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第17話
数週間後、【アジタート】に透の姿はあった。九月に入っても続く真夏日同様、店内も大音量の音楽と共に盛り上がっていて、透は重い足取りでカウンター席に座る。
「あれ? しばらく見ないと思ってたら。なんか久しぶりだな」
来店に気付いたらしいリンが早速声を掛けてきた。透はまいったよ、とカウンターテーブルに突っ伏す。
「風邪引いてさぁ。ユーイチさんが泊めてくれたから助かったけど」
透にとって、寝泊まりできることは重要だ。体調にも左右するのは当然だけれど、一度公園で寝泊まりしていたら、襲われた経験があるからだ。
高熱と節々の痛みが続く風邪はインフルエンザのようだったけれど、季節的にも検査的にも白だったので、大人しくユーイチの家にお世話になっていた。今日も、体調は元通りとは言わないけれど、外に出る元気が出てきたので店に来た、という訳だ。
「気をつけろよー? 俺らみたいなのは、身体壊したらひとたまりもないから」
「それは今回身をもって知った。やっぱり若いうちしかできないよ、これは」
リンとそんな風にしみじみ語る。個人でやるのも限界があるな、と透は思う。けれど、お前はそれでもかなり恵まれている方だと、リンは酒をあおった。
「俺みたいにパッとしないやつは、店でもなかなか選んでもらえないからねぇ」
それに、とリンは嫌そうに口を尖らせる。
「最近じゃ、学費稼ぐためにやってるヤツもいるだろ? もうね、そいつらの必死さったらすごいの」
社会人になるのが面倒臭いと、ドロップアウトしてダラダラしていたら、いつの間にかこの界隈に来ていたというリンは、そんな彼らの必死さを笑った。
本気はダサいと笑うリンだが、ただの馴れ合いの仲なので、透は何も言わずに話を合わせておく。どちらにしろ、この界隈にいるひとは一筋縄ではいかないのだ。
人間の、一番汚いものを見ても動じない、天気の話のようにそんなことあったよね、と話すようなひとたちだ。ここではそれが当たり前だから。
そして透は、まだ誰にも触れさせていない、柔らかな物を最奥に隠して生活している。身体は汚れてしまったけれど、そこだけは誰にも汚されないように。
そう思って苦笑した。先日リョウスケに会った後から、妙に感傷的になってしまうな、と。
(……もう会うことはないんだから、いい加減断ち切れっての……)
そう自分に言い聞かせ、コークハイを飲もうとグラスに口を付けた時だった。透の視界に、ある男性の姿が入ってくる。そして彼と目が合いそうになって、慌てて視線を逸らした。
いやまさか。どうして彼がここに?
心臓が大きく脈打つ。見間違いでなければ、透が最も会いたくて、最も会いたくない人だった。彼がこちらに来る気配がして、透は何とか平常心を装う。
「透……やっと見つけた……」
聞き覚えのある、いや、まさに今考えていた相手の声がして、透は逸らした視線を動かせなかった。
(しんちゃん……こんな所で会うなんて……)
この店はゲイが交流したり、欲望のはけ口を探したりする場所だ。こんな場所にいる自分を見られたくなくて、とある感情が湧き上がってくる。
自分は汚れている。伸也に釣り合う人間ではないのだと。だからこの想いごといっそ、存在を消してしまいたい、と。
それでも透は笑顔で伸也を見た。三年経っても伸也は変わらない雰囲気を醸 し出していて、それが透をどうしようもなく苛立たせる。あの時伸也が突き放したせいで、自分は散々な目に遭って汚れざるをえなかったのに、と。
そしてどうして今、しかもこの店で再会してしまうのか、と。
「しんちゃんじゃん、久しぶり。どーしたの?」
「どうしたの、じゃない。急にいなくなったら、心配するだろ?」
敢えて明るく言う透に、伸也はやはり眉根を寄せた。隣にいたリンが割って入ってくる。
「誰? 知り合い?」
「ん? 幼なじみ。しんちゃん、ここどういうお店か知ってんの? 分かってて入ってる?」
あ、それとも相手を探しに入ってきたとか? と笑う透を、伸也は強い視線で睨んできた。以前はそれだけで怯んだ透だが、今は軽く無視できる。
「知ってる。透がここの常連だっていうのも」
「うわぁ、キモ!」
声を上げたのはリンだ。そこまでして会いに来るとか、ストーカーじゃん、とゲラゲラ笑っている。
しかし伸也は変わらず透を睨んでいた。
「透、話がある」
「げ、まさか本気の告白? 透、どーすんだよ?」
リンは心底嫌そうに言うが、これは透も同感だ。自分から突き放しておいて、今更探していたとか、都合が良すぎる。
「んー……いやオレ、可愛いだろ? 一人に絞ったらみんな悲しむじゃん?」
伸也ではなく、リンに目線を合わせて言うと、今度こそ本気で怒ったような、伸也の声がした。透は今まで浮かべていた笑顔を消し、伸也を見下すように顎を上げる。
「突き放したのはしんちゃんだろ? じゃ、オレは今晩の宿を探すから」
しんちゃんも早めにここを出なよ、と手を振って席を立つと、あ、と思い出したように伸也に微笑みかけた。
「ここではしんちゃんモテないだろうから、女の子がいる店に行った方がいいよ」
「──透……っ!」
パシッと乾いた音がすると同時に、左頬に衝撃が走った。ジンジンと痛み熱くなっていく頬を、押さえもせず伸也を見ると、彼は今までに見たことがないくらい怒っている。
「おじさんにどうして会いに行かなかった?」
伸也は握った拳を震わせていた。透は感情を奥にしまい込み、無表情で彼を見る。
「どうした? 透」
また横から会話に入ってきたのはタクトだ。彼は服の上からでも分かる、バランスのとれた身体に、髪のツヤも肌ツヤもいい、人目を引く外見をしていた。彼は透の腰を抱くと自分の方へ引き寄せる。
「あ、タクト~。どうしたの? 何か久しぶり」
透は態度をころりと変えて、わざとタクトに抱きついた。擦り寄るようにしてタクトを見上げると、彼は「久々に休みが取れた」と笑う。
「そうなの? セクシー男優さんも忙しいね。ねぇ、今晩の宿を探してるんだけど、どう?」
思い切り甘えた声で、以前は伸也にしか見せなかった表情で、透は甘えてみせる。伸也にわざと見せつけるのだ。
「もちろん。透が何か困ってそうだったからね」
「ありがとう! 大好きー!」
そう言って透は更に抱きつくと、タクトは透にキスをした。軽いキスが何回か続き、それは次第に深くなっていく。
「んん……」
透は鼻にかかった甘い声を出した。もちろん、そばで見ている伸也を意識してのことだ。
(……見ろよ、もっと見ろ)
透はそう思って、タクトの首にしがみつく。最も熱く、卑猥なキスを見せてやる、と。
リンが「ここでおっぱじめるなよー」と呆れた声で言っている。透はキスをしながら、伸也をちらりと見た。彼と目が合った瞬間、伸也はハッとしたようにその場を去っていく。
そうだ、それでいい。
透はタクトから離れると、彼に再び擦り寄る。
いっそのこと、とことん嫌ってくれ、と透は自嘲した。
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