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3.彗星
朝陽が目蓋の上に落ちて、羽白はゆっくりと覚醒した。夜通し少年を看病するつもりが、いつの間にか眠ってしまったようだ。
「……あっ」
ハッとしてソファを見ると、そこに彼の姿はない。身体を起こすと、自身に掛かっていた毛布がはらりと床に落ちた。
「どこに行ったんだろう」
キョロキョロと室内を見回しても、そこには伽藍とした薬屋の風景があるだけだ。羽白はゆっくりと立ち上がり、カーテンを開けて窓の外を見た。祈りが通じたのか雨は上がって、雲の隙間から優しく光が射している。
「やばっ」
時計を見ると、針はもう正午に差し掛かろうかとしていた。
慌ててソファを片付け、支度を始める。
***
「ええっ? 熱病の薬が切れてる!?」
何度聞いたか分からないセリフに、ひたすら頭を下げるしかなかった。
「はい。昨夜は雨で、トキシコ草の自生地に採取にいけなくて……」
ちら、と空になった瓶を見る。
昨夜、あの赤髪の少年に飲ませたものが最後だった。目の前に列を作る客人たちは、暗い顔を見合わせる。
「そうか……先生を責めても仕方がないよな。けどよ、幼い子どもが苦しそうで……」
「私たちがそこに行っても、どれがトキシコ草なのか見分けもつかないし……」
「でも、もうすぐ夜だから森は危険だな」
陽は落ちかけていた。あの少年がふらりと帰ってくることをほんの僅かに期待したが、今の今までその姿はない。
「すみません、明日には。いや、今からならギリギリ夜になるまでに帰れるかも。今日は店仕舞いして、直ぐに採取に向かいます。薬は皆さんの家に届けますから、安心してください」
客人たちは羽白の身を案ずるような言葉を口々に掛けたが、それでも安堵したようだった。
──「じゃあ、先生。気をつけて」
最後の一人を見送ると、入れ替わるように新しい客人が入ってきた。フードのついたローブに身を包み、大きな麻袋を持っている。顔の半分を布で覆い、その表情はうかがえない。
「あ、あの……すみません。今日はもう閉店で」
羽白がおずおずと声を掛けると、その人物は肩に掛けていた麻袋を、ずしりとカウンターに置いた。
「トキシコ草……ってのは、これか?」
「え?」
少しだけ開いた口から中を見ると、充分すぎる量のそれが詰まっている。
「これは……確かに! えっと、でもどうして?」
「昨晩の礼さ」
そう言うと彼は、フードを脱いだ。同時に覆面がはらりと捲れ、整った中性的な顔が現れる。流れる赤髪をうなじで可愛らしく結い、左耳には紫苑のピアスが揺れる。
「あ、貴方は! よかった、元気になったんですね」
「ああ、お陰様でな」
そう言いつつ、胸元を押さえる。そこからは赤い血が滲み、貸した白いシャツを染めていた。
「傷が開いているようです……、すぐに手当を」
「いや、構わねえ」
少年は羽白からスッと距離を取る。
「あまり俺に関わるな。礼だけはきっちりする主義なもんで、戻ってきただけだ」
「でも!」
「勉強熱心だな。コイツに、この草のことが書いてあった」
どこから引っ張り出したのか、羽白の学生時代のノートを懐から投げて寄越した。
「わっ、と!」よろめいてキャッチ。
その様子に彼は少し笑って、
「毒なのに薬、か。確かに面白い名前だ──じゃあな!」
くるりと踵を返し、出入り口のドアに手を掛ける。
「待って! あの、せめて名前を……」
ドアを開けながら、一度だけ振り返った。
夕陽のような、緋色の瞳だった。
「彗星 」──。
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