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12.1 ごちそうさま

「ん……?」  風邪を引いた時のようなぼんやりとした中、旭は意識を取り戻した。あれから何度かの発情と小康を繰り返し、発情期も二日目に入っているはずだ。発情中ばかりは旭の体内時計も曖昧になった。 「旭、大丈夫か?」  重い頭を動かすと、ベッドの横からアラタが見下ろしていた。 「さっき研究員が治験の薬を持ってきた。今月はもうそれを飲んで経過を見るだけでいいそうだ」  αとの性交がなかったため、今月はいつもより早く薬の治験に進むことができた。動物での前臨床試験の終わった薬は、こうして旭の元へやってきて副作用や血中濃度を調べられる。Ωの発情を抑えるためにより強力になった治験薬は、大抵の場合特に問題なく発情を抑えてくれるのだ。幸いにも、治験薬によって身体に大きな異変が起こったことはない。  この段階に入ってしまえば、たまにβの女性看護師がやってきて採血をする他、眠気や吐き気、食欲の有無を見られるだけで普通に近い生活に戻れる。 「それじゃ、薬の前に何か食わないとな」 「食事なら俺が作ってある」  久しぶりに外から食事を持ってこさせることになるかもしれないと考えていた矢先、アラタが信じられないことを言う。 「お前が作ったって? だって、そんな……」  アラタの料理スキルを思い出しながら身を起こすと、彼の大きな手がすぐに背中を支えてくれた。 「旭、服は……」  かけていたブランケットが落ちると、何も身につけていない上半身が露わになった。一人でいた頃は裸の上にタオルやブランケットを纏って室内をふらふらしていたが、さすがにアラタの前でそれをするのは躊躇われる。散々痴態を見せてしまった後であっても。  今更ながら、旭はもじもじと顔を伏せて自分の身体を見る。  そういえば身体、全然ベタベタしないな。かなり出したし……こいつにもぶっかけられたのに。  誰かが綺麗にしてくれたのなら、それをしたのは一人しかいない。しかし目の前の男にそんな気の利くことができるだろうか。旭が疑っていると、クローゼットをガラリと開ける音が聞こえた。彼は旭の服が入っている引き出しをゴソゴソと探ると、下着と部屋着を持ってベッドへ戻ってきた。 「これでよかったか?」  何でこいつ急にこんな気の利く男になってんだよ。  旭は素直に礼を言うこともできず、乱暴に彼の手から服をひったくった。シャツを頭から被って、ブランケットの中で下半身の衣服も整える。  立ち上がろうとした時にふと見えたのは、ベッドサイドの棚に置かれたバイブ。目を逸らそうとした旭だったが、そのすぐ隣に置かれたタオルで視線が止まった。  やっぱり俺の身体を綺麗にしてくれたのはこいつなんだよな……?  眠っている間に彼がせっせとタオルで身体を拭いてくれていたのかもしれない――そんな姿を想像すると、胸の奥の方が温かいような痒いような変な感じだ。 「旭、立てないのか?」  ベッドの縁に座ったままの旭に、アラタが手を差し伸べる。思わずその手に掴まりそうになってしまってから、ハッと手を引っ込めた。  何ちゃっかり甘えそうになってるんだ、俺は。  まだ熱っぽさの残る弱った頭で自分を叱咤する。赤い顔で俯く旭を見て、アラタは何を思ったのか旭の膝下に手を入れた。 「っ、な……!」  身体がふわりと浮く感覚。背中と膝裏を力強くしっかりと掴まれて、旭の身体はアラタに抱き上げられていた。 「おい、これ」  暴れてバランスを崩しそうになった旭は思わずアラタの首にしがみついてしまう。俗に言うお姫様抱っこというやつではないか――そんな考えが頭を過ぎり、わなわなと唇を震わせた。 「ぼんやりして具合が悪そうだったから」  アラタはそのままスタスタと旭を抱えたまま寝室を出て、ダイニングの椅子に旭を座らせた。 「見た目は風邪に似ているような気がしたから、お粥を作ってみたんだが」 「……は?」  真っ黒に焦げたチャーハンを思い出しながら、旭は目を白黒させる。彼は鍋を火にかけて少し温めると、いい匂いのするお粥を茶碗に入れて持ってきた。 「え、なんで急に料理できるようになってんの」  目の前でほかほかと湯気を立てる真っ白なお粥。何をどうやったら、この男にこんなものが作れるのだろう。 「旭は料理の本を見て勉強したと言っていたから」  そう言いながら、彼はキッチンに置かれていた一冊の料理本を手に取った。それはかなり以前に旭が料理を覚えるために使ったものだ。今はリビングの棚にしまっておいたはずだが、彼はそれを引っ張り出してきたのだろう。説明書があれば、αの頭で理解できないものはない。 「旭、早く」  アラタは茶碗の横にあった蓮華を手にすると、自らお粥を掬って旭の口元に持ってきた。 「何急いでんだよ。あ、熱い、熱い」  唇にぐいぐいと蓮華を押し付けられながら旭が喚くと、アラタは一旦手を引いた。助かった――そう思った瞬間、アラタはふーふーと冷ましてから再度お粥をずいっと差し出してきた。  何だこれ、何だこの状況。  頭の中がぐつぐつと煮立っていて、 お粥だけでなく旭の頭からも湯気が出そうなほどだ。相変わらずの仏頂面なのに、蓮華を押し付けるアラタからはどこか必死な空気が漏れている。まるで「早く食べて」とせがんでいるようで、旭はついつい絆されて蓮華に口を付けた。 「……ん」  不器用なアラタの持ち方では食べにくくて、旭は彼の手の上から自分で蓮華を持つ。彼の手の温度にどきりとしたのも束の間、それはすぐに口の中のお粥の温度で忘れてしまう。  何の変哲もない、少しだけ味付けされたお粥。それなのに、温かなそれをもくもくと咀嚼して飲み込んでから、旭は半ば無意識に「おいしい」と呟いた。  その瞬間、蓮華の取っ手で重なっていた彼の指がぴくりと動く。顔は全く変わらないくせに、こういうところでとても分かりやすい。褒められて嬉しいのか、彼は旭の手を振り切って次のお粥を掬いに行こうとする。 「も、もういい。自分で食べられる、から」  彼の手から無理矢理蓮華を奪い取って、文句を言われる前に二口目を食べる。食べてさえやれば文句は言われないが、視線だけがずっと旭に注がれ続けた。  俺が飯食ってる姿のどこがそんなに面白いんだか。  そうやって理解できないふりをしながらお粥を食べ進める。しかし心のどこかで、その答えに思い当たる節があった。  こいつはきっと嬉しいんだ。自分の作った料理を俺が食べてくれる、ただそれだけのことが。  またそんなことを考えてしまってから、自意識過剰の自惚れだと、答えに消しゴムをかける。たとえそれが事実だと分かっても、今の旭には何と言えばいいのか分からない。  ただし最後の一口を飲み込んだ後、旭は小さな声で「ごちそうさま」と声に出した。顔を上げてまっすぐ彼の顔を見ることはできない。ただ視線の先で彼が両手の指をそわそわと弄ぶのを見て、旭はくすりと小さく笑った。

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