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第4話

 透のバイト先は、大学の最寄り駅前の居酒屋だ。チェーン店ではないのに、かなり良い立地と焼き鳥が美味しいことで有名で、開店と同時に混み出すので、透も開店時からシフトに入っている。 「いらっしゃいませ! 席にご案内いたします!」  透は店内で忙しく動き、客を(さば)いていった。客のほとんどが焼き鳥を注文するので、運ぶ料理もほぼ焼き鳥だ。 (毎日嗅いでもいい匂いだな……腹減る……)  そんなことを思いながら駆け回っていると、客とぶつかってしまった。 「あっ、すみません!」  ぶつかった客は中年代の男性で、生活習慣のだらしなさがそのまま体格に出ている、といった風情だ。しかも、まだ夕方だと言うのに既に酒の臭いを撒き散らしている。 「おーおー、元気が良いねぇ。大学生?」 「はい」  愛想笑いで短く返事をすると、男性はなぜか肩を組んできた。酒の臭いが一気に近付いて、透は思わず息を詰める。 「彼女いるの? おじさんが紹介してあげようか?」  いきなり不躾なことを聞いてくる酔っ払いに、透は乾いた笑い声を上げて間に合ってます、と小声で言うしかない。 「いい子いっぱい知ってるよぉ? ちょっと遊んでみない? 無料(ただ)にするし」  厄介な奴に捕まってしまった、と透は辺りを見回す。しかし店員は誰もが忙しくしており、透の状況に気付く者はいない。 「ほんとに……間に合ってるんで」  透は肩に置かれた酔っ払いの腕を退かそうと、彼の手を掴んだ。するとその手を、酔っ払いが反対の手で掴んでくる。  完全に横から抱き着かれるような体勢になり、透は思わず上体を仰け反らせた。間近でじっと顔を見つめてくる男の、粘着質な視線に嫌悪感が一気に湧いて、愛想笑いも吹き飛んでしまう。 「んー、きみ綺麗な顔してるよねぇ。モテるでしょ?」 「……止めてください」  何でこんな夕方から絡まれなきゃいけないんだ、と小声だがハッキリと身を捩って拒否を示すと、横から声を掛けられた。 「すみません。店員に絡むのは止めて頂けますか」  店内の賑やかさにも負けない、毅然とした声。見るとやはりそこには、守がいた。透がホッとした顔をすると、酔っ払いは守の身長に驚き、体格で分が悪いと思ったのか、そそくさと透から離れていく。 「透、アイツが店から出るまで裏にいろ」 「……うん……」  透は肩を落としてバックヤードへ引っ込んでいった。  また迷惑を掛けてしまった、と透は狭い事務所の丸椅子に座ると、ため息をつく。そう、透が客に絡まれるのは、これが初めてではないのだ。  更に言うと、この居酒屋の前に働いていたコーヒーショップでも、ファーストフード店でも、同じような経験をして、バイトを辞めさせられている。 「……何で絡まれるかなぁ?」 「猪井くん、大丈夫か?」  独り言を呟くと、店長がそばにやって来た。すみません、と謝ると店長は「瀬戸くんから聞いた通りだな」と苦笑する。  バイトが長続きしない理由を守に相談したら、守がそれを込みで店長に斡旋してくれたのだ。迷惑を掛けられないと一生懸命働いているものの、不意に向こうからやって来るものは避けられない。 「要領も良いし愛想も良くて助かってるんだけどなぁ」  店長の言葉に透はドキリとする。どうかクビだけは、という顔をしていたらしい、店長は大丈夫だよ、と微笑む。 「ただ、ウチはお酒も入るから……レジ打ちと持ち帰り担当にしたら……何とかなりそうかな?」  極力客と接しない業務にすれば、との提案に、クビにならなければ何でも、と透は頷く。厨房ならもっと安全だろうけど、筋力、体力共に透には無理だと早々に分かったので、残された道があるなら(すが)縋り付きたい。 (いつかしんちゃんの家を出ることになるんだから、それまでにお金を貯めておかないと)  他の誰でもない、伸也だからこそ、甘えたいし、邪魔はしたくない。自分でも矛盾していると思うけれど、それを受け入れてくれる間だけ、そばにいたいのだ。 (いつか……いつかのために……)  透はそう心の中で呟いて、このバイトも頑張らないと、と深呼吸をした。  ◇◇ 「透、送るよ」  日付が変わってバイトが終わり、帰り支度をしていると、守からそう言われ透は慌てた。  透の実家は守の家と同じ方向だけれど、伸也の家は反対方向なのだ。違う道を行くと知られたら、伸也の家に引っ越したことがバレてしまうかもしれない。 「良いよ、そこまでしなくても」 「今日絡まれてた奴が言うセリフか?」  送る、と意見を曲げない守に、透は仕方なく一度実家に向かうフリをすることにした。店はまだ開いているので、他のスタッフに挨拶をしながら店を出ると、店の外で夕方に絡んできた男性が道路に座り込んでいる。守がいるからか、声こそ掛けて来なかったけれど、視線をこちらにロックオンしてくる男を、透は懸命に無視した。 「な? 一人じゃなくて良かったろ」 「……サンキュ」  良いって、と静かに言う守は真っ直ぐ前を見て歩いている。透が女の子なら、間違いなく恋愛フラグが立つことだろう。隣にいるのが男のオレでごめん、と思いながら、本当に守は良い奴なのにな、と内心ため息をつく。絡まれなければ、こんな風に守にも手間をかけさせずに済んだのに。  迷惑を掛けている自分が情けない。 (あー……しんちゃんを補給したい……)  伸也なら、こんな情けない透を見ても、何も言わずに抱きしめてくれる。そんなことを考えていると、駅へと歩いていく、見覚えのある人物がいた。 「しんちゃん!」  こんな所で会えるなんて、と嬉しくて思わず透は走り出す。後ろから呼び止める声がしたような気がしたけれど、それよりも目の前の伸也を逃がさないようにしなきゃ、と無視してしまった。

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