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16.1 一条新の恋人(1)
アラタが仕事でいなくなってしまってから、旭は寝室のベッドの上に寝転がりぼーっとしていた。
バスルームで久しぶりに「スキンシップ」をした昨夜、旭より後からベッドに潜り込んできたアラタは、布団の中で旭の手をぎゅっと握ってきた。カメラの目が届かないところを探しては触れてくる。そんな彼の執着心に、旭の心臓は眠れないくらいドキドキと脈打った。
あいつが最近素っ気なかったのは、やっぱり研究員への目を気にしてたからってことでいいんだろうか。つまりあいつは俺のことがそこまで好きってことか? でもそんなに好きなくせに、Ωの俺と恋人ごっこを再開して、αの研究員から差別されるのも嫌?
ぐるぐるとアラタの気持ちについて考えていたら、午後になって部屋のチャイムが鳴り、誰かがドアを開ける音がした。
「ほら、今日は点滴だ」
寝室にやって来たのは庸太郎ではない別の研究員だ。少しホッとしながら、旭はノロノロと身を起こした。
旭は外出して日光を浴びることがない代わりに、不足しがちな栄養素を定期的に投与されている。点滴は検査ほど嫌でもないが、トレーニングルームで身体を動かすよりは楽しくない、何とも退屈な日だった。
研究員に連れられて研究所の廊下をトボトボ歩いていると、少し先にアラタがいるはずの共同研究室が見えてきた。不意にガラス張りのドアの向こうに見覚えのある女性が現れ、ガチャリとドアを開けた。
あの人、前にアラタと話してた人だ。
ぼんやりしていた頭が急激に覚醒する。彼女はドアを開けたまま振り返り、誰かに向き合った。
「一条君、あなたがここにいる本来の目的、忘れたらだめだからね」
「分かってますよ、ハルミさん」
アラタの声が女性の名を親しげに呼ぶ。しかし彼女はまだクドクドと彼にお説教をした。
「分かってないでしょう。とにかく、彼への感情は徹底的に消して」
「はい……」
ドアを閉めてこちらへ歩いてきた彼女は、その手に小さな布に包まれた物体を下げていた。
あれ、弁当箱か?
布に包まれた箱状の物を見て旭が真っ先に連想したのがそれだった。彼女がエレベーターに乗り込んでしまった後、旭はそれが意味するところを考える。
「何してる」
研究員に腕を引かれ、旭は自分が立ち止まっていたことに気付く。
あの人はアラタの恋人なんだろうか。仕事のたびに手作りの弁当を持って会いに来るような? じゃあやっぱり俺のことは本気じゃなくて、初体験の相手だから仕方なく恋人ごっこしてるだけなのか。そして彼女の方も、もしかして俺のことが気に入らないから怒ってた……?
少し前にも考えた推測がまた蘇り、旭の胸のあたりをキリキリ締め付けた。
この痛みの正体は、嫉妬――思い浮かんだワードに思い切り首を振りたい衝動に駆られる。
別にあいつに恋人がいようが何だろうが、俺が気にすることじゃないだろ。俺はただ、自分が遊ばれてるのかどうか、あいつの気持ちが知りたいだけだ。
自分自身に言い聞かせながら、わざと大きな足音を立てて歩く。研究員から変な目で見られて初めて、旭は自分がギリギリと奥歯を噛み締めていることに気付いた。
***
どんなに胸がモヤモヤしても、夜ベッドの中でこっそり手を繋がれると、そこから彼の好意が気流のように流れ込んできて、心の曇りを晴らしてくれるようだった。
意を決した旭は翌朝とあるものを発注し、それはその日の夕方には届いた。
そしてそのさらに翌朝、旭は繋がれた手をこっそり振りほどいて先にベッドから起き出し、キッチンで準備を進めた。
一時間半後。
「なあ、午後まで仕事してる時って昼飯どうしてんだ?」
朝食の席で、旭は何食わぬ顔でそれを尋ねてみることにした。
「……外で、出してもらえる」
誰から、とは言わない。黙々とパンを囓るアラタの表情は変わらないが、返答のタイミング的にあまり聞かれたくないことのようだ。旭はそこでゴクリと唾を飲んで勇気を振り絞った。
「なら、もし俺が弁当作ってやるって言ったら?」
顔が赤くなりそうになるのを誤魔化すために、俯き加減でスープをかき回す。
「いや、いい」
湯気を立てるスープとは裏腹に、降ってきたアラタの言葉は何とも冷たいものだった。
その後、アラタが部屋を出ていくまでどんな風に振る舞ったのか、よく覚えていない。気が付くとダイニングのテーブルに向かって座り、目の前のものをぼーっと見つめていた。
大急ぎで取り寄せた弁当箱。その中には、今朝早起きして作った色とりどりの料理が詰まっている。
そもそも俺、なんでこんなもの作ったんだろ。別にあいつの昼飯なんて……どうでもいいのに。
青いプラスチックの弁当箱の蓋を、人差し指でピンと弾く。料理の詰まった弁当箱はビクともせず、指の爪が痛んだだけだった。目の端に涙が滲んだ理由を爪の痛みのせいにしてから、内線電話のパネルへと向かった。
「崎原先生、呼んで」
旭の唐突な申し出に、通話相手の男はゴホンと咳払いした。
「先生にも仕事がある。急には無理だ」
「じゃ、誰でもいいから呼んで」
旭は有無を言わせぬ強い口調でそう言い切る。しばらくして、部屋のチャイムが鳴ったのを合図に、旭は弁当箱を持って玄関口へ向かった。
「これ、崎原先生にいつもお世話になってるお礼ってことで渡しといて。あと、その弁当箱もあげるってことで、返さなくていいから」
現れた研究員の男に無理矢理弁当を押し付ける。男は少し戸惑った様子だったが、旭の纏う暗い空気に気圧されたように、すごすごと部屋を立ち去った。
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