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14.2 幼馴染の男(2)
しばらく雑談を続けてからカウンセリングルームを出ると、先ほどまさに話題になっていた庸太郎が壁に凭れて待っていた。部屋にはしっかりと防音が施されており、中の会話は聞こえていなかったはずだが、庸太郎は旭たちがどんな話をしたのか察しが付いているのかもしれない。
「この後は一度部屋に戻って昼食の時間だ」
旭の腕を掴んでそう言ったきり、庸太郎は帰りもずっと無言で歩き続ける。
部屋について白と黒の扉をくぐれば、一旦昼休憩で解放される――はずだった。
「昼飯の時間でいいんだろ? なんでそこにいるんだよ」
この部屋に旭を戻した後は、付き添いの研究員も出ていくのが普通だ。しかし玄関に留まったままの庸太郎は、このまま昼食まで監視を続けると言わんばかりだった。
「お前も外で飯食ってきたら?」
「……あの男には食事を作ってやるのにな」
廊下を歩み出した旭の足がぴたりと縫い止められる。
アラタと過ごしたささやかな時間も、常に誰かに見られていたのだ。二人の時間に第三者が土足で踏み込んできたような、嫌な感じがした。
「俺があいつに飯作ってやってるから何だって言うんだ? お前とは何も関係ない」
語気を強めると、庸太郎はばつが悪そうに頭を掻いた。
「関係ないって……ずいぶん突き放されるんだな。俺、あの日の返事もまだもらってないのに」
あの日。
旭の心臓がぎゅっと縮こまる。喉がカラカラに貼り付いて、声が出ない。
「俺、言っただろ? お前が好きだったって。お前が他の男と仲良くしてるのを気にするのは当たり前じゃないか。関係ないって言いたいなら、まずあの日の返事が欲しい」
庸太郎の放つ言葉や空気が、旭を追い詰める。答えを待っているというより、答える内容すら強制せんとする無言の圧力があった。
「俺はお前のことなんか好きじゃない。って答えたところで、お前は本当に諦めてくれるのか?」
「まあ、すぐには無理だろうな」
庸太郎がふっと肩の力を抜くと、周囲の緊張感も和らいだ気がした。
「……なんでそこまでお前が俺に執着するのかさっぱりだ。俺に付き纏って嫌がらせのつもりか?」
「好きだって告白して、嫌がらせと受け取られるなんて、こっちの方がさっぱりだ」
だって、俺はお前を下に見てた。お前もそれが分かってたから、俺に復讐したかったんだろ? Ωになり下がった俺に下剋上して、犯して、征服したかったんだろ?
込み上げた感情が思わず言葉になって溢れる。
「お前は俺を恨んでるんじゃないのか」
「は……? なんで、そうなるんだ?」
庸太郎は本気で分からないといった様子で、無防備に疑問を表すその表情には昔の幼さが混ざっていた。
「だって、俺はいつもお前のことサッカーで負かして、勉強だって……」
困惑した旭は、譫言のようにそこまで言ってから俯いた。
「自分よりすごい奴に嫉妬して恨めしく思うこともあれば、逆にそいつを尊敬して好きになることだってある。小学生の頃の俺は、旭がいつも俺なんかに誘いの声をかけてくれるのが、嬉しかった」
「嘘だ」
「嘘じゃない。俺、旭としたあの日が初めてで、あの後も何度か女の子と付き合ってみたけど、旭とのあの時が一番だった」
「それは、俺が発情してお前もラットに入ってたから――」
見下ろしていた足元に影が落ちたと思った瞬間、旭はハッと顔を上げる。音もなく傍に来ていた庸太郎によって、旭の身体は廊下の壁に押し付けられてしまった。
「違う。ずっと手が届かないと思ってた旭が俺の下にいる、やっと手に入れた――そう思ってぞくぞくした。あの時の興奮は旭以外の誰からも感じたことなんかない」
至近距離にある庸太郎の目の奥に、ギラギラした欲望が渦巻いて見えた。
怖い。
旭は思わずぎゅっと目を閉じる。
「そんなのは恋愛感情じゃない。ただの征服欲だ」
「それは旭が決めることじゃない」
反論を押し込めるように、彼は旭の身体を抱き締めた。押し付けられた彼の白衣はまだ新しく、新品の布特有の固い違和感があった。
「なん、で――」
抵抗を諦めて抱き締められたまま尋ねると、頭上から優しい声が返ってくる。
「何が? ああ、俺がここに来た理由? そんなの旭がいるからに決まってるじゃないか」
「お前は親父と同じ政治家になるんだと思ってた。それが薬学なんて――」
「親父は親Ω派の政治家だ。その息子の俺が、Ωのための薬を多く開発する白峰製薬に行く――何もおかしくないだろ」
「この会社はΩのためじゃなく、Ωに迷惑をかけられるαのために薬を作ってるんだ。お前の親父もこの会社も、皆Ωのためなんて口だけだ」
「口だけ? 俺の親父はΩのための施設に今まで大量の寄付をしてきた」
そういえば、「あの日」も彼はそんな親の用事であの施設にいたのだ。蘇りそうになった記憶を振り払うように、旭はモゾモゾと首を振った。
「それだってパフォーマンスだろ? じゃあお前の母親はΩなのかよ」
「確かに俺はα同士から生まれたαだ。でも、ここでの旭の研究が終わって、旭に子供ができるようになったら、俺は旭と番になりたいと思ってる」
下腹部を突然撫でられて、旭はびくりと顔を上げてしまった。庸太郎の恍惚とした瞳を間近に見てしまい、撫でられている下腹部からゾワゾワとした悪寒が這い上がる。
「もしこのままずっと何も分からなくて、俺が一生子供ができない身体だったら?」
「その時は……旭はずっとここに閉じ込められたまま、誰のものにもならない。それを、俺がずっと見ててやる」
執着に満ちた彼の囁くような声が、旭の鼓膜を擽った。
「それでお前は、外で俺以外の誰かと結婚して子供を産ませるんだな」
やはり彼の気持ちは愛などではなく、征服欲や嫌がらせの類に違いない。旭の言葉に庸太郎が何か言おうとしたその時、廊下の端でドアノブがガタンと押し下げられた。
重いドアを押しのけて入って来た男は、壁際で密着している旭と庸太郎を無表情で一瞥した。
「アラ、タ……」
何も気にしていないと言わんばかりに、彼は無言で靴を脱いでいる。やっと身体を離した庸太郎は、旭の頬をするりと撫でた。
「午後、また迎えに来る」
ちょうど廊下に上がったアラタと入れ違いに庸太郎が出て行ってしまうと、部屋の中はどこか気まずい空気になった。
壁際の旭を無視するように通り過ぎ、アラタはリビングへと歩いていく。
「えっと、昼、焼きそば作ろうと思ってたんだけど、お前も食べる?」
鞄を置いてネクタイを緩めているアラタに向かって問いかけるが、彼は一言「食べてきたからいい」とだけ言った。
彼が着替えのためにリビングを出て行く時、すれ違いざまに旭は思い切って口を開く。
「あいつのこと、聞かないのか?」
ピタリと足を止めたアラタの背中をじっと見つめる。
「知っている。旭の、初めての……」
彼が今どんな顔をしているのかは見えない。ただ、とにかく彼の反応は淡白なものだった。
「そんなことまでバレてんだな」
茶化すようにそう言ってから、旭はキッチンへと逃げた。
庸太郎と一緒にいるところを見て、あるいは庸太郎が旭の初体験の相手だと知って、アラタはもっと嫉妬するかと思っていた。少し前の彼ならば、気に入らないという不機嫌を丸出しにして、旭にベタベタと纏わり付いていたことだろう。
俺、何考えてんだろ。別に嫉妬してほしかったわけじゃねーし。大体俺は庸太郎のことなんか何とも思ってないわけで、嫉妬で俺に何か言われても困るし。
心の中でぶつくさ文句を垂れ流しながら、キャベツをザクザクと乱暴に切り続けた。
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