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第11話

俯く夕の表情を察したのか、日野は話題を変えようと窓に目を向けた。 「銀木犀ってさ、」 唐突な話題転換に夕は不思議に彼を見つめるため、顔を上げた。 「俺、花に疎いから知らなかったんだけど、地面に落ちたら白い星が散らばってるみたいで、可愛いんだよな」 日野の見つめる先には、窓から見えていた銀木犀があった。夕も、日野と同じ景色を瞳にうつす。 風でほんのりささやきあう木々達。 ただの花でさえも、日野にはそんな風に見えるのだ。可愛らしいというか、美しいと言うべきか。 「この間、そう後輩の女の子に言われて、たしかになぁって」 後輩の、女の子。 ぼんやりと窓の外を見つめながら、日野の言葉が脳内に木霊する。 後輩の女の子は、彼女なんじゃないだろうか。 だってさっき、ラブホ街に彼はいた。だから自分は那津といる所を見られてしまったのだから。 彼女と来ていたのに、自分が不甲斐ないばかりに日野を独り占めしてしまってるんだ。 俺が、……俺のくせに。 「行光は、どう思う?」 「……え?」 情けない、醜い感情を一瞬にして心の奥底にしまい込んだ夕は、顔を上げて今度は日野を見つめた。 「銀木犀、星みたいに見えたことある?」 本当はもう少し聞き出したいのだろう。 何しにホテルの前にいたのって。あれは本当に好きなのって。お前らは男同士でやってんのかって。 ……否、日野はそんな意地悪じゃない。 学生時代だって彼は下の話には食いついて居なかった。いつも仲間内で話してる時もただ笑ってその場をやり過ごしていた。 そんな所だって、ほかの男子生徒と差があって女子人気を助長させていたのだ。 日野は、落ち着いていてそれでいて爽やかで、けれどどこか少年らしくて、年相応な顔もあって。 そして誰よりも、夕に優しかった。 「……俺は……」 夕は日野を見つめる。 日野の瞳は、銀木犀の事なんかどうでもいいって訴えているように見えた。 見つめ合いながら、きっと夕に自分から話して欲しいと思っているのだ。けれど夕には、事実をありのまま話せる勇気は無かった。 もう二度と、あの夏の過ちを犯したくはなかった。 自分は、日野とは違う。違う場所に住む人間なんだと伝え続けなくてはいけないのだ。 夕から嫌いになる事は一生無い。 であればもう、日野に嫌ってもらうしか会えなくなる方法が分からない。 「…………ヒトデ、みたいだと思った」 夕がぽつりと呟いた時、日野は、ふっ、と脱力した気がした。 「ヒトデ?」 不思議そうに首を傾げる、日野。夕はゆっくり口を開ける。落ち着かない夕は指をモジモジさせて話をした。 「……金木犀が生きてるヒトデで、銀木犀が……しんだ、ヒトデ……」 「あー!なるほど!」 何がなるほどなのか。 夕の感性は独特だと思う。金木犀も銀木犀も違う植物だ。花が落ちても色が変わることは無い。 ヒトデのように死んだとわかることは無い。 「相変わらず行光って面白いよなぁ〜」 「……」 それを面白いと表現してくれるのは相変わらず、日野だけだ。 夕は俯いた。 気持ち悪いって言ってくれればいいのに。それすらも思わないほど、美しい人間なんだな、日野は。 「死んだ珊瑚礁とか真っ白になるもんなぁ。俺あれ怖くて苦手なんだよな」 「……怖い?」 今度は夕が首を傾げる番だった。 「ほら、船の墓場とか俺そういうの駄目なんだよな。死が広がってるみたいな感覚っていうか、なんか吸い寄せられそうで」 必死に生きてるってのにさ。 と、眩しい笑顔で笑う日野に、夕はじっと彼を見つめた。 そうなんだ、日野でもそんな事思うんだ。 ほんの少し湧いた親近感も、やっぱり持ってはいけないものだから、言葉にすることなく行光は黙った。 「行光にもあんまり行かせたくないな、そういうところ。見て欲しくもない」 それは、どうして。 夕が目を丸くしたとき、ピンポン、とチャイムが鳴り響いた。その途端、ドンドンドンッとドアを叩く音が続く。 夕の肩がびくり、と跳ねた。見れば日野も驚いている。 何事かと耳をすませていると、高い女の声が聞こえた。 「日野くん!!ちょっと、カナエを置き去りにしたってどういう事よ!?」 「あちゃあ……」 日野は額に手をやってため息を吐く。 夕は、やっぱりさっき女の子と一緒に居たんだ、とソワソワした。 「日野くん!!日野!!こら出てこい!!」 女性の怒鳴り声は何だか居心地悪くて、気づいたら夕は俯いて目を瞑って、手のひらを固く握りしめていた。 その様子に気づいた日野はそっと夕の肩を抱く。 「悪ぃ。俺が不真面目なことしちまったせいだわ。行光少しここで待っててもらえる?それとも、音とか声、怖い?」 「え、」 なんで、音と声が怖いって、分かるの? 顔を上げた夕を心配そうに見つめる日野。今もまだドアは叩き続けられ、日野の名前を呼び怒鳴り続けてる。 そろそろご近所からクレームが入ってもおかしくはない。 日野が怒られてしまう。 夕は言いたかったことを飲み込んで、口を開けた。 「……ご、ご近所さんに、……めいわく、かも……」 「あっ!やべぇ!たしかに!!」 日野は、夕の頭をくしゃくしゃと撫でて「ちょいまち!」と言って慌ただしく玄関へと歩いていった。ドアを開けた音と女の怒鳴り声は同時に聞こえた。 (……あ、あまい、かおり……) 男女の言い争う声を背景にして、塞いでいなかった鼻に届いたのは、開いた窓から香る銀木犀の花だった。 (……ヒトデじゃないもんね。君は) 銀木犀を見る。そっと立ち上がり、網戸を開けた。 ベランダに出ると、銀木犀とより近くなる。そっと手を伸ばし、その小さな花に触れた。 「あ、……」 花が1個、取れてしまった。 取るつもりは無かったのに……ごめんなさい。 夕は悲しい気持ちのまま取れてしまった、たった一つの花を見つめた。 手のひらに乗る小さな小さなその花は、夕が日野に隠している恋心と同じような小ささで、なんとはなしに夕はその花に軽くキスをした。 あの夏の日のように、触れるだけの軽くて重いただのキス。 甘い香りが一層強くなり、夕は微笑んだ。 小さな花を先程まで夕が座っていた畳の上に置いて、再びベランダに出た。 何となく窓を締め、ベランダの手すりに足をかける。ここは2階だ。 実家で夜中脱走する時はもっと高い所から木伝いに降りて外に出ていた。 ここからなら外に出られるな。 このまま待っても長くなるかもしれないし。靴は家に帰ればまた別なのがあるし。 夕は柱や木を上手く利用して、するすると下へ降りる。下の階の窓は開いておらず夕の姿が見られることは無かった。 そのままそそくさとアパートを去り、コンクリートの地面へと素足を触れさせた。 ざらついた地面は、時折小石が阻んで痛む。 けれど、どこか清々しい。息が思った通りに出来る。 空を見上げ、広く感じる。 夕は昔から、この瞬間のために生きていた。

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