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第五話 絵みたいに時は止まっておそるおそる顔を上げると良き兵士がいた
夏が終わりかけ、秋めく日も増えてきた。まだまだ残暑は厳しいものの、夏の盛りに比べれば、日が落ちるのが早くなってきた気がする。
仕事を終え自宅に帰ると、ダイニングテーブルに求宛の封筒が置いてあった。
かなり分厚い。
急に心臓が強く鼓動した。
大学受験のときを思い出した。不合格だとはがき一枚だけの簡素な知らせ。合格だったら、分厚くて書類が色々入った封筒が届いた。
これは。
差出人は、『バラとガーデニング展20XX』出店者用案内。
どきどきしながら封を開ける。
あなたは『バラとガーデニング展20XX』コンテストガーデン部門一次審査を通過しました。
「~~~~~~っ!」
求はぎゅっと目を閉じて封筒を抱きしめた。
そして、思いっきり息を吐き出す。
嬉しい、というよりは安堵に近かった。
求はそのまま二階に上がり、多喜夜の部屋をノックした。
「多喜夜さん! 多喜夜さん!」
近所迷惑や力加減を考えず、思いっきりノックしたので多喜夜が慌てて出てきた。
「うるさい」
「一次審査通ったよ!」
多喜夜はああ、と興味なさそうな声を出した。
「……オレ、頑張るよ、これを形にできるように」
真っ直ぐな瞳で彼に告げると、くるりと扉に背を向けて、一階に降りていった。
毎年五月に行われる『バラとガーデニング展』のコンテストガーデン部門、これは一般人でも応募することができる。しかし大抵はガーデニングの専門店だったり一般の家庭のガーデニングを請け負っている工務店が自社の宣伝のために応募するもので、企業でない一般人が応募することは珍しい。事実、去年の応募者は「○○ガーデニング事務所」「有限会社〇〇工務店」のような名前ばかりだ。しかし、求はこれに個人として応募することにした。恵子を倒す、というと物騒だが、ガーデニングをしている人間として、彼女に近づくためだ。企業名も屋号もないから、出店名は何の飾りもない「夏来求」とそれだけだ。
一次審査は作る庭のコンセプトとイラストで応募する書類審査である。イラストは多喜夜に描いてもらった。オレの作る庭が見たいなら協力してほしいと無理なことを言って。はじめは難色を示されたが、とうとう根負けして描いてくれたのだ。
求がコンセプトとイメージを多喜夜に語って聞かせ、彼が描く。
完成した絵を見たあと、
「オレの言うことわかりにくかった?」
と聞いたら
「いや、具体的で助かった」
と言われた。ここに○○の○○色の花を何本、ここにはつるバラを、など、かなり細かく指定した。
問題は、これを形にできるか、だが。
一つ、求が気づいたこと、いや確信したことがあった。
嵐の日に求が見た作者名のない画集、あれは多喜夜の絵の画集だ。絵のことは詳しくないが、同じ人が描いた絵だと思った。
*
次の日、求はさっそく中本のところに相談に向かった。
コンテストガーデン部門は、企画書に描いたガーデンを実現しなくてはいけない。与えられる土地の広さは決まっているが、かなり広い。企画書では一軒家の庭であったりカフェの庭であったりとそれぞれ設定がある。つまり、その家、ないしカフェを建てなくてはいけない。実際には一軒家を建てるわけではなく(それはさすがに難しい)壁だけだったり、例えばカフェなら入り口を。そしてカフェらしい看板も作ったりする。それを手作りすることは一人の力では難しいので施工会社に依頼することになる。
求にはそのつてが全くない。求に今あるのは、それを建てられる場所だけだ。
そういうわけで、中本に相談することにした。
「相談って言うけど、ほとんど丸投げじゃないか」
「頼むよ、お前しか頼れるやつがいないんだ」
「まあ、相談できるところはいくつか知ってるけどさ……」
「仲介手数料は安くしてくれ! げんこつハンバーグおごるから!」
中本がいくつか電話をしてくれて、来週建物の施工会社と会うことになった。そして必要な植物はこのホームセンターで買うように仕入れてもらうつもりだ。
求は中本にも企画書のコンセプトをアツく説明した。
「キュウちゃん、お金大丈夫なの?」
求の壮大な世界観を聞いて、中本から返ってきたのは現実的な問いだ。
「……。大丈夫!」
求はどんと胸を叩いた。
数日後、多喜夜がリビングを通りかかると、ダイニングテーブルで頭を抱えている求がいた。テーブルには一枚の書類が置いてある。
「どうした?」
多喜夜が声をかけると、求は慌てて書類を隠して、なんでもないよ、と言った。0点のテストを親に隠す子どものようだな、と思ったが、親ではないので無理に問いただすことはしない。
多喜夜が去ってから、求は改めて見積書を見た。
何度見ても金額が変わることはない。舞台の設置、植物の仕入れ、そして当日会場での設営。
これを含めた金額は一人の人間が趣味でポンと出せる金額ではない。ではない、が、求が今まで働いて貯めた金額の範囲には収まっている。つまり、金はある。
しかし、一度きりだ。
来年同じことはできない。今年でこの金がなくなってしまうからだ。貯金はまたするが、もちろん一年では厳しい金額だ。コンテストに出場する他の団体は、企業の宣伝として参加しているところがほとんどだ。つまり、その金はなくなるが、宣伝広告費という経費として計上できるし、それをきっかけに依頼人が増えれば結果的にはかけた金が回収できる。コンテストで入賞したデザイン会社となれば客からの依頼も増えるだろう。
しかし求はあくまで趣味でガーデニングを行っているただ一人の人間だ。それがこんなことをして目立ったところで、いったい何になるのだろう。
もちろん、来年同じコンテストに出す必要はないし、同じイベントにも安価で出せる寄植えのコンテストなどはあるが。それならば今年だってコンテストガーデンに出す必要はない。
つまるところ、この先自分はガーデナーとしてやっていくのか?
求はそれを自分に問いかけていた。
*
週末、求が仕事から帰ると自宅に知らない車が停まっていた。
真っ黒なセダンタイプの車だ。誰か来ているのだろうが、全く思い当たるところがない。もちろん、自分にではなく多喜夜に会いに来ているのだろうが、どんな人が多喜夜に会いにくるのか想像できなかった。
おそるおそる玄関のドアを開けて、家に入る。顔を見せたほうがいいのか見せないほうがいいのか迷ったが、リビングには誰もいなかった。きょろきょろしていると、庭の方から話し声が聞こえて、多喜夜ともう一人、同じくらいの背丈の男性が立っている。
「あ」
多喜夜ではない方が求に気づいて、彼ににこりと笑いかけた。仕事帰りにそのまま来たのか、ワイシャツを着たさわやかなビジネスマンで、陰鬱な多喜夜と雰囲気が全く違うので戸惑った。
「やっぱり! 絶対そうだと思ったんだ! どうせ、みんな俺を捨てて若いやつを選ぶんだ!」
嘆きながら、しかしまったく辛そうに見えない様子で多喜夜にもたれかかって泣くふりをしている。
「いやそれ、僕が昔お前に言った言葉……」
多喜夜は呆れているが触れている彼を拒もうとはしていない。
「はじめまして。田端橋と言います」
おとこは、多喜夜から離れるといつの間にか手に持っていた革の名刺入れから一枚紙を取り出した。
「多喜夜から五億年ぶりにLINEが来たと思ったら、『好きな人ができた』って言うから飛んできたんだ。すごく、きれいな瞳をしているね」
何が出てくるのかと思ったが、当たり前に名刺だった。
「えと……」
「きみのおかげで、多喜夜の『元彼氏』になったおとこです」
名刺を渡した。田端橋要。求はかろうじて両手でそれを受け取った。
*
「というのは冗談。本当はきみと商談したくて来たんだ」
要はにこりと笑って、スマートフォンを取り出すと何か操作をした。
「今、メールを送ったよ」
求が自分のスマホを取り出すと、ちょうどメールが届いた。宛名は、目の前の田端橋である。どうして彼が自分のメールアドレスを知っているのかという点は置いておいて、届いたメールには本文がなく添付ファイルが一つ。
「サッカー部だったんだね」
田端橋が微笑ましく笑ったが、求はからかわれているみたいで素直にそうなんです、とは言えなかった。高校生の時、自分で考えたはじめてのメールアドレスが「natsuki¬₋soccer@」だった。それからずっと同じアドレスを使い続けているのだが、メールアドレスを教えるたびにサッカー部なの、と聞かれるので正直恥ずかしい。もうサッカーは高校でやめてしまったのに。
田端橋から送られてきたそれは見積書だった。
「当社ではこちらの金額で受付可能ですが」
求が悩んでいた、コンテストガーデンの施工。同じ内容で、最初に見積もりをとった中本に紹介してもらった会社よりもかなり安い。これならば、今回だけで貯金が尽きてしまうことはない。
「どうしてこんなに安いのか、ということですが」
要はご説明させていただきます、と言ってダイニングテーブルについた。その迷いのない動きから、ここにはじめて来たのではないのだろうな、と思った。
要はタブレットを取り出して、まずは彼の会社案内をはじめた。要が働いているのは大きく言えばイベント企画運営会社で、細かく言えばきりがないくらい色々な事業があるらしい。
その一つとして、こういった展示会の模擬建物を作ることはよくあるらしく、求が作りたかったものに似ているフェイクの建物は美術班の倉庫にあるらしい。そしてガーデニング展が終わったあとはその再現ガーデンを花ごと買い取ってくれるとのことだった。ちょうどそのころ、アイドルのグラビア撮影が予定されているらしく、その背景として再利用することを考えているそうだ。その企画がなくなったとしても似たような撮影はあるだろうし、生花を一からセットするのは高額になるため、元々あるものを利用できるとかなりありがたいそうだ。もちろん解体の面倒まで見てくれるため、求は処分費も必要ない。
多喜夜がコーヒーを淹れて二人の前に置いて、要の隣に座った。
「あと、もう一つ」
要が別の書類をタブレットに出した。
『朝雛家別荘 ガーデン年間管理費』
「これは、矢吹さんからのきみへの依頼」
求は突然恵子の名前が出てきて驚いた。
「俺も仕事の関係で矢吹さんとは繋がりがあって、連絡を取ったら、別荘の管理で困ってるって話をされてさ。ご存知、恵子さんは東京だけじゃなくて北海道・群馬・静岡と他にも色々なところの庭のプロデュースをしてるから、あそこの別荘の管理が充分できないらしい。そこで、きみのことを話して、もし君が矢吹さんの指示にそって庭の面倒を見てくれるならこれだけ払うと」
雑草を抜いて水をやるだけのアルバイト、というよりはもう少し手をかける必要がありそうだが、収入が増えるのは求にとっても願ってもいないことだ。
「矢吹さんのガーデンのメンテナンスをすることは、きみにとってもいい勉強になるだろうしね」
要はにこやかに微笑む。
「あと、俺が言うまでもないけど、きみは開業して、金を取って仕事を引き受けるガーデナーを名乗ったほうがいい。きちんと庭を作ってからなんて言っていたらいつまで経っても仕事を取れないし、せっかくこんなに大きな舞台を用意されたのだから」
言い終えると、要はコーヒーを飲んで立ち上がった。
「そういうわけで、返事はいつでもいいけど、美術班に良いものをキープしてもらう必要があるから一ヶ月くらいで連絡をもらえると嬉しいな。じゃあ、じっくり検討してね」
そう言うと、多喜夜にどこかに食事に行こうと声をかけて、二人で行ってしまった。
求はあっけに取られて……最初に浮かんできた感情は、反発だった。
何なんだ何なんだ、あいつ。別に頼んでもいないことを、さもオレが困っているから手を差し伸べたみたいに。オレが何も知らないと思って親切ぶっていろいろ説明して。恵子の庭の手入れだって、オレの勉強になるから、なんてそんなの大きなお世話だ。オレは恵子の信者じゃなくてライバルなんだぞ!
むかむかと嫌な気持ちが胸に渦巻く。
多喜夜が連れて行かれたのも嫌な気分だった。彼が今まで外食をするところを見たことがないし、何も言わずについていったのも気に入らない。言葉にしなくても伝わる空気みたいなのがあったのも嫌だ。置いていかれたのも……嫌だけど、あんなやつと一緒に食事なんかしたくない!
冷蔵庫の中には多喜夜が作ってくれたおかずが入っていたが、この日はそれを食べる気にならず、冷凍チャーハン(二人前)を一袋ぜんぶ食べて、ここに来て以来はじめて帰宅後庭に出ずに部屋に閉じこもった。
ふて寝するふりをしていたら、本当に眠っていたらしい。目を覚まして、このまま寝てしまうか、シャワーを浴びるか迷っていたら部屋のドアがノックされた。
「……は、はい」
求は少し驚いて返事が遅れた。この部屋を訪ねてくる人間など今までいなかったからだ。
音もなく扉が開いて、多喜夜が入ってきた。
「……」
多喜夜は座っていいか、と尋ねてデスクの椅子に座った。
「悪かったな、驚かせて」
「あの人は?」
「帰った」
「帰ったの?」
「……いや、あいつのことだから、自分でどこか近くに宿を取って泊まって、明日このへんをぶらぶらして帰るかもしれないが……。まあここには泊められないからな」
あっさりと言って、求を見た。心配されている。
「……オレが、設営のお金が高くて悩んでたの、バレてたんだ」
「ああ……。余計なことして悪かった。あいつに少し話しただけなのに、すごく張り切ってしまって……恵子さんのところの話まで持ってくるのは驚いたけど」
「そんなことないよ。行き詰まっていたから、すごく助かった。使わせてもらうかは、もう少し考えるけど……」
二人は沈黙した。
多喜夜は出て行く気配がなかった。
「あの人と付き合ってたの?」
迷った結果、求は訊ねた。
「まあな。あいつはああ言ったけど、別に直前まで付き合ってたわけじゃない。付き合ってたり別れたり……そんな約束もなく会ったり、長い付き合いではある。こういう生活するのに助けてもらったりした。絵が売れるのもあいつのおかげ」
「どこで出会ったの?」
「えーと、いや、言うのは構わんが……知ってどうする?」
「そりゃあ、遡って出会いを阻止することはできないけど、ただ気になるから」
「普通に、大学の後輩だ。広告研究会で出会って、あいつは花形のイベント企画をやっていて、僕は表側じゃなくて、美術班で、そんなに接点があったわけじゃないし、別に特別に何かがあったわけではないけど、懐かれているな、と思ってたら告白されて……いや、なんだこれ。くだらない話だな」
多喜夜は額に手を当てた。恥ずかしがっているというか、困惑している。
「でも、多喜夜さんは、今はオレが好きなんでしょ?」
求が多喜夜をまっすぐに見た。多喜夜はますます戸惑った。
「わかってるよ! 多喜夜さんは、ああ言えばあの人がすぐにここに飛んでくることをわかってそう言ったんだってこと……、でも」
求が立ち上がって多喜夜の前に立った。
「待って」
多喜夜は彼らしくなくきっぱりと言って求を押しのけて部屋を出ようとした。
「悪いが、お前とそういう関係にはなるわけにはいかない」
「なんで? 別れたときに一緒の家にいると気まずいから?」
「別れることになったらたぶんお前は出て行くと思う。そうじゃなくて、この世界では若いおとこに手を出すというのがタブーなんだ」
「この世界ってどの世界?」
「いや、まあ……同性同士の」
「なんでタブーなの?」
「ハッピーエンドが絶対にないからだ」
思いがけない言葉に、求は次の言葉が出てこなかった。そのまま多喜夜は出て行ってしまった。
ハッピーエンド。ハッピー・エンド。って、死ぬときってこと?
多喜夜が座っていた場所をじっと見て、求はしばらく考えていた。
*
次の日、昼前に求はふらりと家を出て、向かったのは恵子の別荘だった。
彼女に会いたいわけではなかったが、外からでも庭をもう一度見てみたいと思った。自分が恵子の庭のメンテナンスをする。彼女が自分にメンテナンスを依頼しようと思ってくれたのはありがたいことだ。でも、それは恵子が求の技術を買ってくれたわけでは決してなく、求が近所に住んでいて、多少はガーデニングのことがわかる、とても都合の良い存在だっただけだ。実際、やることは水やりや花の剪定など、とくに技術がなくてもできる日々のメンテナンスだからだ。別に、求が断っても他にいくらでも人は見つけられるだろう。もっと安い時給で。
けれど、恵子の作る庭を間近で見られるというのは自分にとって良いことだ。アルバイト代だってもらえるのだ。受けない選択はない。
歩いているうちに恵子の別荘に着いたが、当然ながら門は閉ざされており、今日は車も停まっていない。そして、あまり噂になりたくないと言っていたように、外からはこの中に庭があるということがわかりにくいデザインになっていた。それでも求はきょろきょろと壁を見渡した。ふと、駅の方から誰かが歩いて来るのが見えた。客観的に見ると、この状況で自分はかなり不審な行動をしている。しかし今さっとここから離れたらその方が怪しい、と困っていたら、歩いてきたのは見覚えのある少年だった。恵子の息子の弟の方。大きめのリュックサックを背負っている。雅人はすぐに求に気づいた。
「こんにちは」
「あっ、あっ、あの、オレ、別に、怪しいものじゃなくて……」
雅人は求の前を通り過ぎると、門の鍵を開けて、そして彼を振り返った。
「入りたいんじゃないの?」
そう言ったので、入らないわけにはいかなくなった。
雅人は自由に見ていいよ、と言って家の中に入った。求は庭に向かった。前回見たときは冬だったので、盛りは少し過ぎているが、花の咲くガーデンを見るのははじめてだ。植物たちが生き生きと呼吸をしていて、居心地良く育っているのがわかる。入り口では次々と咲いたルドベキアがオレンジがかった黄色の花弁を開いてビタミンカラーに輝いている。
そこからガーデンの奥に続く道の両脇には大きなダリアが咲いている。まさに『咲き誇る』という表現がぴったりな大きく膨らんだ花に、ピンと伸びた茎。誰かに見られる必要などお構いなしにそれぞれがそれぞれに咲いている。その足元に黒い花が咲いていると思ったら、チョコレートコスモスだった。花の色は茶色がちだが、陰鬱な印象はなくかわいらしく風に揺れている。顔を近づけると、名前の由来にもなっているチョコレートの香りがかすかにする……気がした。
少し進むと、夏には真っ白な花を咲かせていたであろうアナベルというアジサイが、そのままドライフラワーとなり茶色くなっている。もうしばらくして花の部分を切り取って部屋に飾るとかわいらしくなりそうだ。
恵子本人はそう頻繁には来ていないだろうが、変に荒れていなくきれいだ。でも、こんなにきれいなのにあまり人に見られないというのが残念な気もする。そんなこと、花には関係ないのはわかっているけれど。
いつの間にか、雅人がお菓子と飲み物を抱えて近づいてきていた。奥にあるガゼボのテーブルに置く。どうぞ、と言われて、じっと見られた。もしかして警戒されているのかな、と思った。
「ええと、一人で泊まるの?」
「もうすぐ兄貴が来る」
一応未成年だし、心配になって聞いたらそう返事が帰ってきた。
「結構こっちには来てるんだね」
「あんまり。でも、三連休だから勉強に集中したくて」
「そっか。二年生だっけ? 大学に行くの? どこに行くかもう決めた?」
何気なく尋ねると、雅人は突然シュンとした。
「行くつもりだったけど……」
彼の様子を見ていると、大学へ進学するよりもやりたいことを見つけた、という前向きな様子ではなさそうだ。もしくは、そうだとしても親に反対されたのかな?
「オレも悩んでることあるからさ、一緒にそれぞれ悩もうよ」
人の家だし、雅人が持ってきた飲み物だが、求は先にテーブルにつくとグラスにアイスティーを注いで雅人の前に出してやった。
「……うち、お金あんまりないから。大学行っていいのかわからなくて」
「お金? そんなの、子どもが気にすることじゃないだろ」
求は思わずそう言った。しかし、親が日本中の庭からプロデュースを依頼され、こんな別荘まで持っている家の子どもがそんなふうに悩むのが信じられなかった。
「でも、義理の父だから」
そういえば、恵子が再婚したと言っていた気がする。
あまり父親とうまくいっていないのだろうか。とはいえ、ある程度成長した子どもに新しい父親ができたときの付き合いづらさは、求の想像力でも理解出来る気がする。それに、お金がないと彼が心配するのは、何かいじわるなことを父に言われたのだろうか。
しかし、もしそれが事実だとしたら、恵子はこの庭のメンテナンスを他人に委託している場合ではないのではないか。植える花だって、種でうまく増えればいいが、植え替えるのなら買わなくてはならず、もちろんタダではないのだし。まだ引き受けたわけではないが、求は自分が目の前の少年の悩みの原因、つまり彼から見て自分は悪の大人になった気がして、思いがけずガタガタと震えてしまった。
「夏来さんは、何を悩んでたの?」
雅人がふと顔を上げて、澄んだ目でそう尋ねた。しかし、求が不自然に震えているのでぎょっとしたようだった。
「ど、どうしたの? 熱中症? 水持ってこようか?」
「い、いや、そういうのじゃないから大丈夫」
求がそう答えたときに、駐車場に車が入ってくる音がした。
しばらくすると兄の誠人が顔を出した。肩に何かを背負っていると思ったら園芸用の培養土四十Lだった。それを庭の隅にどすんと下ろす。
「あ、夏来さん」
雅人にとって求が悪の大人なら、誠人にとっても同じだ。求は、自分を憎む若者が増えてますます逃げ出したくなった。
「いらっしゃい。ここの庭のメンテナンスをしてくださるそうで、ありがとうございます。母も喜んでました」
「え……」
「今日も、土入れ替えてくれって言われて持ってきたんだけど、俺たちも頻繁に来れるわけじゃないから。でも、これ、新しく発売になった培養土。ずっと欲しかったんだけど俺が住んでるとこだと全く売ってなくてさ。この近くのホームセンターで見つけたから嬉しくて買っちゃった」
誠人はにこやかに告げて空いているイスに座った。お菓子あるじゃん、と言ってまだ開封していなかったスナックを弟に開けさせた。しかしすぐに立ち上がると手洗ってくる、と言って部屋の中に行ってしまった。
誠人は、求が庭の管理をする話が来ていると知っていた。雅人は? 彼を見ると、少年は特に驚いた様子もなくアイスティーをすすっている。
「母さん、ここに来れないこと結構気にしてるから、夏来さんが来てくれるって喜んでた」
「そ、そうなんだ。でもまだ正式に引き受けてなくて……。オレにどれだけのことができるかわからないし……」
この家族の話題に自分が上ることがものすごく不思議だった。って、しかし求自身、それを聞かされたのが昨日なのだが、あの田端橋というおとこ、どれだけのスピードで話を進めたのだろう。
そして、誠人が培養土ではしゃいでいるのが不思議な気分だった。彼が土を買ったホームセンターは、おそらく求がいつも行っているところと同じホームセンターで、数日前に彼自身同じようにウキウキと土を買ったのだった。自分も外から見たらあんな感じに見えていたのだろうかと思うとちょっと恥ずかしい。
「兄貴、遺跡発掘の会社で働いてるんだ」
土属性なんだよね、うち。と末っ子は悟ったようにつぶやいた。
誠人は手を洗って自分のグラスに氷を入れて戻ってくると、アイスティーを注ぎスナックに手を伸ばした。
「兄貴、夏来さん、まだここのメンテンスするか決めてないんだって」
「そうなの? ぜひお願いします。あの人、ここがダメになったら生きる気力がなくなっちゃう。まあ本人が来られるのが一番楽しいんだろうけど」
二人はうんうんと深く頷いている。
求はやるともやらないとも言えなかった。
家に帰ってきたら、多喜夜が食事を作っていた。
「ねえ多喜夜さん! 昨日言ってたハッピーエンドって」
「忘れろ」
すごい顔で睨まれた。
「ハッピーエンドとか、恥ずかしい言い方……そんなふうに言うつもりはなかった……」
かなり自己嫌悪している様子だった。
「言っておくが、『やってみないとわからない』みたいなことは言うなよ。それがすでに何百万人もが不幸になったフラグの最初のひとつだからな」
「うん、わかった」
「なんでちょっと嬉しそうなんだ」
「えへへ。なんか、多喜夜さんの顔見たら元気出てきた」
求がにこにこと笑うので、多喜夜は気味が悪くなった。
「田端橋さんに連絡してもらっていいかな。御社にお願いします、って。でも、もらった見積りから、もう少し調整したい。あと、恵子さんの庭のメンテナンスもやらせてくださいって言うつもり」
「そうか……無理はするなよ」
求のことを幼い弟のように思って、多喜夜は思わず彼の頭に触れて髪をなでた。その行動に二人とも驚いて、二人は慌てて離れた。
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