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6.1 理想郷の死神

 旭の両親である晶と奏多は芸術家だった。街のはずれにある木立の中にぽつんと建てられた木の家は、外界の喧騒から静謐な空気で守られているようだった。彼らは買い物とたまの展示会以外ほとんど家から出ることはなく、子育てと芸術活動に勤しんだ。  一階の南に面したアトリエにキャンバスを置いて、その前に二人並んで座って作業をする。なぜなら、彼らはいつも二人で一枚の絵を描くからだ。  彼らの性別について、小学生の頃の旭はあまり真剣に考えたことがなかった。男と女という組み合わせの方が一般的だということは知っていたし、自分の興味の対象はやはり女の子だったが、両親のこともあり、男同士や女同士という関係もあり得るのだろう、というような認識はあった。法律が同性同士の婚姻を認めていることも知っていた。  だが小六の保健の授業で新しく覚えた「赤ちゃんができる仕組み」と「α、β、Ω」という概念によって、旭が両親を見る目は少しだけ変わった。  彼らは驚くべきことに、二人ともΩだった。Ω男性の精子は繁殖能力が弱いため、孕む側にしかならないとされていたのに、彼らはΩ同士で子供を授かったという。旭は自分がどちらの胎から生まれたのか知らされたことはなかったが、とにかくどちらかの精子はΩなのに頑張ったということだ。  もしかしたら俺の精子でも子供が作れるかもしれない。  それは、Ωという性にまだ納得できていない旭にとって、暗闇の中に光る一つの星のような、小さな希望でもあった。  振り返ってみると、旭はたまに奏多側の伯父の家へと預けられることがあった。それは大体月に一度、数日間のことだ。Ωには一月ごとに何日間か発情期がやってくる――その情報と併せて考えると、旭が伯父に預けられている間、家でどんなことが行われているのか想像するのは容易かった。彼らはたまに何か薬を飲んでいたから、きっと発情の周期を合わせようとしていたのだろう。  旭がΩであると診断されてから半年後、十三歳の誕生日を迎えた中一の秋、伯父の家の一室でゴロゴロと転がりながら、旭は家で行われているであろう情事について考えた。  純粋な日本人ではなく、半分海外の血が入っている晶は、髪も肌も瞳も色素が薄く、旭のこの薄茶色の髪や通った鼻筋は彼から受け継いでいるはずだ。一方奏多の方は純和風の清楚な人で、大きな瞳や柔らかな口元が旭へと引き継がれている。  どちらが父で、どちらが母なのか、これまでほとんど考えたこともなかった。しかし普段の生活をよくよく思い出してみると、晶の方がいつも奏多を支えて手助けしているような気がした。だからきっと、晶が男役で奏多が女役なのだろうとステレオタイプに考えた。  いつか自分にも訪れるであろう発情期が旭には怖かった。しかし両親も毎月やっていることだと思えば少しだけ気が楽になる。人形のような晶と奏多が互いを求め合う姿を想像すると、それは恐ろしいものではなく、とても綺麗なものに思えた。  息子である旭がそう思ってしまうほど、彼らはとにかく美しかった。外見だけでなく、彼らの描き出す色鮮やかな世界は多くの人を魅了した。彼らはいつも自分たちの絵に『新世界』という題を付けたが、区別がつかないという理由で、画商はI、II、IIIと数字を振っていたことを覚えている。そんな彼らの発表作は、全て信じられない桁の額で売れていくのだそうだ。旭は知らなかったが、彼らはΩの二人組として話題になっており、Ωの社会貢献という点からも大いに評価されていた。  旭が十二歳でΩという性を知ってから、旭は両親の性と社会的な役割について自覚し、彼らの生き方を見て色々なことを考えた。しかしそれができたのは十五歳の春までだった。  彼らはΩのための講演会で友人が登壇するのだといって出かけていき、中学の卒業式を終えて春休みだった旭は家で留守番をしていた。鈴を転がすような声で「ただいま」と彼らが帰って来て、元気に「おかえり」と言うのをずっと待っていたが、彼らが帰ってくることは二度となかった。 ***  面倒な検査を全て済ませた午後、旭は再び閉じ込められたリビングのソファでだらりと横になっていた。弁護士というアラタの職業のせいでいらないことを思い出してしまい、全身がくたくたに疲れていたからだ。  少し昼寝でもしようかと思った矢先、玄関のドアが開く音がした。ぼーっとリビングの入り口を見ていると、まだ検査衣を身に着けたままのアラタが入って来た。彼は外から持ち込んだと思しき本を一冊手に持っている。  俺なんて外から勝手に何か持ち込もうものなら身体検査で即没収だってのに、α様は手荷物検査も緩いんだな。  旭が内心でそんな嫌味を言っていることなどつゆ知らず、アラタはダイニングのテーブルに本を置いてから旭の方へやってきた。 「遅かったんだな」 「ただいま」  素直に「おかえり」と言うことはできなくて、旭は重い身体を起こすことで返事の代わりとした。 「何されたんだ?」 「色々な匂いを嗅がされた」 「フェロモンって匂いみたいなもんだろ? 反応しないのは鼻クソ詰まってんじゃねーの。ちょっと指突っ込んでほじってみろよ」 「そうではないらしい。通常の匂いの検知はできているそうだ」  アラタは検査衣を脱いで、ソファの背にかけてあったシャツを羽織った。 「検査結果について教えてもらえんだな。俺なんて検査受けるだけ受けても、何が分かったか全く教えてもらえないのに」 「なぜ?」  スラックスのベルトを止めながら、アラタは頭の上に疑問符を出した。 「俺なんかに教える義務なんてないんだよ。でもお前はαだからな。しかも怖い弁護士様ときた」  嫌味っぽく肩を竦めると、アラタの眉がぴくりと動いた。 「聞いたのか」 「あのクソ医者とクソ白衣が話してるのが勝手に聞こえてきただけ。俺が聞いたところで誰も教えてくれるわけないだろ。お前だって黙ってた」  アラタについてはαであることと、その特殊な症状しか聞いていなかった。旭の口調が責めるようなきついものだったからか、彼は口を開くのを何度か躊躇って狼狽を見せた。 「……旭は弁護士が好きではないと思って」 「それも俺の個人情報を知った上で言ってる?」  アラタは面白いくらい分かりやすく視線を彷徨わせた。 「隠さなくてもいい。誰から聞いた?」 「それ、は……」  彼はそれきり口を噤んでしまった。 「なら、どこまで聞いた?」 「……旭の両親があの七年前の事件の犠牲者で、有名な画家だったこと。あと……その報道に関すること」  彼は慎重に言葉を選んでいるようだ。今朝の取り乱した旭を思い出しているのかもしれない。 「別に、そんなぼかした言い回ししなくてもいい。Ωの集まる場所に毒ガスを撒き散らすテロが起こって、五十人以上死んだ。俺の親もそこにいて、遺体の映像が世界中のニュースに広がった。それだけだ」  旭は努めて何でもないかのようにそう言いつつ、ソファの上で膝を抱えた。 ***  あの日、旭の両親は知り合いのΩに会うために、Ωとその支援者向けの講演会へと出向いた。会場となったのはとある大学の講堂で、事件が起こったのは講演開始の十分前。施設内部の空調から毒性の強いガスが流れ込み、早めに来ていた人々は何が起こったかも分からないまま昏倒した。  犯人は逃げも隠れもせず、大学の校門ですぐに見つかった。彼はこの大学の清掃員として雇われていたようで、Ωを天国へと導くことが人類の救済になると声高に演説していたという。周囲の人と警備員に取り押さえられ、彼はあっさり捕まったそうだ。いや、捕まるような悪いことをしたという自覚すらなかったのだという。  毒性も安定性も高い毒ガスが用いられたため、すぐには誰も現場に入れなかった。その場にあるものに触れただけでさらなる被害が広がるからだ。大混乱の中、報道規制もままならない状況で、マスコミがどんどん集まっていった。  その後防護服を着た自衛隊によって内部の化学洗浄が行われていく様は、すぐに全世界で注目のニュースとなる。海外ではΩの地位向上や人権問題が活発だったため、日本のこの事件は大きく取り扱われた。特に海外のメディアは積極的で、それに煽られた日本の報道も加速していくのは必然だった。  事件の夜、旭は伯父と共に自宅で待機していた。十五歳だった旭は、ニュース番組から両親の行った場所で事件が起きたことももちろん理解していた。  伯父は何度も誰かと電話をしていたが、「安否の確認が取れない」という曖昧な表現ばかり使っていたことをよく覚えている。講堂周辺で倒れて病院に搬送された人は二百人以上に上り、講堂内部の犠牲者数は分からないという状況だ。  連絡がつかなくても、父さんたちは軽症で病院に運ばれてるに決まってる。このアナウンサーが三秒以内に瞬きをしたら、父さんたちは助かる。一、二、三……。  そんな願掛けをしていた矢先に、真夜中のニュースで講堂の建物内部の映像が流れた。右上ではLIVEという文字がチカチカと回っている。  通路で折り重なるように倒れる人々の数から、犠牲者が思っていたより多いことが窺い知れる。まるで突然糸が切れてしまった操り人形のように、人々がぐにゃりと身体を折り曲げて転がっていた。カメラはさらに講堂の中まで入り、そこでも力なく横たわる身体をカメラに納めた。  なんでこんなところにカメラが入れるんだ?  旭が目を逸らしかけたその時、隣り合った座席に座って目を閉じる両親が映った。互いに凭れかかる様にして、まるでうたた寝でもしているのかと思うような映像だ。今この場で目を覚ましてもおかしくないほどで、旭は状況を受け入れることができなかった。  その後、伯父とどんな会話をしたのかはあまり覚えていない。ただ、視覚情報だけは鮮明な映像記録として旭の脳裏に焼き付いている。まるで無声映画のように。  一晩経った翌朝、アトリエに行けばいつものように彼らが仲良く絵でも描いているだろうと思い、廊下をフラフラと進んだ。朝日の差す中、主を失って空っぽになったアトリエに立ち、それがかつて自分が描いた絵の景色にそっくりで、何に腹を立てているのかも分からずに慟哭した。だが自分がどんな声を上げたのか、旭の記憶の中から音だけがすっぽりと抜け落ちている。  旭の両親の画像は、彼らが著名な人物だったこともあり、美しい悲劇の象徴として使われることになった。何度も、何度も。そして旭はテレビと新聞を見るのをやめた。やめざるを得なかった。

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