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第18話
しかし、伸也を追い返せたのはどうやら一時的なものだったようだ。次の日も、そのまた次の日も彼は【アジタート】にやってきて、透と話をしようとしてくる。
「じゃあ話って何? ここで話してよ」
うんざりして透はそう言う。しかし言葉とは裏腹に、透はカウンターテーブルに肘をついて、伸也を誘うような表情をした。目で、表情で、貴方が好きだ、貴方が欲しいと語る。すると彼はやはり、気まずそうに視線を逸らすのだ。
この界隈では自然と行われる駆け引きに、当たり前だが伸也は慣れていない。
「透……お前、ウチを出てから何してた? さすがにおじさんの葬儀には顔を出すかと……」
「人に聞く前に、自分のこと話したらー? 何の取り柄もないただの学生が、仕事もお金も持たずに飛び出して、【アジタート 】で再会してるんだから、ちょっと想像すれば分かるでしょ?」
透は伸也の言葉を遮り、敢えて突き放すように言う。けれど熱を帯びた視線と表情は変えない。すると伸也はやはり戸惑った表情をする。それが面白くて、透はクスクスと笑った。
「……にしても、毎日ここに来るとか、しんちゃんも暇だよね。彼女はどーしたの?」
「彼女?」
父親の話など、今更したくないので話題を逸らすと、伸也は透を見た。その表情が訝しげに変わったので、コークハイで喉を潤し「そう」と頷く。
「いたでしょ、彼女。オレが出て行った頃」
ニッコリと笑うと、伸也は逆に青ざめていった。そして大きなため息をつき、頭を抱えてしまう。透としてはカマをかけたつもりだったけれど、彼の反応に、本当にあの子は彼女だったんだ、と少ししらけた。
あの時透を突き放したのは、彼女がいたからなんだ、と。
思えば不自然なほど仕事が遅かった日もあったし、スーツを着て一緒に歩いていた。ということは、同じ会社のひとだったのかもしれない。
「透……ごめん」
頭を抱えながら、伸也は呟く。その声は泣きそうに震えていた。
だから透はムカついた。どうして伸也が泣きそうなのか、と。何に対して謝っているのか、と。
「それは何に対しての謝罪?」
「透、もうこの生活止めて、ウチへ帰ろう?」
「無理。オレ昨日働く店決まったから」
透はつっけんどんに返す。やはり個人で客を集めることに限界を感じたのだ。幸い人気店で働けることになったし、下宿先も手配してもらえることになった。
先程から、伸也は透の質問に答えない。だったら透も、伸也の言うことを聞く必要はないだろう。
「話があるんじゃなかったの? さっきからオレの質問に答えてくれてないけど」
「……」
伸也は頭を抱えた腕を外し、顔を上げた。けれどその視線は合わず、彼は大きくため息をつく。
「……心配してたんだ、本当に。そしたらこんな所にいるから……」
「何で? オレ、ちゃんと自立してるでしょ?」
なのにどうしてそんなに悲しい顔をするのだ、と透はそんな表情を見せる。伸也の望む通り、彼の家を出て生活しているのに。突き放しておいて、どうして心配なんかするのだろうか。
「こういうことじゃない……」
「じゃあどういうこと?」
透はそう言って、わざと本当に分からない、とでも言うような表情をする。
でも知っている。伸也はちゃんと、世間一般に認められるような仕事に就けと言いたいのだ。こちらの事情も知らずに。
一番大事な人に──このひとしかいないと思っていた相手に、突き放された痛みの報復をしてやろうと、透は笑う。
「ねぇしんちゃん。オレ、家族仲悪いの知ってたでしょ? 父さんが死んだことなんて、どうでもいいし、母さんなんてもっとどうでもいい」
「……」
「それにね、オレ、しんちゃんの彼女に言われたんだ。しんちゃんが彼女とまともに遊べないから、離れて欲しいって。そうしんちゃんが言ってるって」
伸也が目を見開いた。
「僕はそんなこと言ってない……!」
弾かれたように言う彼は、嘘を言っている顔ではなかった。それは長年幼なじみをやっていた勘で分かる。唇を震わせる彼に、透は「そう」と素っ気なく返すと、にっこりと笑った。
「どっちでもいいよ。彼女の本音だろうが、しんちゃんの本音だろうが」
「透……っ!」
そう言って、立ち上がろうとしたその時、伸也が透の左手首を袖の上から掴んだ。その瞬間、身の毛がよだつような悪寒がぞわりと駆け巡り、透はその手を乱暴に振り払う。
透は伸也を睨んだ。呆然とした伸也の顔は、まさか振り払われると思っていなかったのだろう。
「透……ごめ……」
「勝手に触らないでくれる?」
後から顔がジワジワと熱くなった。驚いた心臓が忙しく動いている。その身体の反応に、透はイライラが抑えられなくなった。
「透、ごめん。こうなったのは僕の責任で……」
「勝手に責任放棄したくせに、今更なに? しんちゃんは、オレを呼び戻して何がしたいの?」
透がそう言うと、伸也はきゅっと唇を結んだ。そして決意したように顔をこちらに向け、黒い、真っ直ぐな瞳で透を見る。
「……前みたいに、一緒に過ごしたい。今度はお互い依存じゃなく、対等な、健全な関係で」
透がこうなってしまった責任を、僕が全部背負う、と静かだけれど強い意志が見える声で、伸也は言った。
透は彼の言う言葉が理解できずに、思考も動きも止まってしまう。
あの時、透は伸也を必要としていて、それを彼も気付いていたはず。その上で彼女ができた途端突き放し、透は路頭に迷うことになったのだ。
それが今度は責任を取るだって? 都合がいいにも程がある。
「……彼女はいいのかよ?」
「別れた」
それを聞いて、透は笑いが込み上げてきた。俯き堪えていたけれど、とうとう吹き出してしまい、大声でお腹を抱えて笑う。
「何それ本気!? 都合がいいにも程があるでしょ、しんちゃん……!」
ああおかしい、と透は涙目になった目尻を拭った。しかし伸也は、まだ真っ直ぐ透を見つめている。その真面目な顔がおかしくて、ああこれは、リンのことを自分もバカにできないな、と思った。
「あ、でも? 週三でヤらせてくれるなら戻ってもいーよ?」
透はケラケラ笑いながらそう言って、あ、でも週三だとオレ足りないかもー、と無邪気な笑顔を見せた。けれど先程まで戸惑ったり、視線を逸らしたりしていた伸也は、動じずに透を見てくる。途端にしらけた透は、そろそろ行かなきゃ、とカウンターチェアからひょい、と降りた。
そして挨拶もせずに背中を向けると、後ろから伸也の声がする。
「透が戻るまで、僕は諦めないから」
透は振り返ってにこりと笑った。
「あっそ。せいぜい頑張ってね」
じゃ、とひらひら手を振って、透は店を後にする。
外に出ると、夜のネオンがやけに眩しく感じた。
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