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八月第三週②-①

 旧暦七月十四日。盆の中日。ムシャーマ当日である。朝から快晴で、うんざりするくらいの暑さに恵まれた。朝ご飯もそこそこに、ミチズネーに参加する面々は集会所に集合し、衣装に着替えて振り付けの最終確認をする。驚いたことに、ンマブジャーの崎枝節は、香織さんが演奏するらしい。自前の三線を持参してくるという徹底ぶりだ。    中央の公民館で、ムシャーマの始まりを告げる銅鑼の音が鳴り響いた。今年は西組から先に入場するらしい。    まず先頭には、ブーバタと呼ばれる幟旗が掲げられる。豊年祈願と書かれている。続いて、ミルクナーリと呼ばれる、五穀の実を付けた竹竿が掲げられる。そして、行列の主役であるミルク神が登場する。布袋を思わせるふっくらとした輪郭の、ユーモラスな笑みを浮かべた真っ白な仮面を着け、鮮やかな黄色の衣装を纏い、ゆっくりと左右を見渡し、後ろを振り返りながら進む。    汀に教えてもらった話では、このミルク神というのは、仏教でいうところの弥勒菩薩であるらしい。その弥勒菩薩は布袋と同一視されることから、結局、この仮面は布袋の仮面ということでもいいのではないかと思う。どちらにしても、豊穣を司る神であることには違いない。ムシャーマは、今は先祖供養の盆行事も兼ねているが、元々は豊年祭の行事だったのだ。    ミルクの後ろには、就学前の小さい子供達がわらわらと続く。浴衣や法被や甚平を着て、おめかししている。ミルクは女性神とされており、彼らはミルクの子供達というわけだ。汀のいとこの海くん陸くん、またいとこの紬ちゃん翼くんも、母親と一緒に参加している。    次いで、弥勒節だ。絣の着物を着た年配の女性が、太鼓を叩きながら弥勒を称える唄を唄う。続いて、嘉利吉節。鮮やかな紅の民族衣装を着た少女が、扇を手に舞う。それから、マミドーマ節。法被を着た小学生が、張りぼての鎌を手に踊る。高い声で一斉に掛け声をかけるのが可愛らしい。その後ろでは、誠一さんが、張りぼての鍬を持って踊っている。    マミドーマは刈入の様子を表したものだが、稲摺り節は脱穀の様を表した踊りで、こちらは健一さんが参加している。続く天川節は、花笠を被った和子さんが舞に参加していた。行列の半ばには、ブーブザと呼ばれる、藁で顔を隠した道化役がうろちょろしている。彼はミルクの別れた亭主であり、彼女に頭が上がらないので、行列の先頭へは行かないらしい。    さて、この辺りでいよいよ俺の出番だ。香織さんの三線と唄に合わせて馬を走らせる。ちなみにこの衣装が結構独特で、全体が空色で赤いラインが入っている、裾の長いちゃんちゃんこのような形状の服を着、足下は脚絆を着ける。香織さんは、普段着の上に法被を羽織っているだけだった。    俺の後ろには、棒術の青年が続く。白い股引のようなのに赤い脚絆を合わせ、揃いの羽織を着て、手拭いを頭巾のように被って鉢巻きを締めた、江戸の火消しを思わせるような勇ましい出で立ちで、演武を行う。六尺棒や薙刀、刀や鎌、陣笠などを振り回し、雄叫びを上げて闘う様は、圧倒的な迫力だった。    演武の後、汀達少年らによる太鼓が続く。頭巾に鉢巻きをしているのは棒術の青年らと同様だが、白いシャツに白い股引のようなのを履いて、赤い腹掛けをして赤い脚絆を着けた、ンマブジャーに負けず劣らず独特な恰好をしている。太鼓を肩に担ぐ者と、それを撥で叩く者、二人一組で縦に並んで、ゆっくりと歩く。汀は太鼓を担ぐ担当で、テツくんが太鼓を叩く役だった。    最後に、太鼓、笛、銅鑼の音に導かれるようにして、鬼の面を被った獅子遣いと、胴体が藁でできた獅子がやってくる。獅子は自由自在に巨体をうねらせ、時折観客に噛み付きながら、行列は終了する。    西組が公民館に到着すると、東組のミチズネーが始まる。内容は大体同じだ。東組にもミルク神がいるが、西組とは仮面の顔立ちが少し違う。西組のミルクの方が、黒目が大きくて親しみやすい。中盤に挟まれる舞や踊りも、少し異なっている。棒術、太鼓、獅子で締めくくるのは共通である。    ミチズネーが終わり、島に住む老若男女ほとんど全てと、いつのまにか増えていた島外からの見物客が、公民館の広場に集合する。普段は何もない広場だが、仮設の舞台が用意され、屋根代わりの天幕が張られていた。そこでもう一度、棒術と太鼓と獅子舞が披露された。ある種の神降ろしの儀式のようにも思える、南洋風の軽快さとは一線を画した、厳かで神聖な雰囲気があった。    午前の部の最後に、ニンブチャー、つまり念仏踊りが行われた。広場の中央で年配の男性が笛を吹き、銅鑼を鳴らし、その周りを太鼓の少年が囲み、さらにその周りを棒術の青年が囲み、さらにその周りを島民が囲んで巨大な円を成し、念仏を唱えながらぐるぐるぐるぐる回る。    香織さんが言うには、南無阿弥陀仏から始まるこの念仏節は、親の恩を思い出し感謝するといった内容らしい。父のご恩は山より高く、母のご恩は海より深いと、北条政子が承久の乱の演説で語ったような内容の歌詞を、南国風の晴れやかな節に乗せて唄うのだ。盆の行事で唄うにはぴったりの内容だと思った。    昼休憩に入り、一旦桃原荘へ帰ると、親戚の数が倍くらいに増えていた。おじいちゃんの妹和子さんの娘、恵子さん。同じく和子さんの息子、学さん、その嫁の美香さん、娘の七海ちゃん。おじいちゃんの弟の実さんと、嫁の静子さん。実さんと静子さんは、香織さんの両親に当たる。   「来てないのは直樹だけか」    健一さんが、ソーミン汁を啜りながら言う。ソーミン汁とは、茹でた素麺に温かいスープをかけただけの、シンプルで食べやすい島の郷土料理だ。   「大学の研究が忙しいとかでね。あいつも残念がってたよ」    実さんが答える。   「今年は代わりにお客さんがいるからいいじゃないの。歳も直樹と近そうだし」    恵子さんが俺を見て言う。   「そーね。直樹の代わりに、馬もやってくれたしね。なかなか様になってたよ、お客さん」    香織さんが揶揄うように笑った。   「香織さんこそ、まさか三線があんなに上手だとは思わなかった」 「あら、そお? まー、小っちゃい頃からずっとやってるからねー。指が覚えてるっていうか」 「俺は楽器全然ダメなんで、憧れちゃうな」 「でも、香織ちゃんよりおれの方が上手いよ」    俺の隣で黙々と素麺を啜っていた汀が、久方ぶりに口を利いた。   「おれの方が上手いもん」 「何よぉ、汀。アタシがあんたより下手だっての?」 「香織ちゃんも上手いけど、おれのが上手い」 「そんなことないわよ。アタシのが三線歴長いんだから」 「おれだって長いもん」 「んもー、そんなに言うんだったら、勝負しよっか」 「いいよ、受けて立つ」    二人が立ち上がったところで、おばあちゃんが静かに制した。午後も忙しいのだからつまらないことで争うんじゃない、そんなことより片付けを手伝ってくれ、と。    午後の部は二時からの予定だったが、島の人達は時間にルーズなところがあり、三十分ほど遅れてようやく始まった。畳の敷かれた仮設舞台で、三線と笛の演奏に合わせ、唄と舞が奉納される。汀のおばあちゃんは紺地の絣で祖平花節を舞い、汀の友人のユキちゃんとアオイちゃんも、青い着物で五月雨節を舞っていた。    祖平花節とは、港から島の中央へ繋がる道ができたことを祝う唄。五月雨節は、夜雨が降ると豊作になるということから、五穀豊穣を祈る唄らしい。香織さんが物知りで、色々教えてくれた。汀は、始めは俺の隣にいたが、いつのまにかステージのすぐそばまで移動していた。いつもの仲良しメンバーに加えて、見知らぬ高校生くらいの少年が一人交ざっていた。    奉納演舞が終わると、祭りもいよいよ佳境に入る。ステージの垂れ幕が取り払われた開放的な会場に、華やかな三線の音色と伸びやかな唄声が響き渡ると、観客も演者も関係なく立ち上がって、何やらおもむろに踊り始めた。   「モーヤーだよ。岳斗さんも踊らなきゃ」    いつのまに戻ってきていたのか、汀が俺の腕を引っ張る。   「お客さん、内地の人でしょ? 踊れるの?」    香織さんが揶揄うと、汀はむっと眉を寄せた。   「おれが教えてあげるんだから、香織ちゃんは心配しなくていいよ」 「あっそーですか。踊りだって、アタシのが上手いんだから」 「おれだって上手いもん。ほら、立ってよ、岳斗さん」    俺は、とにかく見様見真似で、手首をくるくる回し、掌をひらひら返し、拍子に合わせてステップを踏んだ。動作自体は簡単だし、盆踊りとも似ているが、如何せん曲調が南洋風のものなので、慣れない者にはなかなか難しい。   「もっとさぁ、大きく動いてよ。脇締めないで、腕上げてさ」 「こうか?」 「うん! もっと自信持って、楽しく踊んなきゃ。ばぁちゃんもいつもそう言ってるよ」    汀はさすがに上手かった。島に住んでいるだけある。香織さんも様になっている。島の血が流れているためか、単に子供の頃から踊っているからだろうか。踊りながら、汀のおばあちゃんとすれ違ったが、汀と比べてもずっと上手い。軽やかで優雅なのに、決めるところはびしっと決める。踊りが魂に染み付いているという感じだ。    モーヤーというのは、祭りや結婚式など祝いの席のクライマックスとして踊られる、全員参加型の即興ダンスのことだ。即興なのでかなりごちゃごちゃしているが、弾かれる曲は六調子と決まっている。アップテンポでノリがよく、体が勝手に踊り出すような良曲である。汀は髪を振り乱し、汗を光らせて舞い踊る。    会場はいつしか異様な熱気に包まれ、男も女も年寄りも若者も島外から来た人も、皆一心不乱に踊り狂っていた。取り憑かれたように三線を掻き鳴らし、曲のテンポは際限なく速くなり、それに合わせて踊りも一層激しくなる。腕が痺れ、足が攣りそうになっても、ひたすら踊り続ける。理性を失わせる真夏の熱狂が唸りを上げ、この狭い空間に極まっていた。        祭りの余韻が醒めないまま、昨晩と同様に親戚の人達と一緒に夕ご飯を食べた。この多人数では食堂が狭苦しく、中庭にもテーブルと長椅子を出した。食後はもちろん、庭や縁側に集まって、月見酒と洒落込んだ。    男共は皆天狗のような赤ら顔で、泡盛臭い息を振り撒いていたが、女性陣も負けず劣らず、特に恵子さんと香織さんはこの家の女であるから遠慮の必要もなく、呂律が怪しくなるまで飲んだくれていた。   「汀ァ、あんた、ちょっと一曲唄いなさいよ」    恵子さんの突然のリクエストに、汀はたじろいだ。   「なんでおれ? 香織ちゃんでいいじゃん」 「だって、なんか寂しいんだもの。何でもいいから、音楽がほしいわ。香織は、ほら、潰れちゃってるし」    香織さんは、空のグラスを手に、テーブルに突っ伏している。   「ねーェ、ほら、弾きなさいよ。何でもいいからさァ。おじいちゃんとおばあちゃんも、曾孫の三線聞きたがってるわよ。せっかく帰ってきてるんだから、楽しませてあげなさいよォ」    この場合のおじいちゃんおばあちゃんとは、汀にとっての曾祖父母であろう。二人とも数年前に亡くなっているらしい。仏壇には遺影が飾られていた。    汀は一旦部屋に戻り、しばらくして三線を持って戻ってきた。古いもののようだが、本物の蛇の皮を使っていて、中学生が持つにしては立派すぎる。汀は縁側に腰掛け、三線をぽろんと爪弾いて、大きく息を吸った。   「チキヌカイシャね」    恵子さんが満足そうに呟き、俺は訊き返した。   「何て曲ですか」 「月ぬ美しゃ。月の美しいのは十三日、娘が美しいのは十七歳、って歌ってんのよ」    途中に入る囃子詞は、皆で声を合わせた。汀は、張り詰めた弦をしなやかな指で押さえ、惚れ惚れするような指捌きで三線を鳴らす。細い喉を震わせて、民謡らしく小節を利かせて唄う。流暢な島言葉なので歌詞の意味はよく分からないが、良い曲だと思った。ゆったりとした、美しいメロディー。心が洗われるようだ。題名も情緒的で美しい。    汀は、そのまま流れるように、トゥバラーマと呼ばれる恋の唄を唄い始めた。これは結構有名な曲で、石垣島ではトゥバラーマ大会が開かれたりしているらしい。歌詞はやはり分からないが、恋人に会えなくて切ない、私のことを好きならぜひ会いに来てください、というような内容らしい。    おじいちゃんが篠笛を持ってきて、汀の三線に重ねて奏で始めた。親戚の皆も手拍子を鳴らし、ご機嫌に口笛なんか吹いたりして、最早軽い合奏状態である。続く曲はションカネ節。曲調はまったりしているが、どことなく哀愁の漂うメロディーだ。笛が入ることで深みが増す。歌詞の内容としては、夫婦の別離の哀しみを唄ったものらしい。    続くツィンダラ節もまた、幼馴染の恋人同士の別れを唄ったものだそう。その昔、国の命令により、元々住んでいた島から別の島へと強制移住させられることがあったそうで、そのために恋人と離れ離れになってしまった少女が、それでも貴方が愛しいよと唄った、実に切ない曲である。そのわりには曲調が妙に明るいが、汀が情感たっぷりに声を震わせて唄うので、涙を誘う。    ツィンダラツィンダラヨー、という囃子詞が、非常に切ない響きを持っていて耳に残り、俺も一緒に口ずさんだ。ツィンダラというのは、可愛いとか愛しいとか、あるいは可哀想とか不憫だとか、二重の意味がある言葉らしい。大和の古い言葉にも、似たようなものがある。“かなし”という単語は、もちろん悲しいという意味もあるが、愛しいという意味も持つ。    唄い終えたかと思えば、汀は再び、三線をぽろんぽろん弾く。次の曲は、随分とスローテンポの曲だった。感傷的な三線の音色が、一音一音、胸に沁み入る。皆の手拍子も落ち着いて、ほとんど汀の独壇場だ。    あの小さい体のどこからこの声が出ているのかと不思議に思うくらい、汀は朗々と唄い上げた。民謡らしくはっきりと抑揚をつけて、息継ぎもせず伸びやかに唄う。決して声を張るわけではないのに、抜けるような高音が美しい。胸を震わせる低音が素晴らしい。汀の声があまりに哀愁を帯びているから、うっかりしたら泣いてしまいそうだった。

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