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第2話

目が覚めた時、まるっきり理解が出来ていなかった。見知らぬ天井が視界に写ったのは、初めてだったから。 「.......え?」 目が覚めて、ぱちぱちと2、3度瞬きをする。 ゆっくり身体を起こして、自分が服を着ている事、その服は昨夜自分が浅倉のバーに着ていった服と同じ事、そして身体に何も違和感が無いこと。 恋人に殴られた傷が痛む以外には.......。 それらを確認した夕は、ゆっくりと周りを見渡した。 「.......何処だ、ここ」 ぽそり、と呟いた自分の声しか聴こえない。 あとはチュンチュン、と楽しそうに話をしている小鳥達の声が窓の外から微かに聞こえるくらいしか家には音がなかった。ベッドから降りて目に入った黒革のソファには、大分足をはみ出して寝ている、グレーのスウェット姿の男が居た。イビキをかくことなく、腕を大胆に投げ出して眠る大男。 夕はその男の顔に唖然とした。 それもそのはず。 夕にとってその男は、『見知らぬ男』なんかじゃなかった。 少し背が伸びたんじゃないか。 高校の時は俺より幾らか上なだけだったと思う。 野球部だった彼はずっと短髪だったから、こんなに髪が伸びている姿を初めて見た。 黒髪じゃなくて、少し栗色だったんだ。 一瞬にして様々な事が頭を過った。 (.......なんで、こんな事に.......) そしてまた一瞬にして、夕の心はずしり、と重くなった。取り敢えず、何事も無かったかのように帰らねば。 この男に目を覚まされる前に、帰らなければ。 夕は焦って、自分の荷物を探す。玄関近くに、自分の荷物が纏められてる事に気づき、慌てて駆け寄った。 駆け寄ったのがいけなかったのか。 足音を立てたつもりは無かったのだが、後ろから掛けられた声が起こしてしまった事実を現実だと教えてくれた。 「.......行光?」 懐かしい爽やかな声。 喋る度に出張った喉仏が上下する。 それを見るのが大層好きだった。 久しぶりに名前を呼ばれ、自分の胸が諦め悪く高鳴るのに気づいてしまった。 「.......ご、ごめん.......俺、バーで呑んでた.......はず、.......なんだけど.......」 辿々しい言葉を必死に紡ぎ、男に目を向けないまま荷物を握り締めた。 動けばいい。立ち上がり、荷物を持って靴を履いて目を合わせぬまま、玄関を出てしまえばいい。 そして今後、ウィスキーは半分で止めよう。 いや寧ろ呑まなくて良いだろうもう。 呑みたい時は、ほろよいの可愛らしくて甘ったるい缶にしよう。 一生分頭を回転させた気分だった。 夕は、男が近づいてくる気配を感じて身体を強ばらせる。 何も痛い事なんてされていない。 怖い事も何も無い。 だが、夕の心臓はずっと警報を鳴らしているみたいに鼓動が止まない。 (聞こえてしまいそうだ.......離れたい.......) 心の中で思いつつ、手に嫌な汗をかいていた。 「行光、どうした? 二日酔い? 具合悪いか?」 あの頃と変わらない優しさを与えてくれる。 夕は、酒に弱いが二日酔いなんてしない。 それを知らないのは、久しぶりに会ったお互いが成人しているから。 夕は必死に首を横に振った。 「だ、大丈夫.......ごめん、ごめんね」 わけも分からず夕はただただ謝る。 恐らく、自分が恐れているような過ちは犯して居ないのだと思う。 それは自分の服装が乱れて居ないのと、身体の違和感も無い。 そして相手の反応もベッドも、恐らく間違いは起きて居ないんだ。 それは理解出来ているのに、考えても見なかった相手に出会えてしまって夕の中で思考回路が渋滞してしまっていたのだ。 自分が予想だにしない事が起きると、夕は直ぐにパニックを起こす。 それで幾度となく失敗を繰り返し、親からの期待を裏切ってしまってきた。 焦って、焦って、話そうと思っても何を話せば良いのか分からない。 元来、人見知りの激しい夕には久しぶりに会ったのが知人だとしても、上手い話のネタなんて思いつかない。 だから、一秒でも早く此処から逃げたかったのだ。 夕があわあわしているのが見て取れたのか、後ろに立っていた男はクスクスと笑い声をあげた。 「行光〜。お前変わんないなぁ〜、そんな焦んなくても.......あれ、もしかして俺の事おぼえてなかったりする?」 急に焦った声を上げた男に、夕は慌てて振り返り首が取れそうな勢いで横に振った。 少し振りすぎて視界がクラクラした。 「..............ひ、日野.......でしょ」 小さく、小さく、ただ言葉が零れてしまっただけ、と表すのがピッタリな程、小さな声だった。 しかし、夕達以外音のないこの部屋には十分に聞こえてしまう。 男は夕の言葉に、あの頃と同じ白く並びの良い歯を思い切り見せて「おう!」と笑った。 ちかちか、と星が降ったような笑顔を見せられ夕はつい昔のように目を細める。 (あぁ.......眩しいなぁ) 直視は出来ない。 そんな事をしたら目が潰れてしまうな、と昔から思っていた。 自分なんかが隣に居れるような人じゃない。 日野はもっと、太陽だから。 俺は太陽の影に居れればそれでいいんだ。 「.......なんか、迷惑.......かけちゃったみたいで、ごめんね。帰るね」 申し訳ない、という感情を全面に出し夕は謝った。 日野は少しキョトンとしていたが、「う〜ん」と考える素振りを見せる。 しかし夕はそんなの気にもせず、荷物を持ち靴を履いた。 すると、「ちょっと待った!」という声と共に夕は左腕を掴まれた。 吃驚して振り向くと、日野はおもちゃを見つけた犬のような笑顔で、夕に言った。 「久しぶりなんだしさ、もうちょい居てよ!」 その明るさは、やっぱり夕には眩しかった。

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