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七月第三週③
二日目の朝も、俺は寝坊した。七時四十分頃に、汀が起こしに来た。昨朝よりは図々しくなく、襖を開ける前にノックをして、俺が返事をする前に部屋へ入ってきた。
「おにーさーん! ごーはーん!」
腹に掛けていたタオルケットを毟り取り、汀は大声で言った。やっぱり図々しい。
昨日と同様、食堂でテレビをぼんやり見ながら朝食を食べた。汀も、なぜか俺と同じ席で、同じメニューの朝食を食べていた。雑穀米と、ヘチマの味噌汁と、焼き魚と厚焼き玉子と、薄切りにして焼いたランチョンミート――所謂ポーク缶である――と、何種類かの和え物と漬け物、生野菜のサラダが本日の献立だ。
「お前、学校は?」
「何言ってんの。行くに決まってんじゃん」
制服に着替えているのだから、当然だ。
「お前、いっつもここで朝飯食ってんのか」
「お客さん少ない時だけ。おにーさん、一人ぼっちじゃ寂しいかと思って。一人で食べるんじゃ、味気ないでしょ?」
「別に、何人で食おうが旨いもんは旨いだろ。お前のばぁちゃん、料理上手だよな」
「ふん、当たり前じゃん。何年民宿やってると思ってんの。ばぁちゃんの料理は日本一だよ」
汀は誇らしげに笑った。食事を終えると盆を下げ、床に転がしてあったズック鞄を肩に掛けた。
「岳斗さん。今日の放課後、空けといてよ」
「いいけど、放課後って具体的に何時だよ」
俺は、魚の小骨を取り除きながら尋ねた。しかし、返事は返ってこなかった。汀は、玄関の扉を開けっ放しのまま、外へ飛び出していったらしい。朝っぱらから落ち着きのないやつだ。
午前中は部屋で寝て過ごし、昼飯は、昨日聞いた汀の友達の店に食べに行ったが休業中だったため、売店でポーク卵おにぎりを買って食べ、午後は、オリオンビール片手にビーチで無為に過ごした。
四時過ぎに宿に戻ると、ちょうど汀も帰ってきていた。汀は、コップ一杯の水を一気に飲み干して、「遅いよ」と文句を言った。
「遅いったって、放課後っつったらこのくらいの時間だろ。お前だって、たった今帰ってきたばっかじゃねぇか」
「だって、岳斗さん待ってると思って、急いで走ってきたのに」
汀は、給水器からもう一杯水を汲み、喉を鳴らして飲み干した。
「悪かったよ。そうぷんぷんすんな」
「別に。怒ってないけど。朝、ちゃんと約束できなかったし。岳斗さん、もう帰っちゃったかと思って」
「帰らねぇよ。まだしばらくここに泊まるから」
「……なら、いいんだけどさ」
汀は俺の腕を掴む。しっとりとしていて冷たい汀の掌は、まるで吸い付くようだった。
「それじゃ、早く行こ」
珊瑚の石垣とフクギの木ばかりが連なる、迷子になりそうな細い道をうろうろと連れ回されてやってきたのは、木立に囲まれてひっそりと営業しているカフェだった。カフェといっても、掘っ立て小屋のような素朴な作りであり、それでいて、海水浴場にある海の家のような、開放的な雰囲気の店だった。
「こんにちはぁ」
「あらぁ、汀くん。いらっしゃい」
席に着くより先に注文を取るスタイルらしい。厨房から、ふくよかな女性店員が現れた。汀とは知り合いのようだ。
「こんにちは。レンくん、元気?」
「どうだかねぇ。楽しくやってるみたいだけど、たまには連絡くらい寄越しなさいってのよ。そっちの方は、お客さんね? いらっしゃいませ」
女性店員は――というか、おそらくこの人が店主なのだろう。家族経営で成り立っている雰囲気の店である――俺に会釈をした。
「うん。今うちに泊まってる唯一のお客さん。島を案内してあげてるの」
「偉いわねぇ。ご注文は?」
「黒糖パフェ二つと、マンゴージュースください。岳斗さんは、飲み物何にする?」
「じゃあ、ビール――」
「ダメダメ! ビールはまだ早いよ。どうせ夜も飲むんだからさ。アイスコーヒーにしようよ」
「はぁ? もう、何でもいいよ」
汀が注文を済ませ、会計は俺の財布から済ませた。
裏庭はテラス席になっていて、パラソル付きのウッドテーブルがいくつか並んでいたが、俺達の他に客はいなかった。汀の選んだ席からは、海がよく見えた。海のすぐそばにある店ではないが、ビーチと比べれば高台にあり、遮るものが何もないため、遠くまで見通せるのだった。夕暮れはまだまだ遠く、空はどこまでも青い。
「ここ、お前のおすすめの店なの?」
「うん。すっごくおいしいよ。まぁ、他の店のやつなんか、食べたことないんだけどさ」
パフェはすぐに運ばれてきた。底の浅い、涼しげなガラスの器に、ソフトクリームがとぐろを巻いて盛られていた。俺は、黒蜜と黄粉をたっぷり纏ったソフトクリームを、トッピングの黒糖と白玉と一緒に、柄の長いステンレス製のスプーンに掬って食べた。ソフトクリームも黒糖味であった。濃厚なコクがあって味わい深いのに、後味はさっぱりとしていてくどくなく、いくらでも食べられそうだった。
「何それ。変な食べ方」
汀が、俺を見て笑った。まだ一口も手を付けていないようだった。
「変って何だよ。普通だろ」
「だって、なんで横から削ってるの」
「なんでって、ここが一番いっぱい蜜が掛かってて、旨そうだったからだろ。そう言うお前は、どんな食い方するんだよ」
「決まってんじゃん。見てて」
汀は、小ぶりの口を目一杯開いて、ソフトクリームのとぐろのてっぺんの、魅惑的なツノの部分を、豪快に頬張った。口の周りをソフトクリームと黄粉だらけにして、得意げに歯を見せて笑う。
「やっぱこうじゃないと。上から食べるのが王道だよ。このさ、最初の一口がさ、やっぱり一番大事なんだよ。ソフトの先っちょから食べるの、特別感あるよ」
「お前なぁ……言いたいことは分からんでもないけど、行儀が悪ぃぞ。せっかくスプーンがついてるのに」
俺は、ポケットを探ってティッシュを一枚取り出し、汀に渡した。
「ん、なに?」
「口拭けよ。制服汚れたら困るだろ」
「あ、うん……」
汀は、少し照れたように俯いて、ごしごしと唇を擦った。ティッシュが千切れそうな勢いだ。
「おい、もっと優しくやれ。荒れちゃうぞ」
「だって、こうしないと取れないじゃん」
「そうか?」
「そうだよ」
汀は、使い終えたティッシュをくしゃくしゃに丸めてスラックスのポケットに押し込むと、そのまま流れるようにスプーンを手に取り、ばくばくとパフェを食べ始めた。俺も、再びパフェを掘り進めた。ソフトクリームの下はコーンフレークの層が隠れていて、グラスの底には黒蜜がたっぷり詰まっていた。
海はずっと凪いでいた。宿へ帰る前に、ニシの浜と呼ばれる、島で一番綺麗なビーチに立ち寄った。もう五時なのに、太陽は真っ昼間と変わらず明るい。汀は、運動靴を脱ぎ捨てて裸足になり、スラックスの裾を捲り上げ、波打ち際を走り回った。
「岳斗さんも、こっちおいでよ!」
「いや、いいよ、俺は。砂で汚れる」
「汚れてもよさそうな服なのに?」
「お前こそ、制服汚すなよな」
汀は、しばらく楽しそうに飛び跳ねていた。透き通るような白砂を踏みしめて、点々と残った小さな足跡を、青い波が攫っていく。汀の細い足首に、寄せる波が纏わり付いて、優しく洗い流す。濡れた砂浜に、再び足跡が続いていく。俺は、ちょうどいいサイズの流木に腰掛けて、ぼんやりと海を眺めていた。
元気に跳ね回っていた汀が、いきなり地面にしゃがみ込んだ。砂の上を指先ですいすいなぞって、絵を描いているように見えた。俺は、こっそり立ち上がった。
「何してんだ?」
俺は、忍び足で近付いて覗き込んだ。汀は顔を真っ赤にし、慌てて砂の表面を掻き消した。
「なっ、何でもない!」
「ははーん。さては、相合傘でも書いてたんだろ。お前も年頃だな」
「ちっ、違うし!」
「クラスの女の子か? 今度連れてこいよ」
「ち、違うったら!」
「そんなに照れんなよ。普通のことだろ」
「だ、だから、ほんとに違うからっ!」
汀は、砂を蹴り上げて怒った。白い砂が、太陽の光を浴びてキラキラ光った。
「もう、知らない! 岳斗さんの意地悪!」
裸足のまま、アスファルトの道へ向けて駆け出すので、俺は急いで追いかけた。脱ぎ捨てられた靴と靴下を拾う。
「おい、待てよ。そのまま行ったら、足の裏火傷しちゃうぞ」
汀は、運動靴の踵を潰して突っかけた。普段からこういう履き方をしているらしく、折り目が付いていた。
「……ほんとに、違うからね」
汀はむくれて呟く。
「好きな子とか、いないから」
「ごめんって。もう揶揄ったりしないからさ、機嫌直せよ。ほら、くせぇ靴下、自分で持て」
「……臭くないし」
そう言いつつ、汀は、靴下を鼻先へ持っていく。
「くせぇだろ」
「臭くない。岳斗さんの方が臭そう」
「はぁ~~? お前、俺は毎晩、爪の中までちゃんと洗ってっからな? どんなにおいがするか、今嗅いでみてもいいぞ」
「ふふ、やだよ」
汀は、微かな笑みを唇の端に漂わせた。ようやく機嫌が直ったらしい。
「な、そろそろ帰ろうぜ。ばぁちゃんがごはん作って待ってるよ」
「……ねぇ、岳斗さん」
汀が立ち止まり、俺は振り返った。
「明日もさ、また遊ぼうよ」
「お前がいいなら」
汀は満面の笑みを浮かべ、俺を追い抜いて走っていった。「うちまで競走ね!」と叫ぶ声が、青い空にこだました。
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