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11.1 発情期、αVSΩの結果

 発情期開始予定日の朝起きてすぐ、旭はそれが周期通り今日から始まることを確信した。なぜなら、毎月特有の身体のだるさを感じているからだ。  先に何か食べておこうとベッドから身を起こすと、隣で寝ていたアラタが顔を上げた。 「あー、えっと、今日から始まると思うから」  発情期が始まるというたったそれだけを伝えるのに、なぜか気恥ずかしくなってしまった。アラタはまだ横になったまま、じっと何かを考え込んでいるようだ。 「何、お前緊張してんの? 筆下ろしに?」  わざとふざけてみせると、彼はわずかに赤面した。彼は何かにつけて旭に触れてくるくせに、あくまで「本番」をしようとはしなかった。それはやはり彼なりに手順を踏もうという意思だったのかもしれない。何せ、初めての行為をする前に相手と一緒に軟禁生活を過ごして仲良くなろうと考える男だ。そんな彼の貞操観念が旭にはよく分からなかった。 「始まったら後は本能のままに何とかなるだろ。気が付いたら終わってると思うぞ」 「旭は、何も怖くないのか?」 「ああ、俺? もう毎月のことだから何とも。始まったら自分でオナって、外からαが来たら相手してもらって、出てったらまた一人でヤッて、後半は新しい抑制剤の治験をやらされて、って感じ」  他のαとの行為について話した時、アラタの通った鼻筋にほんの少し皺が寄った。 「始まったら食欲なくなるからさ、先に何か食べておこうと思って」  旭がベッドから降りると、アラタも黙ってついてきた。  パンにハムとスクランブルエッグを添えた朝食をとりながら、旭はふと口を開く。 「なあ、もしお前がこれで初めて発情できたらさ、もう実験は終わりなんだよな」 「おそらく」 「ってことは、これが一緒に食べる最後の食事、だったりして」  半分ほど減った皿の上をぼんやり見ていると、アラタは怪訝な顔になった。 「旭……?」  声をかけられて我に返った旭は、何事もなかったかのように食事を再開した。 「食ったらちょっと寝とく。始まると全然寝られなくて寝不足になるし」  アラタの心配そうな視線に気付かないフリをして手早く朝食を平らげる。食器類を洗って一息ついたところで、旭は寝室へと戻った。 ***  身体が熱い。まるで熱が意識を持った生き物のように、旭の身体の中心へと蠢いて移動していく。  はあはあと自分ではない誰かの吐息に目を開けると、すぐ目の前にアラタがいた。いつもの冷たい無表情な目ではなく、どこか熱を孕んだように揺れる暗い瞳。彼の名を呼ぼうとするが、旭の口は震えてうまく開かなかった。  彼の片手が力強く旭の肩をベッドに押さえつけ、もう片方の手が旭の部屋着の中を性急にまさぐった。触れられた所から新しい熱が生まれて、下腹部へと流れていく。  服を着ているのもまどろっこしくて、旭は身体を捩った。するとアラタの手は旭の思考を読み取ったように、その衣服を強引に剥ぎ取っていった。  全裸にされると、貪欲に勃ち上がったモノと濡れた後孔が露わになる。旭が熱っぽく見つめると、アラタもシャツとジーンズを脱ぎ捨てて下着に手をかけた。  早く。欲しい。欲しい。欲しい。  旭の頭の中はそれだけで埋め尽くされ、目の前が真っ暗になった。 ***  急に身体が浮くような感触と共に、旭はハッと目を覚ました。 「旭……?」  ベッドに横たわる旭をアラタが不安気に見下ろしている。 「っは、夢……」  目の前の彼は全く発情した気配もなければ、二人ともまだしっかりと服を着ていた。しかし、旭の中を渦巻く熱だけは夢の中の世界から現実へとくっ付いてきていた。 「始まってる」  旭の言葉に、アラタの喉仏が上下した。身体に掛けていた羽毛布団をそろりとベッドの端に寄せ、旭はハーフパンツの上から股間をそっと触った。勃っている――旭は目尻を赤くしてアラタを見上げた。 「あら、た……?」  夢の中のように早く服を脱がせて。欲情に二人で身を任せてしまおう。そんな旭の思いとは裏腹に、アラタは戸惑ったように旭を眺めるだけだ。  つまり、彼の特異体質は旭のフェロモンに打ち勝っている。 「嘘、だろ?」  今までどんなαも、それどころか大半のβまでをも落としてきた。旭の中には、自分の力が効かない場合の想定など全く無かったと言っていい。  二人で欲望に溺れてしまえばいいと思っていたのに、蓋を開けてみれば発情しているのは旭だけで、アラタはベッドにも上がらず旭を静かに見ている。  ただとにかく、惨めだった。 「見る、な」  震える声で何とかそう言い放つ。しかしアラタはお節介にもその場を動こうとしない。 「旭、苦しそうだ。俺に何かできることは――」 「いいからっ! 一人に、してくれ……」  歯をくいしばると目尻に涙が滲む。アラタはまだ未練がましく旭をチラチラ見つつも、何とか寝室を出て行ってくれた。  ぽつんと取り残されたベッドの上、旭はモゾモゾと服を脱ぎ始める。心の中を満たしているのは飢餓感と羞恥だ。  あれだけ大見得を切ってアラタを発情させてやると意気込んでいたのに、全部自意識過剰の失敗に終わった。  Ωという性を憎んでいるくせに、いざΩとしての力が発動しないと、α一人を陥落させることすらできない。妊娠やαへのフェロモンアピールというΩの特徴を取り去ってしまえば、篠原旭という男に残された魅力は何一つないのかもしれない。  裸のままシーツの上で丸くなり、太ももの間に入れた手で屹立をやわやわと扱く。このままずっと手で擦ると痛くなってしまうため、本当は後ろの孔を使うべきところだ。しかし今は後ろでの自慰行為をする気にはなれなかった。 ***  発情期間中は二時間弱の強い発情状態と、一時間程度の小康状態が波のように交互にやってくる。  大きな発情を一度終えて少し眠っていると、ドアの向こうから話し声が聞こえてきた。 「今は俺と旭との実験中のはずだ。他のαはいらない」 「君は発情しなかった。つまり、あのΩのフェロモン量さえも撥ね付ける何かを持っている。今回それが分かった以上、残りの時間はいつも通りあのΩの研究に使う」  アラタと一緒にいるのはおそらく研究員の誰かだろう。 「研究とは具体的に何をしている?」 「今回はこの身体に各種ホルモンと最新の精力増強剤を投与している。彼の卵子の表層は通常の精子では突破できないと分かっている。それを破る方法を見ようというわけだ」 「っ、待て!」  ドアが勢いよくバンと開き、ブランケットにくるまった旭はゆっくりと身を起こした。部屋の入り口にいるのは、おそらくまだ二十代前半の若い男と、鬼のような形相をしたアラタだ。  先ほどの会話から話の流れは大体理解している。アラタが発情しないならば、旭は別のαの相手をさせられる、というわけだ。  若い男はおそらく生殖能力を買われた大学院生か何かで、まだ研究員ではないだろう。部屋に充満する旭のフェロモンに、彼は僅かに反応しているようだ。この小康状態が終われば、彼は理性を失うに違いない。  旭は二人の男を見比べる。旭の発情と共に情欲の沼に沈んでくれる男と、旭が一人沈んでいくのを見ているだけの男。 「アラタ、お前はリビングで待ってれば?」  その瞬間、彼の周りの空気がぴたりと止まったような気がした。以前一度だけ感じた、凍り付くような威圧感。それは彼の怒りが外に滲み出たものなのかもしれない。  しかし旭は自分が惨めにならない方を選んだだけだ。アラタ以外のαなら落とせる――その自負を取り戻したかった。 「彼がこう言ってるんだ」  男の言葉に、アラタは大きくゆっくりと首を左右に振った。 「旭がどう思おうと関係ない。ここも旭も、今は俺の縄張りだ。他のαには立ち入らせたくない。それが守れないなら、俺はこの研究への協力をやめる」  一匹のΩに二匹のαが集まれば、こうして争いになるのは必至だ。男の方は小さく溜息をつくと、監視カメラの方を見上げた。 「だそうですが、どうしますか?」  彼の言葉に呼応して、部屋のスピーカーがオンになる。 「戻れ」  雑音がプツリと途切れると、男は踵を返して部屋を出て行った。遠くで玄関の閉まる重々しい音が響くと、部屋の中は気まずい空気に包まれる。  旭の内側ではまた次の発情の波が始まりそうになっていた。 「またアレ来るから、お前は――」 「ここにいる」  アラタの言葉には強い意志がこもっていた。ドアを閉めてベッドに向かってくる彼に対し、旭はブランケットの中で縮こまって防御態勢を取った。 「ふざけんな、出てけ。……お前には見られたくないんだって」 「どうして? さっきの男に犯されることよりも、俺に見られることの方が嫌なのか?」  アラタの手が伸びてきて、旭はビクッと震えた。 「だって、お前発情してないんだろ? さっきのあいつや他のαとは違う。冷静な目で発情してるところを眺められるなんてゴメンだ。俺は……俺はお前に情けなんかかけられたくない」 「旭は発情して襲ってくるαの方が好きなのか? あんなにαを嫌っていたのに、結局は発情したαに犯されたい」 「違う! 絶対に!」  旭の大きな声が、白い部屋の中を反響した。 「なら、どうしてそこまで俺だけを拒否するんだ?」 「俺は、お前みたいなαがいることが悔しい……。俺のヒートを平気で躱されたのが……ムカつく」  いつもαにマウントを取られながら、本当は心の中だけで立場を逆転させて悦に入っていた。αを発情する動物だと見下して。αの足を引っ張ってΩと同じところまで引き摺り下ろしてやれとほくそ笑んで。  しかしこの男は違う。動物に成り下がらないα。Ωの力ではどうすることもできない高潔な生き物。この男には絶対敵わないのだと思うと、プライドも何もかもが音を立てて崩れていく気がした。  もしαが発情しない薬ができたら、将来はアラタ以外のどんなαもこうなるのだろう。Ωだけが醜く発情し、誰からも相手にされない、アラタの存在はそんな未来を予感させた。  呆然と丸くなっていると、アラタはベッド脇の床に膝をついて旭を下から見上げた。 「確かに俺はヒートに当てられない。しかしそれなら、その力を旭のためになるように使うだけだ。俺は他のαにはできない方法で旭を助けたい。旭が何を悔しがる必要がある?」 「だから、そういうお情けで助けられるのがイラつくんだよ。俺にだってプライドがある」 「それなら言い方を変える。俺は旭が苦しそうにしているのを放っておくことはできない。だから、どうか旭の力になることを許してほしい」  旭には言われている意味が分からなかった。  こいつはどうして自分から俺の下に行こうとするんだ? お前は王様に忠誠を誓った騎士か? それとも忠犬か? わざわざΩの下僕になりたがるαがどこにいる? 俺はいつだってαを引き摺り下ろして上に立つことばっかり考えてるのに。  自分の目線より下にいるアラタを見ながら、旭の心は揺れていた。彼が懇願するように「旭」と柔らかく名前を呼ぶ。導かれるようにブランケットからそっと片手を出すと、アラタは待っていたと言わんばかりにその手を取った。

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