い二メートル超えの獰猛な狼だ。三つや四つ程度の小さな子供には、山のように大きな悪党二人組に見えるだろう。子供の尻から生えた、つやっとした爬虫類の尻尾までぷるぷる震えている。  泣き叫ぶかに思われた子供だったが、オリエとトキジの間でかろうじて原型を留めている紙箱を小さな手で抱きしめると、「……あっぷるぱい……」と呟いた。  匂いにつられて油断したのか、二人の懐にくったりと体重を預けた子供はアップルパイの紙箱に釘付けになる。 「なぁ、ちょっとだけ大きい声で喋るけど、大丈夫だからな?」  銃撃が止んだ。  オリエはアップルパイしか見ていない子供に声をかける。 「ミハイル! 私は東雲総合環境整備保障のシノノメ=トキジだ。もう一人は……」 「グリウム・クリーニングサービスカンパニーのオリエ=グリウムです! ミハイル、我々はあなたのご両親に依頼されてあなたの救出にきました!」  木陰から様子を窺うと、ミハイルは弾倉が空になった銃を握って地面に座り込み、放心している。 「俺が保護する。お前は子供の安全優先で。ミハイルの周囲三メートルは、うちとお前のスタッフで包囲完了している」  オリエとトキジの指示通り、両社スタッフはGPSで二人の現在地を特定し、ミハイルの保護をバックアップできる位置で待機完了している。  トキジが木陰を出た。 オリエはアップルパイの紙箱を抱きしめた子供を片腕に抱き、もう片方の手で銃を構えてトキジのフォローに入る。  ふいに、額がひやりと冷たくなったので何事かと思うと、子供が心配そうに自分の尻尾でオリエの額の血を拭っていた。 「やさしいな。……だいじょうぶだからな、ありがとうな」  トキジには見せない笑い顔で、朗らかに笑う。  オリエが笑顔を見せると、子供が尻尾でぎゅうとオリエに抱きつくから、オリエもそれに応えるように力強く抱きしめ返した。 「保護対象者、確保」  トキジの声が無線で全員に通達される。  フォローやバックアップの必要はなく、ミハイルはおとなしく保護された。  オリエが肩で息を吐き、木陰から出ると、オリエの手を引くように子供が尻尾を巻きつけてトキジのところへ行きたいと訴えた。 「どうした? 二人とも」  オリエがトキジのもとへ歩み寄ると、子供がアップルパイにこくんと喉を鳴らす。 「食べていいぞ」  オリエが言うと子供は頷き、続けてトキジのほうを見やる。 「ああ、アップルパイの紙箱から俺の匂いがするから、俺の許可も必要だと思ったんだな?」 「…………」  トキジの言葉に、子供はもう一度ゆっくり頷く。

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