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1 緑

 (みどり)が、委員長のことを意識し始めたのは林藤(りんどう)のせいだった。 「なっみー! 俺のハニー! 科学室に遊びに来ない?」  科学部の林藤は、委員会が終わる頃を狙って、別棟にある科学室から芝で覆われた庭を駆けてくる。窓枠越しにかけてくる軽薄ないつもの口調に、委員長も慣れたふうに答える。 「行かない」 「なんでいつもそうそっけないかなあ。別に何もしないからさあ」 「じゃ、何しに誘うわけ」 「まあ、何もしないっつーことはないんだけど」 「誰が行くかっつーの」 「ひどい! なみちゃん!」  毎回のように繰り広げられる二人の会話を、緑はいつも面白おかしく観戦している。 「緑ー、波ってばひどくねえ? おまえからもなんか言ってよ」 「なんかって、何」 「だからさ、俺がどんなにスバラシイか。波もいっぺん試してみるべきだって」 「だっておれ、林藤がどんなにスバラシイか知らないしさ」 「冷たいのー。同じクラスなのにさ」  林藤は、おどけた態度と口調でいつも本音を巧妙に隠している。終始こんな調子なので、どこまでが本気なのかよくわからない。 「いいから部室へ帰れよ。これからまだ、打ち合わせがあるんだから」  委員長はそう言いながら、林藤を追い払うしぐさをした。 「そんな邪険にしないでよ。ジャマしないからさ。ここで波の姿を見てたいのよ」  呆れたように肩をすくめ、委員長は緑へ向き直る。 「バカは相手にしないでおこうな」  緑は肩を揺らして笑った。  毎週金曜日の放課後、文化委員会が行われる。本来は月に一度だけれど、二学期の文化祭までは毎週だ。そんな面倒な学期になぜ緑が文化委員なんかになったかというと、委員を決めるその日、季節はずれの風邪をひいてぶったおれていたからだ。  林藤に慕われている委員長は、色白で、華奢で、確かにキレイな顔をしているけれど、誰がどう見ても、正真正銘男だった。  林藤は、自他ともに認めるゲイだ。本人は隠すどころか、気にいった相手に堂々と言い寄っている。最初にその存在を知ったときは度肝を抜かれたが、今ではもうすっかり慣れた。  林藤のことを気色悪がるやつはもちろんいるけれど、当の委員長はそういう意味ではなく、ごく普通に、興味がない相手に対しての拒否を示している。そこに差別意識はなく、厭味もない。委員長のそういうところを、緑は好ましく思っていた。 「じゃ、二年の喫茶はAとCで決まりだな。Dのやつには僕から言っとく」 「1Cのプラネタリウムは」 「天文部とかぶるからな。詳しい内容を来週までに出せって言っといた」 「後はじゃあ、2Eだけか」  緑は、副委員長を務めている。委員会で出された提案や発言をまとめたり、今後の日程を決めたりと、会が終わってもすぐには帰れない。書記が二名いるのだが、二人とも部活をしていて、委員会が終わるとあわてて駆け出してゆくのを委員長は見逃していた。 「じゃ、決まりだな」 「これ、まとめて打ち出しておくよ」 「いいの?」 「こういうの好きなんだよ」  緑はそう言って、用紙をひとまとめにして鞄に入れた。 「助かる。ありがとう」  委員長は屈託のない笑顔を見せる。クールなわりに素直なその表情に、緑は頬を緩めた。  林藤が、窓ごしに口を挟んでくる。 「終わった? ねえ波チャン、仕事終わったのかい?」 「うっせえな。なんだよ」 「もう帰るんだろ? じゃ、ちょっと遊びにおいでよ」 「行かねえっつうの。緑、帰ろうぜ」 「ああ」 「えー、そんなゴムタイな」  うんざりした表情の委員長に促され、緑はくつくつ笑いながら林藤に手を振った。ぶすくれた林藤は、ガラス越しに手を振り返してくる。いつものパターンだった。 「好かれてるな、委員長」 「まいるよ、あいつ。まったくなんだって僕なんだか」 「人の好みはそれぞれだからさ」 「探せば校内にもいるだろうに。そういう趣味のヤツ」 「そうかな」 「いるだろ、一人や二人」 「でもきっと、仲間だから好きになるってわけでもないんじゃないの?」 「わかったふうなこと言ってんの」  委員長は目を細めてふっと笑った。  二人で廊下を歩くのも、習慣になった。委員長と副委員長という立場上、文化祭までは行動を共にすることが多い。そのせいで、林藤からは恨まれているけれど。 「いいよなー、緑ってばさ、波としょっちゅう一緒だもんなー」  休み時間、緑の席までやってきて、林藤は言う。 「じゃ、おまえが文化委員になればよかったじゃないか」 「だって、まさか波が文化委員になるなんて知らなかったもん」 「しょうがないだろ、偶然なんだから」  堂々とそんな話題をする彼を、変人と見るやつも多い。でも緑は、林藤が嫌いじゃなかった。自分の感情をはっきり表せるということは、貴重だ。みんな思っていても、理性や世間体がじゃましてなかなか言えない。自分の性的指向を隠さない林藤は、潔い。 「でもさ」 「ん?」 「そういえば林藤って、どうして委員長なわけ? クラスも違うし」 「それはね」  林藤は、ふっふと不敵な笑みを浮かべた。 「話せば長いのだよ、緑くん」 「何。いいから話せば」 「もったいなくて言えない」 「なんだよ、それ」  もったいつけてるうちに、始業のチャイムが鳴った。結局、林藤は理由を言わなかった。教えたくないのかもしれない。気にはなったが、それ以上追求せずにおいた。誰だって、知られたくない感情というのはある。

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