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第3話
得体の知れないオリエの行動に誰も動じない。動じているのは新人のリカルド一人だけだ。作戦開始前に、「うちの代表がいきなり突拍子のない物を持ち出したり、薬でもヤってんのかって不審な行動に出ても大丈夫だ、あの人は正常だ」と教えられていても、奇怪なものは奇怪だ。
オリエの近くにいた東雲のスタッフは、「今回はアップルパイか……。前回はA4クリアファイルと電気屋の次回割引クーポンだったな」「これが噂のグリウム・クリーニングサービスカンパニーの謎の装備……」と、オリエのアップルパイがどう役立つのか興味津々だ。
東雲のスタッフが、平然と、それどころか好意的にこの状況を受け止めているのは、過去の合同作業でオリエのこうした奇怪な行動に助けられたことがあるからだ。彼らもまた、オリエが用意した武器や物品は絶対に業務で使う予定があるのだと信じている。
なにより、東雲の社長トキジがオリエのコレを馬鹿にしないということが大きい。彼らは、自分たちのボスが認めることは認めるのだ。
ジュリオがオリエの右手のアップルパイの箱を見て、「今夜は使う場面はなさそうですね」と言うので、「それならそれでいいんだけどな」と笑い、オリエは一人で木立へ入った。
歩いて間もなく、小動物が尻尾を引きずって歩く痕を発見した。
獣人や人外のスタッフは、匂いや気配に敏感で、他者の痕跡にも気づきやすいが、本能を頼りにしているせいか、攻撃性がないと判断すると、小動物だと感覚的に勘違いしてしまうことが稀にある。
今夜は、どうやらその稀なケースのようだ。
「……っ、と」
尻尾の進む方向を追うと、建物の表側にいたはずのトキジと鉢合わせた。
「ああ、グリウム・サービスカンパニーか」
「東雲かよ。……お前もなにか追ってきたのか?」
「そうだ。表のほうに足跡が二種類あった。一人目、外観は人間、成人男性、靴のサイズは二十九センチ。体重は七十五キロ前後。二人目も外観は人間、成人男性、靴のサイズは三十五センチ。大柄。体重は百キロ程度」
トキジは表側から続いていた足跡を追跡してきたらしい。
「俺は、裏から続いてる尻尾の痕跡を追ってきた。尻尾は一本分。裸足のうえに体重がかなり軽く、足跡がほとんどついていない」
オリエとトキジが鉢合わせた場所で、二種類の足跡と尻尾の痕がひとつに交わり、そこからは二種類の足跡だけが木立の奥へと続いている。
「一つ持っていけ」
「借りは返す」
オリエが差し出したケーキボックスをトキジが受け取る。
この狼のこういう面は本当にありがたい。オリエの突拍子もない行動を嗤わず、茶化さず、あるがままに認める。ただそれだけのことだが、仕事が円滑に進む。
獣人と人外と人間。オリエとトキジの会社は、この世に存在する三種の生き物で構成されている。会社という名の群れを率いるトキジがオリエに対して侮った態度をとれば、トキジの会社の社員もオリエを侮り、時にはオリエの会社のスタッフすらもオリエを侮り、結果として仕事に支障が出る。
その場合、オリエはまず、己もまた群れのボスであることを内外に知らしめ、力を誇示する徒労を行わねばならない。強者ばかりの群れでオリエが優位性を誇るのは手間だ。できないことはないが、疲れる。
それでなくとも、清掃業というのは、仕事柄、体力と身体能力に優れた屈強な獣人が就くもので、就職や転職の際にも、獣人が有利な仕事とされている。事実、オリエの会社も実働部隊の大半が獣人だ。
オリエは人外と人間の混血だが、見た目も身体能力もほぼ人間だ。客に対しても、部下に対しても、同業者に対しても、見た目で得られる説得力が少ない。ちょっとした人外の特殊能力があるのでこの仕事にも適性があったが、現場の屈強な獣人たちに比べれば腕力も筋力も劣る。
癪に障るが、そうした短所があったうえで、トキジだけは初対面からオリエの仕事を認めて、対等な仕事相手として接してきた。そのおかげで、トキジの会社の社員たちもオリエを認めてくれて友好的な関係を築けている。それもこれも、トキジが自社内において支柱的存在であり、群れの仲間たちから信頼されているからこそだ。
それには感謝している。
感謝しているが……。
「グリウム・クリーニングサービスカンパニー、その華奢な脚で頑張って走れよ」
「東雲総合環境整備保障、お前が鈍足なのは知ってるが、遅れはとるなよ」
やっぱり、ソリは合わなかった。
二人して、「アップルパイを片手に拳銃を構えるハメになるとはな」「うっせぇ、使わなかったら食っていいから黙ってろ」と軽口を叩き合いながら歩いて間もなく、体重百キロ越えの大男の背中に追いついた。その半歩ほど前をミハイルらしき青年が急ぎ足で歩いている。
オリエとトキジは互いに視線で頷き合い、ミハイルの両親から渡された写真のミハイルと同一人物であることを確認しあう。
右の小脇に尻尾のある子供を抱えた大男は、左手に小銃を携えている。売春組織の最後の一人か、買春目当ての客か、抱えている子供を売りにきた業者か、子供の親か……。
オリエとトキジは、ごく小さな声で、保護対象者と敵性対象者の発見を無線連絡し、今後の指示を出し、示し合わせるでもなく無言で左右に分かれた。
狼獣人の特性を活かして、トキジはアップルパイを片手に俊敏に動くと、瞬く間に大男と距離を詰め、左手の小銃を蹴落とした。大男がトキジに気を取られた刹那、抱えられた子供が地に落ちる寸前でオリエが抱きとめ、ミハイルを背後に庇う。それと同時にトキジが大男の膝関節を狙って体勢を崩し、地に跪かせた。
「ミハイルだな? た……っ」
助けにきた、と伝えようとしたオリエが背後を見やると、ミハイルが叫びながら隠し持っていた銃を発砲した。
「……トキジ!」
オリエはトキジに流れ弾の危険を報せた。
錯乱しているのか、ミハイルは、「僕は悪くない! 僕は悪くない!」と叫び、明後日の方向に発砲を続ける。至近距離にいたオリエはアップルパイの紙箱ごと子供を懐に抱いて庇う。
「わぁあ!!」
近距離でも狙いを定められないミハイルは、オリエの頭部を銃底で殴り、飛び散った血でさらに悲鳴を上げ、再び銃を連射し始める。
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