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学校を出て並んで歩き始めても、波はなかなか口を開かなかった。
うつむきかげんに前方をみつめて、緑の歩調に合わせている。
住宅街を抜けると、通りを挟んですぐに駅だ。波と緑はそこから違う路線に乗りこむため、別れてしまう。
このまま何も話さずに、同じ帰路を終えてしまっていいのだろうか。
そんな自問が頭をよぎったとき、不意に波が足を止めた。
「……波?」
振り返りざま、名を呼ぶと、波の肩がわずかに震えた。
おびえているのだろうか。
いや違う。
瞬きが、いつもより多い。
「あ、あのさ、み、緑」
「……ん?」
鎮守の森の真横だった。こんもりと繁った大木が落とした影の中にいた。常から人通りの少ない界隈で、生徒の通学時間もとっくにそれている。喧騒は間遠 で、あたりは静寂に包まれていた。
秋口の肌寒い風が吹きぬける。
「……あの」
言いよどむ波の表情に、何度も言葉を飲みこむ口元に、緑は唐突に、似た風景を思い描いた。この状況は、あれに似ていないか。
あの、いわゆる、自分に都合のよい妄想にあてはめると、つまり、その。
告白の場面 に。
まさか。そんなわけはない。
きっと何か、言いにくいことがあるのだ。
もしかしたらそれは、緑にとって非常に辛い内容かもしれない。妙な期待など頭の中から消し去って、緑は何を言われてもショックを受けないように覚悟を決める。
「な……波?」
「あの、あのさ、あの」
波は、たえまなく視線を動かしながら、やがて意を決したようにまぶたを閉じた。
それから、大きく息をはいて、開いた目を一心に緑へと向けた。
「あの、今さら、って思うだろうけど、緑にもう、彼女が、好きな人がいる、って知ってるけど、でも、もう、言わないと、く、苦しくって、勝手だと思うし、迷惑だろうけど、でも」
緑は、たどたどしい波のセリフを聞きながら、頭の中を真剣に整理していた。
こんなの、都合がよすぎる。
いくらなんでも、たとえ妄想でだって、ありえない。
けれども、波はついに言った。
「僕、す、すす、好き、な、んだ。み、緑のこ、こと」
言いながら、波は口元を押さえた。
感極まったのか、眦から涙がこぼれる。
「あ、ごめ、こんな……。かっこ悪」
緑は、立ち尽くした。
全力で自分を制御した。
だめだ、ここは公道だ。
涙をぬぐうようにして、波はなおも心境を吐露した。
「……だ、だめなんだ。もう、たまんないんだ。み、緑のことが、好きで、好きで、たまんないんだよ」
「も、言うなよ」
弱々しい声で、遮った。波が顔を上げる。
色白の頬が、紅潮している。うるんだ瞳が緑を見上げてくる。
「……ごめ……、僕」
申し訳なさそうに顔を伏せる波に、緑は一歩近寄った。素早く辺りを見渡す。今、通行人が現れないことを祈る。
「波」
両手を広げ、緑は目の前の細い肩を思いきり抱きしめた。
耳元で、波が息をのむ気配がする。
「そんなふうに言うなよ。こんなことしたくなっちゃうだろ。外なのにっ」
一瞬だけ、波の体温を感じてから、すぐに体を離した。
「……緑?」
放心する波に、緑は小声で言い立てた。
「そんなふうに言われたら抱きしめたくってしょうがないよ。泣くなよ。めちゃめちゃ」
かわいいだろ、という言葉は、飲み込んだ。波はぽかんと目を見開いている。
「……だって、緑、彼女」
「誓って言うけど、嘘じゃないからな。昨日、別れたんだ。電話して。波のことまだこんなに好きなのに、それをごまかすためにつき合うなんて彼女に悪いと思ったから。絶対、嘘じゃないから」
「……ほんとに?」
「だから嘘じゃないって」
「そこじゃなくて、その」
「え?」
「まだ、僕のこと……」
「あ、当たり前だろ」
そこだけは、自信を持って断言した。
波はまだ事態が飲みこめずにいるようで、ぱちりと瞬きをした拍子に溜まっていた涙がぽろりとこぼれ落ちる。
「……僕、緑はもう、とっくに心変わりしてるんだと思ってた……」
「そんな簡単に忘れられるわけないだろ。まだひと月も経ってないのにさ」
「だって……」
まだ納得していない波に、今度は緑が言い寄った。
「でも、波はいったいいつからなんだよ。あのときは、断ったじゃないか」
「それは……」
「おれはすっごく落ち込んで、でもなんとか波を忘れようとして、必死だったんだぜ?」
「だって、緑が」
「おれが?」
「名前、呼ぶから……」
「名前?」
波の顔が、見る間に赤くなってゆく。
「だって、波が呼べって言ったんだろ」
「そ、それはそうなんだけど」
「名前呼ばれたから、好きになったの?」
「そ、そういうわけじゃないけど」
「じゃ、どういうわけさ」
つい、口元がほころんだ。にやにやと笑ってしまう。
それに気づいて、波が抗議の目を向けてくる。
「か、からかってるな、おまえ」
「とんでもない」
かわいくてたまんないだけだ、と言ったら、きっと波はもっと怒るだろう。
「おれ、マジで、すっげ嬉しい」
波は? と、表情で訊いた。まだ泣き出しそうな危うさを残した顔で、波はうなずいた。
「ぼ、……僕も」
「あー、もうほんとやばい」
「何が」
緑は両手を戒めるように腕を組む。
「……波に、触りたい」
炎の照り返しを受けたみたいに、波は一層頬を赤くした。
恥ずかしそうにうつむいて、じゃあ、と言う。
右手がゆっくり持ち上がって、緑の前に差し出される。
「……じゃ、握手」
「え?」
「これなら、普通だろ?」
角を曲がって、郵便配達のバイクがやってきた。二人のわきを通り抜けてゆく。
「……ま、しょうがないか」
右手を出して、波の手に重ねる。秋風に冷えたのか、指先が冷たい。けれども、波の手だ。
波の手は、滑らかで心地よかった。できることならずっと、触れていたい。
「じゃ、これからも、よろしく、ってことで」
「こちらこそ」
顔を見合わせて、二人は笑った。
さて、林藤になんて言ったものか。
複雑な気持ちで、でもまずいちばんに、彼に報告したいと緑は思った。
-了-
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