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後日談 ある日恋に翼が生えて

 アイスカフェラテの上に山盛り絞り出されたソフトクリームをすくっていた泉の手が、ぴたりと止まった。その眼光は、相手の太刀筋を見抜こうとする剣豪のごとき鋭さだ。  もちろん、その程度の反応は織り込み済みではある。が、どうしたって佑の言葉はしどろもどろになった。 「えっと、その……そういうわけなんで、泉ちゃんには報告しておこうかな、と」  なぜ休日にわざわざ佑、理央、泉の三人でカフェに集っているかというと「僕たち付き合ってます」報告をするためだった。  意外にも、言い出したのは理央のほうからだった。  たしかに泉には色々とお世話になっているし、身近に理解者がいるというのは心強いものだろう。理央的には「緒方さんにも話しておきたいです」ということだったが、さすがにそれはちょっとキャパオーバーだ、と時間を置かせてもらうことにした。 「ふたりいっぺんのほうが効率はいいかもしれないけどさ……」  さすがカミソリ王。コストカットが習慣になっているのだろう。そんな思いで呟けば「そういうことではないんですけど」となぜか物言いたげな目で見つめられた。  それにしても、わざわざ「僕たち真剣交際しています」なんて誰かに報告するのは、気恥ずかしいものだった。  長らく忘れていた、むずむずする感覚。恥ずかしいような気まずいような、自分で自分の気持ちもままならない不自由さ。  喉元をかきむしりたい衝動をぐっと抑え込みながら、佑はこれまでのいきさつを泉に説明した。  泉は眉間にマリアナ海溝なみのふかーい皺を刻んだまま、長いパフェスプーンをせっせと動かしている。 「あの、泉ちゃん、聞いてる?」 「聞いてます。うっかり余計なことを口走らないよう、口にものを入れてるんです。どうぞ続けて」 「はい」  妙な迫力に気圧されながら、佑は先を続ける。  ときどき理央が補足を入れ、話がかつて飲み物に薬を入れられたくだりまできたとき、泉がぱしん!と音も高らかにパフェスプーンをテーブルに叩きつけた。ひっと震え上がる佑をよそに、泉は身を乗り出す。   「わかる!!」   「……はい?」  さっきまで糸のごとき細さに眇められていた目をくわっと見開いて、泉は「ちょーわかる……やばいストーカーは、なんでもやる……」とぶつぶつと口の中で呟いた。さながら呪詛を唱える魔女のようなその姿に、佑は思い出していた。  泉ちゃん、美少女なんだった。  あまりにも親しく、本性を知りすぎて忘れていた。  今でさえ、黙っていれば白百合を背負うのが似合いそうな美貌なのだから、これが十代の頃ならば、よからぬ輩によからぬ目で見られることも多々あっただろう。 「トイレ立つとき、飲み物ちゃんと全部飲みきっていきました? もし忘れたら、古いの下げさせて新しいのを頼む。これよく知らない奴らと飲みにいくときの鉄則!」  おお……と佑は内心感嘆の声を漏らす。そんな備えを自分でしているとは、美形は本当に大変だ。  理央は「はい」とおとなしく頷いたあと「まあ、外に飲みに行かなければいいことなので」と付け足した。とたん、泉が長い髪を振り乱す。 「それはダメ!!」  あまりにも大きな声に、モーニングに来ていた他の客が、ちらちらとこちををうかがうが、当の本人は、そんなことなど意に止める様子もない。 「やな奴のためにこっちが行動を制限される義理なんか、ないんだから!!」 「自衛はするけど、自粛はしちゃだめ!」  くり返す泉に、佑は感じ入っていた。  今は理央の話をしているはずなのに、なぜか佑の胸にも重なる傷がある。  元彼と別れて、もう恋愛はしないでいようと思った。  また傷つく。また失うことになるのだからと。  でも、そんなのはおかしな話だ。  傷つけた奴の言動をいつまでも引きずって、歩みを止めてしまうなんて。  隣の理央は、呆気に取られた様子で目を見開いている。  理央はその美貌、その出自ゆえに被害にあってきた。努力を努力とも認められずに。  だから態度を硬化させて生きてきた。そうすることで、無用に好かれることから逃げてきた。それしか身を守る術を知らなかったのだ。  でもそんなのは全部おかしな話だったのだと、彼も気がついたのだろう。 「……泉さんて、いい人ですね」  泉は身を乗り出してしまっていたことにやっと気がついた様子でパフェスプーンを手とると、再びソフトクリームに突き立てた。 「べ、べつに!!!! そんなことないし!!!」   「サンプルとして博物館に保存しておきたくなるようなツンデレっぷりだったなあ」 「このあとプリンアラモードも食べて帰ります」という泉を残し、ふたりは店を出た。ターミナル駅から少し離れたこの店を指定してきたのは、そういうことだったらしい。――なにかを察して、会社の人間があまりこない界隈にしたのかもしれないが。  まだ午前中、やや寂れた商店街の中は人影もまばらだ。信号待ちで立ち止まり、佑は「等々力君」と口を開いた。 「ありがとう」 「はい。……はい?」  一旦頷いてから、理央は「なにがですか?」と訊ねてくる。  あらためて訊ねられると、佑自身も言葉に困った。  昼に向かって本気を出し始めた太陽が、じりじり肌を焼いてくる。盆地の夏は今年も暑そうだ。けれども佑には、なんだか世界が輝いているように見えた。さびれた商店街。古ぼけた街灯。一文字抜け落ちてしまった看板、そんなものたちさえ、すべて。  理央と付き合わなければ、今日こうして泉と会うこともなかった。 『やな奴のためにこっちが行動を制限される義理なんか、ないんだから!!』  という言葉を、聞くことも。  何年も、恋をすることは不自由なことだと思っていた。  つらいことが増えるのだと。  だけど一歩踏み出して理央と付き合ったから、今日こうして泉と言葉を交わし、呪いから解き放たれたのだ。  恋するって、自由になることだったんだ。  三十を超えて、やっと気がつくこともある。  逃げ回っていた自分を、見つけてくれたのは理央だ。 「……ありがとう。おれを、諦めないでいてくれて」  おれ自身さえ諦めていたおれを。  すべてを言葉にするのは難しくて、それだけを告げる。  理央は不思議そうな顔をしながらも、やがて「はい」と頷いて、佑の手を握った。 ◇◇◇  プリンアラモードのりんごをしゃくしゃく咀嚼しながら、泉はLINEを立ち上げた。 『近々、また四人で飲みに行くことになりそうですよ』  休日の午前だが、小さな子供がいるのだ。当然起きているだろうと踏んで、しゅっとメッセージを送信する。案の定、さほど間をおかずに返信がきた。 『おー、いいよ。あんまり遅くならないならな』  LINEの相手は、人間三周目緒方だ。 『先帰ってもいいんで、モエシャン置いてってください』 『おまえ、俺はちび産まれたばっかだって言ってるだろ』 『じゃあピンドン』 『高くなってんじゃねーか!』  仕事の場を離れているから、いつもよりやや砕けた調子で突っ込みと、いくつかのスタンプが飛んでくる。 『シャンパンなんて、なんかいいことでもあったのか?』  次はメロンに行くべきか、今にもこぼれ落ちそうなバナナから先に片付けるべきか狙いを定めつつ、泉は先ほどまでの光景を思い出していた。  平熱三十五度の佑の様子が、最近なんだかおかしいことには気がついていた。  ずーっと当たらずさわらず波風立てず生きてるみたいな人だったのに、いらいらしたり、ぼーっとしたり、そうかと思えばへらへらしたり。  それがまさかあんな難物を射止めていただなんて。  入社した会社の配属された部署に、同じマイノリティの先輩がいるなんて、恵まれたことだ。 ーーだから、できることなら水野さんにだって、幸せにしてて欲しいですよ、私は。  一連の報告を聞き終え、泉が「よかったじゃないですか」と言ったとき。  ふたりため息をつくタイミングが、完全に一致していた。  カミソリ王も、だいぶ人間の顔してたな。  泉は再びメッセージを打ち込む。 『いいことっていうか』

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