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第11話

「……」  嫌なことを思い出した、と透は布団から起き上がる。頭が重くて身体もだるい。  小さい頃の伸也との記憶ならいくらでも思い出したいけれど、両親のことは正直記憶から抹殺したい。 『どうせ何もできないんだから、家を出ていったってすぐに帰ってくるだけ。やってみろよ、できるものならな』  伸也の家に転がり込む時に、父親に言われた言葉だ。自分が何もできないのは百も承知だけれど、そんな言葉を毎日浴びせに来る両親のそばに、好き好んでいようとする変態でもない。  味方は伸也だけだ。外に出れば絡まれるから、伸也だけいればいい。そう思っていたのに。けれどもう、伸也のそばにもいられない。  リビングに行くと、伸也はもう仕事へ出かけた後だった。透の分の朝食が用意されていて、『今日は遅くなるから夕飯は各自で』と綺麗な文字のメモが置かれている。  透はもそもそと朝食を食べ、後片付けをすると、ハローワークでも行くか、と出掛ける準備をした。  外に出ると日射しが強く、目が眩む。  マンションのエントランスを出ると、そこにはスマホを見ている女性がいた。待ち合わせかな、と思いながら彼女の前を通り過ぎようとしたら、声を掛けられる。 「すいません、透さん、ですよね?」  なぜ彼女が透の名前を知っているのか、と少し警戒して立ち止まった。どこかで見たことがあるような、と考えて、昨日伸也といた女性だと思い出す。  女性はあからさまに、透へ良い感情を抱いていない表情をしていた。キュッと唇を結び、透を睨んでいる。 「いい加減、伸也くんを解放してあげて」 「……え?」  思ってもみなかった言葉に、透は思わず聞き返す。 「分からないの? あなたがいるから、伸也くんは色んなことを我慢してるの」 「オレが?」 「そう。親に虐待されてたか何だか知らないけど、助けたら懐かれて困ってるって。彼女と家でゆっくりすることもできないって」 「……」  何を言われているのか分からなかった。唐突のことで思考が停止してしまった頭で、一生懸命考える。 (しんちゃんが、俺に懐かれて困ってるって?) 「伸也くんの人生、邪魔してるのよあなた。自覚ないの? いい加減どっか行って」  強い語気で言う女性は、後半に思わず自分の本音が出てしまったようだけれど、ショックを受けた透は気付かなかった。 (オレが、しんちゃんの人生を邪魔してる……? 彼女ができたら家を出ていくつもりだったけど……)  それではダメなのか。 「え、何? まさかとは思うけど、伸也くんのこと、好きとか言わないよね、男なのに」 「……っ」  透は思わず息を詰めると、女性の顔はますます険しくなる。 「そんな好意を向けられても、迷惑だって分からないの?」  彼女は止まらなくなったのか、両手の拳をめいっぱい握りしめて、透をまた睨んだ。透はなぜ、このひとがそんなことを言うのだろう? と高鳴る心臓に胸が痛くなってきた時、彼女は一歩、透に近付いた。 「伸也くんから聞いてるの。ただの幼なじみなのに、僕らの関係はそれを超えてるって……自立してくれって伝えてるのにって……!」  透はなぜか、震えている彼女の拳ばかり見ていた。ああ、この子は伸也のことが好きなのだな、と悟ってしまう。 「男のくせに伸也くんの周り、うろちょろしないでよね!」  気が付くと、目の前の彼女はボロボロと泣いていた。必死で涙を堪え、零さないように目と鼻を真っ赤にしながら、透を見据えてくる。  ああそうか。この子がいるから、伸也は自分に自立してくれと言ってきたのだ。自分がいると、デートもままならないから──自分が邪魔だから。  透は口角を上げた。 「えっと……うん、分かりました。丁度出ていく準備してたんです、オレもあなたの言う通りだと思って」  え? と驚いた顔をする彼女。透の反応が意外だったようだ。透はますます優しい顔を作る。 「もう邪魔はしませんから……しんちゃ、……伸也くんと仲良くしてください」  じゃあ、と透は彼女の横を通り過ぎた。心臓が爆発しそうな程早く動いているのに、なぜか頭は冴えていて、透はスマホを取り出すとある人物へと電話を掛ける。 『もしもし? 透か? お前今まで何してた?』  相手はすぐに電話に出て、矢継ぎ早に質問をしてきた。透は笑ってごめんごめんと言うと、相手は少し冷静さを取り戻したようだ、どうした? と尋ねてくる。 「悪い守。今晩そっちに泊まらせてくれない?」 『良いけど……ちゃんと話をしてくれるんだろうな?』 「ああうん、それはもちろん」  相手は守だ。大学に行かなくなってからずっと、彼からの連絡を無視しておいて、こういう時には頼るのかと自嘲したけれど、今日の今日で頼れるのは彼しかいない。ましてや実家なんて帰りたくない。  透は守が在宅している時間を尋ね、夕方にはいるとのことだったので、まずはハローワークに行くことにする。  まだ大丈夫。身体は動く。  いつかちゃんと独り立ちできたら、伸也のことも振り切れるはず。  透は胸につかえた何かを、唾を飲み込んで流そうとした。けれど、それはなかなか流れない。肌がザワザワして、神経が勝手に昂っていくのを感じ、ぎゅっと拳を握る。  この身体の反応は、ストレスを感じた時のものだ。伸也に抱きしめてもらえばすぐに治まるけれど、それも当の本人から拒否されてしまっている。  それにもう、彼の家には戻れない。伸也の邪魔はしたくない。 (おさまれ……)  これを放っておいたら、よくないことになりそうだけれど、透にはその解決方法が分からなかった。  目眩を起こしそうなほどの身体の不快感に耐えながら、透は目的の場所へと向かうのだった。

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