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第6話
透はスマホのアラームで目を覚ました──いや、眠れなくてずっと目を閉じていただけだった。
のそりと起き上がると、リビングで物音がする。どうやら伸也は、もう起きているらしい。
あれから、伸也の言葉がずっと、脳裏から離れなかった。もうお互い、依存するのは止めようと。
守の言う通り、普通の幼なじみの域を超えていることは薄々分かっていた。そして、そうさせたのは伸也の優しさに漬け込んだ、透のずる賢さだ。
透は布団から出てリビングに向かう。
「おはよう、しんちゃん」
キッチンで朝食を作っていた伸也に、透はいつものように抱きつく。しかし伸也はすぐに透の背中を軽く叩き、顔を洗っておいで、と促すのだ。それでも離れないでいると、頭上でため息が聞こえる。何か言おうとして、伸也が息を吸ったのを察して慌てて離れると、伸也は「よくできました」と頭を撫でた。
とぼとぼと洗面所へ行き顔を洗って戻ると、テーブルの上には二人分の朝食が並んでいる。
「ありがとう」
「いいえ。ゴメンだけど、早く出なくちゃ行けなくて……片付け頼んでもいいかな?」
「もちろんだよ」
透はそう言うと、二人で手を合わせて食べ始めた。しかし流れる空気は静かだが重い。朝食のご飯も、味がしなかった。
「………………しんちゃん」
透は重たい口を開く。たった一夜でこんなに微妙な関係になってしまうなんて嫌だ、と縋 る想いで聞いた。
「……オレのこと、嫌いになった?」
すると伸也はハッとしたように透を見る。そして慌てたように首を振った。
「そんなことはない。絶対にない。ただ、お互いの将来の為に、そうした方が良いかなって思っただけだよ」
透が望んでいた通りの言葉が返ってきて、安堵する。けれどやはり、不安は拭えないのだ。
(しんちゃんに彼女ができるまでって……それでもダメなのかな……)
「じゃあしんちゃん。しんちゃんに彼女ができるまで……それまでは今まで通り……」
「透」
伸也が透の言葉を遮る。それは本当に珍しいことで、伸也の本気が知れた。多分、ここまでされるのは初めてだ。
「きみはもう大学生だよ? 僕だけじゃなく、色んな人に出逢えるチャンスを、僕は潰したくない」
昨日の守くんへの態度だって、と伸也は付け足す。
「透の世界を、僕一色にして欲しくない」
「そんな……」
昨夜に続き、また頭を殴られたような衝撃が走った。しかも伸也は、昨日の今日でそう思って言った訳じゃないと言っている。ならば、ずっと透に合わせてくれていただけだったのか。
(オレにはしんちゃんしか……しんちゃんだけだったのに……)
身体のどこかで、何かが割れる音がした。いずれ来ると分かっていたものの、何も覚悟ができていなかったのは、自分だけなのだ。
改めて現実を突きつけられ、透は震える呼吸を吐き出す。そして、精一杯の笑顔を伸也に見せた。
「……分かったよ」
そう言った時、なぜか伸也は悲しそうな顔をする。そして何かを言いたそうにして──止めた。
「急ぐんでしょ? 後は任せて、ご飯食べちゃって?」
伸也が何を言おうとしていたのか、透は聞かない。彼が本気なら、透も本気で向き合うべきだからだ。これ以上、自分のわがままを通す訳にはいかない。
◇◇
伸也が仕事に出掛けると、透は朝食の後片付けをする。今日は二限からなので、時間に余裕があるから掃除をする事にした。窓を開けると、暖かい風が部屋の中に入ってくる。
掃除機をかけると、出るのに丁度いい時間になっていたので、開けた窓を閉めつつ準備をして、家を出た。
春の暖かさ、駅のザワついた雰囲気をどこか遠くに感じつつ、透は大学に着く。するとバイト先から、体調不良で休む人が出たから、代わりに出てくれないかとメールが来た。分かりましたと返事をするついでに、出勤日数を増やせないかと相談してみる。
しかしレジ打ちくらいしかできない透だ、絡まれやすいのもあって、これ以上増やすことは無理だと返ってきて、それもそうかと納得した。
「透、おっす」
講堂に入ると、守から声を掛けられる。透は笑顔を見せた。
「おはよ。オレ今日バイト入ったんだけど、守は?」
「俺は元々入ってるよ。何? 誰か休みが出たのか?」
「そうみたい。ま、入れるならありがたい」
「だな。学生は、時間はあるけど金は無いもんなー」
そんな会話をしながら後ろの方の席に座る。必須科目でもない、単位取得の為の講義なので、興味がある学生以外は、後ろの方の席でコソコソお喋りをしながら講義を受けているのだ。
「……なぁ透」
教授が入ってきたタイミングで、守は声を落として話し出す。
「昨日会った男の人……あの人が例の幼なじみなんだよな?」
「ん? そうだけど?」
守は珍しく自ら伸也の話を持ち出した。いつも透が話すと不機嫌になるのに、と不思議に思っていると、守は言いにくそうに口を開く。
「……本当に、それだけか?」
「え? 何だよそれ……」
「何か昨日のお前を見てたら……それ以上の感情があるようにしか見えなかったというか……」
そう守に言われて、透はそれ以上の感情って何だろう? と思った。確かに、伸也は特別な存在だ、代わりになる存在なんていないし、いらない。
「それ以上の感情?」
意味が分からず守を見ると、彼は思ったより真剣な顔をしていた。その視線が強くて、透は思わず視線を逸らす。
「透が、あの幼なじみのことをただの好きじゃなく、恋愛感情として好きなんじゃないかって」
「……」
全く思ってもみなかったことを言われ、透は言葉が出なかった。
──いや、考えないようにしていただけだ。
「……透?」
思考が停止してしまった透を、心配そうに守は覗き込んでくる。ハッとして透は、首を横に振った。
「それはないよ。大体、オレもしんちゃんも男だし」
「……そうか?」
「そうだよ。……いきなり何を言い出すのかと思った」
透は誤魔化すように笑うと、守はそうか、と言ってそれ以上何も言わなかった。
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