11 / 39
第11話
「……」
嫌なことを思い出した、と透は布団から起き上がる。頭が重くて身体もだるい。
小さい頃の伸也との記憶ならいくらでも思い出したいけれど、両親のことは正直記憶から抹殺したい。
『どうせ何もできないんだから、家を出ていったってすぐに帰ってくるだけ。やってみろよ、できるものならな』
伸也の家に転がり込む時に、父親に言われた言葉だ。自分が何もできないのは百も承知だけれど、そんな言葉を毎日浴びせに来る両親のそばに、好き好んでいようとする変態でもない。
味方は伸也だけだ。外に出れば絡まれるから、伸也だけいればいい。そう思っていたのに。けれどもう、伸也のそばにもいられない。
リビングに行くと、伸也はもう仕事へ出かけた後だった。透の分の朝食が用意されていて、『今日は遅くなるから夕飯は各自で』と綺麗な文字のメモが置かれている。
透はもそもそと朝食を食べ、後片付けをすると、ハローワークでも行くか、と出掛ける準備をした。
外に出ると日射しが強く、目が眩む。
マンションのエントランスを出ると、そこにはスマホを見ている女性がいた。待ち合わせかな、と思いながら彼女の前を通り過ぎようとしたら、声を掛けられる。
「すいません、透さん、ですよね?」
なぜ彼女が透の名前を知っているのか、と少し警戒して立ち止まった。どこかで見たことがあるような、と考えて、昨日伸也といた女性だと思い出す。
女性はあからさまに、透へ良い感情を抱いていない表情をしていた。キュッと唇を結び、透を睨んでいる。
「いい加減、伸也くんを解放してあげて」
「……え?」
思ってもみなかった言葉に、透は思わず聞き返す。
「分からないの? あなたがいるから、伸也くんは色んなことを我慢してるの」
「オレが?」
「そう。親に虐待されてたか何だか知らないけど、助けたら懐かれて困ってるって。彼女と家でゆっくりすることもできないって」
「……」
何を言われているのか分からなかった。唐突のことで思考が停止してしまった頭で、一生懸命考える。
(しんちゃんが、俺に懐かれて困ってるって?)
「伸也くんの人生、邪魔してるのよあなた。自覚ないの? いい加減どっか行って」
強い語気で言う女性は、後半に思わず自分の本音が出てしまったようだけれど、ショックを受けた透は気付かなかった。
(オレが、しんちゃんの人生を邪魔してる……? 彼女ができたら家を出ていくつもりだったけど……)
それではダメなのか。
「え、何? まさかとは思うけど、伸也くんのこと、好きとか言わないよね、男なのに」
「……っ」
透は思わず息を詰めると、女性の顔はますます険しくなる。
「そんな好意を向けられても、迷惑だって分からないの?」
彼女は止まらなくなったのか、両手の拳をめいっぱい握りしめて、透をまた睨んだ。透はなぜ、このひとがそんなことを言うのだろう? と高鳴る心臓に胸が痛くなってきた時、彼女は一歩、透に近付いた。
「伸也くんから聞いてるの。ただの幼なじみなのに、僕らの関係はそれを超えてるって……自立してくれって伝えてるのにって……!」
透はなぜか、震えている彼女の拳ばかり見ていた。ああ、この子は伸也のことが好きなのだな、と悟ってしまう。
「男のくせに伸也くんの周り、うろちょろしないでよね!」
気が付くと、目の前の彼女はボロボロと泣いていた。必死で涙を堪え、零さないように目と鼻を真っ赤にしながら、透を見据えてくる。
ああそうか。この子がいるから、伸也は自分に自立してくれと言ってきたのだ。自分がいると、デートもままならないから──自分が邪魔だから。
透は口角を上げた。
「えっと……うん、分かりました。丁度出ていく準備してたんです、オレもあなたの言う通りだと思って」
え? と驚いた顔をする彼女。透の反応が意外だったようだ。透はますます優しい顔を作る。
「もう邪魔はしませんから……しんちゃ、……伸也くんと仲良くしてください」
じゃあ、と透は彼女の横を通り過ぎた。心臓が爆発しそうな程早く動いているのに、なぜか頭は冴えていて、透はスマホを取り出すとある人物へと電話を掛ける。
『もしもし? 透か? お前今まで何してた?』
相手はすぐに電話に出て、矢継ぎ早に質問をしてきた。透は笑ってごめんごめんと言うと、相手は少し冷静さを取り戻したようだ、どうした? と尋ねてくる。
「悪い守。今晩そっちに泊まらせてくれない?」
『良いけど……ちゃんと話をしてくれるんだろうな?』
「ああうん、それはもちろん」
相手は守だ。大学に行かなくなってからずっと、彼からの連絡を無視しておいて、こういう時には頼るのかと自嘲したけれど、今日の今日で頼れるのは彼しかいない。ましてや実家なんて帰りたくない。
透は守が在宅している時間を尋ね、夕方にはいるとのことだったので、まずはハローワークに行くことにする。
まだ大丈夫。身体は動く。
いつかちゃんと独り立ちできたら、伸也のことも振り切れるはず。
透は胸につかえた何かを、唾を飲み込んで流そうとした。けれど、それはなかなか流れない。肌がザワザワして、神経が勝手に昂っていくのを感じ、ぎゅっと拳を握る。
この身体の反応は、ストレスを感じた時のものだ。伸也に抱きしめてもらえばすぐに治まるけれど、それも当の本人から拒否されてしまっている。
それにもう、彼の家には戻れない。伸也の邪魔はしたくない。
(おさまれ……)
これを放っておいたら、よくないことになりそうだけれど、透にはその解決方法が分からなかった。
目眩を起こしそうなほどの身体の不快感に耐えながら、透は目的の場所へと向かうのだった。
ともだちにシェアしよう!