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第27話
それから、透は隙を見て伸也にキスをねだるけれど、彼はキス以外のことはしなかった。そのおかげなのか、自己破壊衝動は全く起こらず、安定した日々を送れているので、いいと言えばいいのだけれど。
とはいえ、まだまだ透は完全に伸也に頼りっぱなしの日々だ。気分もいいし、就職活動をしようとスマホを眺めていたら、知らない番号から電話が掛かってきた。無視しておけば良かったものの、この時は何となく通話に応じてしまったのだ。
「……はい」
『あ、透? 久しぶりねぇ元気にしてる?』
声を聞くなりしまったと透は思う。その声は母親のものだったからだ。父親の葬儀の時もしつこく連絡してきたけれど、その時は登録してある前の電話番号だった。どうやら番号を変えたらしい。
そして、透に機嫌よく話しかけてくる時は、大抵透にとってよくないことが起こる。警戒しながら、何? と尋ねると、あのねぇ、と彼女は甘えた声で話す。
『透、大学まで行かせてあげたよね? そのお金、返して欲しいんだけど』
「……え?」
『え? ってどういうこと? 借金は返すもの、これ常識だよね?』
透は苦虫を噛み潰したような顔になり、やっぱり借りを作りたかっただけか、と思う。
「借金って……じゃあ借用書は?」
『……は? 何言ってんの? 今まで育ててもらって、普通そういうこと言う? ホント生意気な子だよね、あんた』
「……母さんに育ててもらった覚えはないけど」
透はほぼ事実を告げた。透の面倒を見てくれたのは伸也だし、透が彼の家に入り浸っていても、泊まっても何も言ってこなかった。思い出したように家に連れ戻し、世間体だけ気にして透をいいように扱っていただけなのに。
『とにかく、毎月十万? いままだ伸也くんの家にいるよね? 取りに行くから』
「待って、それじゃあしんちゃんに迷惑がかかる。大体久しぶりに連絡してきてそれ? 他に言うことないの?」
『他? 他って何? あんたは今までの恩を、お金で返す義務があるの。分かる? あんたにどれだけつぎ込んだか。なのに何もできやしないナマクラなんだから……ほんと、産まなきゃ良かった』
心底呆れた母親の声に、透は目眩がする。
『大きく育ててやっただけ感謝するもんでしょ? じゃ、明日取りに行くから』
言うだけ言って切れた通話に、透は反応ができなかった。
◇◇
「……」
透が目を覚ますと、そこは伸也の家だった。温かいのは伸也だろう、と顔を上げると、やはり彼が透を抱きしめている。その顔は穏やかに眠っているけれど、場所は寝室でもなくリビングでもなく、キッチンだった。どうしてこんな所に、と不思議に思っていると、自分の手や袖、伸也の服、床が濡れていることに気付く。
「ん、……透……起きた?」
「しんちゃん……オレ……」
また迷惑掛けた、と眉を下げると、伸也はニッコリ微笑んだ。
「我慢できたよ。えらいね」
「え……」
聞けば、透はまた意識を飛ばしたらしいが、伸也にまず電話を掛けて助けを請い、その間に冷蔵庫の製氷機から氷を引っ掴んで握りしめ、自己破壊衝動を抑えていたらしい。濡れていたのはそのせいか、と納得するけれど、記憶がないのでにわかには信じがたい。
氷を握りしめるのは、自傷行為の代替法として医師から提案されたもののひとつだ。記憶が曖昧なのにそこまでできるかなと不安はあったものの、しっかりと伸也に助けを求めることまでできたのだから、上出来と言えよう。
「何かあったの?」
「……そうだ。しんちゃん、母さんが今までのお金を返せって。ここに取りに来るって……」
透が記憶を飛ばす──解離するきっかけも、通院する中で分かってきた。透の存在が否定された時や、存在意義が揺らいだ時、びっくりするような大声を聞いた時だ。どうやら幼い時から、両親に言われ続けてきた言葉が、透のトラウマとなっているらしい。
「おばさんが? ……それはまた厄介だね」
伸也は、だから透がこの状態だったのか、と納得していた。一番いいのは、ストレス源から逃げることだけれど、親となれば難しいこともよくある話だ。
「透、おばさんにここの住所は教えてるの?」
「う、ごめん……それが条件のひとつだったんだ」
母親が透の動向を知りたがるのは、世間体を気にしているのと、いざと言う時に使える都合いい人間が欲しいからだ。悲しいかな、透はそれを愛だと思っていたことがあった。
考えれば考えるほど、自分の両親が普通とは違うと思うのは辛かった。あんな親でも、いつかちゃんと自分を見てくれるんじゃないかと期待していた。けれど、いくら自棄になっても彼らは変わらない。そばにいてくれたのは、伸也だけだ。
伸也は分かった、と透を抱きしめ直す。先生に今日のこと報告しないとね、と嬉しそうに言い、おばさんに電話してくる、と立ち上がった。
「えっ、そんなことしたら、しんちゃんまで嫌なことされるよ?」
「大丈夫、事実を告げるだけだよ。それでも分からなかったら警察か、然るべき所に相談するって伝えるから」
それって半分脅しじゃあ、と透は呟くけれど、透の立場を利用して、脅してお金をせびって来てるのは向こうでしょ、と返され、本当だ、と腑に落ちる。
「透、大丈夫。僕が守るから……子供の時と違って、今なら透の正しい守り方を知ってるから」
そう言って微笑む伸也は、いつもと少し違って見えた。優しいだけじゃなく強さも感じるその顔は、今までになかった顔だ。離れていた三年間、彼もまた流されるまま生きていた訳じゃない、と知れる。
透はその三年間を、知りたいと思った。
好きな人が、絶対的な安心感でそばにいてくれる。それがどれだけ心強いかを今知った。それなら、透がやることはただ一つだ。
「ありがとうしんちゃん。オレ、ちゃんと治療するよ」
もちろん今までも真剣に取り組んでいた。けれどまだハッキリしないが見えた目標みたいなものに、透は心が温かくなっている。そしてそれはたぶん、透の為にもなるし、伸也のためにもなる。
「うん。……でも、頑張りすぎないでね」
そう言って頭を撫でてくれた伸也。透は立ち上がり、伸也に抱きつくと、その頬に軽くキスをした。
「大好き、しんちゃん」
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