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八月第二週①-② ※

 一天にわかに掻き曇り、土砂降りの豪雨となった。大粒の雨が、天地が引っくり返ったように降りしきった。割れた窓から冷たい雨が吹き込み、壊れかけのドアが雨に殴られてガタガタ震えた。頼りなげなトタンの屋根を打ち破らんとする鋭い雨の音が、轟々と響き渡る。穴の開いた天井からは、大量の雨水が滝のようにどっと流れ込んだ。   「涼しいね」    汀の小さな声は、激しい雨音にも滝の音にも掻き消されない。   「いつまで降るんだろ。この後、まだ行きたいとこあったのに」 「どこに」 「岬の天文台。望遠鏡とプラネタリウムがあるの。でもどっちも故障中。何年か前に台風で壊れて、ずっとそのまんまなんだ」    汀は、しょんぼりと呟く。   「ま、雨はすぐやむだろ。夕立だ」 「でも、自転車濡れちゃったね」 「タオル貸してやるよ」 「岳斗さんが汗拭いたやつでしょ。やだ~」 「お前、俺のせっかくの好意を無下にすんなよな」    天井から落ちる滝は、屋根裏に一定量の雨水が溜まったら、一気に放出されるらしかった。比喩でなく、バケツを返したように降り注ぐ。滝壺には水溜まりができ、ただでさえ崩れ始めている床をさらに浸食する。俺達は、部屋の片隅でじっとしている他にない。屋内にいるのに雨宿りをしなくてはならないなんて、ちぐはぐだ。    雨足はますます鋭く、窓の外は水飛沫で真っ白に煙って、一メートル先のことも分からない。先程までの茹だるような暑さ、網膜を焼くような眩しさは、どこか遠くへ消えてしまった。俺と汀二人きりで、時空の狭間に迷い込んでしまったようだった。ここは世間の常識やルールからは隔絶された異空間なのだと、思い込ませるだけの説得力がここにはあった。   「岳斗さん」    汀の、懐に入り込むような距離感に、俺は思わず仰け反った。   「何だよ」 「……ほっぺに睫毛ついてるから、取ってあげる」 「睫毛?」 「うん。目瞑ってて」    目を閉じ、膝を曲げて少し屈んだ。汀の手がゆっくりと近付いてくるのが、気配で分かる。そっと、指先が触れた。くすぐったくなるくらいの、フェザータッチだった。一つ一つの動作があまりにも遅く、俺は焦れったくなった。薄目で見てみると、ちょうど、唇が重なる瞬間だった。    汀は顔を真っ赤にして、ぎゅっと目を閉じて、唇を尖らせて、その尖った唇の先端だけで、触れるだけのキスをした。無理に背伸びをしているらしく、つま先が微かに震えていた。俺は、最早衝動的に、汀の細い肩をがっしと掴んで引き寄せた。汀は、驚いたように目を見開いた。   「ん……!?」    汀の口が僅かに開いた隙を逃さず、俺は強引に舌を捻じ込んだ。汀の小さな口の中は、俺の舌だけで満杯になった。   「ぅ……んン゛……ッ!!」    汀の体が、大きく震えた。それから、余韻で小さく震えた。全身から力が抜けたようになって、汀は俺に弱々しく縋り付きながら、地べたに膝をついた。俯いて、息を切らしている。   「……ごめん。つい……」    言い訳じみた言葉が口を衝いた。我ながら最低だと思った。けれど、汀には俺の声が届いていない様子で、いつまでもへたり込んだままだった。   「どうした。大丈夫か?」    終には、ぺたんと尻餅をついた。俺を見上げる汀の瞳には、困惑と陶酔の色が浮かんでいた。どうして立てないのか、その表情が全てを物語っていた。    俺は、汀のショートパンツに手をかけた。汀は怯えたような顔で、ウエスト部分を両手で押さえた。   「だ、だめ……」 「何もしねぇよ。とりあえず、それは脱いだ方がいい」    なんで? と言いたそうな顔だ。   「すぐ拭かないと、染みになるぞ」    汀は、もたつきながらもズボンを脱いだ。汗で透けて見えていたから知っていたが、紺とグレーの縞模様の下着が露わになる。股下のない、ぴったりしたフォルムの下着だった。ブリーフパンツとボクサーパンツの中間のような感じだ。そして、緩やかな丘陵のように膨らんでいる中心部分に、白っぽい染みができていた。汀は、顔を真っ赤にして俯いた。   「これ貸してやるから、自分で拭けよ」    汀は唇を噛み、これでもかというほど瞳をうるうるさせた。俺の手からポケットティッシュを取ると、あちらを向いてパンツを下ろした。何となく、見てはいけないような気がして、俺は腕組みをして壁と睨めっこを始めた。   「……岳斗さん。おれ、病気かな……」    不意に、汀が呟いた。   「だって、こんなのって……」 「いいよいいよ、分かってるから。皆まで言うな」 「でも……」 「中学生なんだから、こういうこともあんだろ」 「……中学生だと、みんなこうなるの? 岳斗さんも?」 「いやぁ、俺はさすがに」    キスだけでイクなんてことは、なかったけれど。   「だって、変だよ、これ。白くて、ねばねばしてるし、変な臭いもするし……。の、脳みそが、溶けちゃったのかな」    本気で、そんな馬鹿げた心配をしているような口調だった。俺は、思わず振り向いていた。汀は、下半身剥き出しのまま、汚れた下着を手に突っ立っていた。褐色の肌に、白くてねばねばしたものがよく映える。   「……お前、もしかして初めて?」 「あ、当たり前じゃん。こんなこと、何回も起きたら怖いよ……」 「マジかよ……」    穴の開いた風船のように、口から空気が抜けた。汀は、まだ不安そうな顔をしている。   「まぁ、その……それは病気じゃない」 「ほんと?」 「ああ。病気じゃなくて、何つーか……大人になった証拠だよ」 「おれ、まだ中学生だよ」 「そうじゃなくてだな……体が、大人に近付いたってこと。男ならみんな、その白いやつが出るようになるんだよ。今度、学校の友達にでも訊いてみろ」 「みんなも、この白いやつ出るの?」 「個人差があるから何とも言えないけど、テツくん辺りなら経験済みじゃねぇの? ほら、体格いいから」 「体格いいと、こうなるの?」 「ん? んー、まぁ」 「岳斗さんも?」 「俺は、小六の夏だったかな。お前よりちょっと早い」    ここまで説明して、汀はようやくほっとした様子だった。   「病気じゃないんだ」 「だからそう言ってんだろ。いいから、早くティッシュで拭き取って、早くパンツ履けよ。いつまで裸でいるんだよ」 「あ、ごめん」    羞恥心を思い出したらしい汀は、再び後ろを向いた。いつのまにか、雨は上がっていた。雲の切れ間に青空が覗き、東の海には涼しげな虹が架かっていた。

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