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第2話 引きこもりの身だしなみ
人と会うことがほとんど無い僕だけど、定期的に髪の毛は整えている。父は僕の容姿をとても気に入っており、身だしなみにうるさいのだ。そんな訳で、完全予約制かつ会員制のヘアサロンに通わされて久しい。
父の結婚相手がやってくる当日も、父により勝手にサロンの予約をされていたので髪の毛を切ってきた。
個人経営なので他の客がいないし、スタイリスト自身もオメガなのはありがたい。僕は鏡に映る自分の顔を眺めた。
オメガにしては平凡な顔立ち――二重だがそれほど大きくない目、主張の少ない鼻、血色の良い唇が卵型の白い顔に並んでいる。そして額にはナチュラルブラウンの柔らかい癖毛が掛かっていた。見た目だけならば、人の記憶に残ることはあまりないと思う。
ただ実年齢の三十三歳に見られることは少なく、未だに酒を買う時に身分証の提示を求められることがある。オメガは老化が遅いのが一般的なのだ。
「蓉平くん、悩み事?」とオーナー兼スタイリストの中西が心配そうに尋ねてきた。彼は四十代のはずだが、せいぜい三十歳そこそこにしか見えない。中性的でミステリアスな男性オメガだ。
「ええ、まぁ……そうですね。今が人生最大のピンチかもしれないです」
「え~、なになに? 聞いてもいい?」
「……父が結婚することになったんです」
「わあ、おめでとうございます! でもそれがなんでピンチなの?」
「実家に越してくるんです、奥さんになる方が……」
「ああ~……」
「僕、引きこもりじゃないですか。すごく――気まずくて」
「それはたしかに、ちょっと気まずいかもしれないねぇ」
彼は僕がオメガで、社会に適合できずに引きこもっていることを知っている。彼自身もこうして一人で店を構えて独立するまでに色々大変な思いをしているオメガなので意気投合していた。
「しかも息子さんがいるんです」
「えっ! 兄弟になるってこと?」
「そうなんです。今更大学生の弟ができるんですよ。しかもアルファの」
僕はため息をついた。
「ええ~! アルファと同じ屋根の下で暮らすの!?」
「もう、憂鬱で……絶対バカにされるじゃないですか」
「いや、それより身の危険感じるでしょ? 大学生ってもう大人じゃない。しかもアルファなんて」
「はあ……その辺は僕ももう三十三歳ですし、向こうからしたらオッサンだからそんなに気にしてはいないんですけど」
「いやいやいや! ちょっと待って。その童顔でオッサンはないでしょ? 絶対蓉平くんみたいな良い匂いのオメガと若いアルファが同じ家に……いや、だめだめ。嫌な予感しかしないって!」
「……そうですかね?」
「そうだよ、だってオメガの俺でも蓉平くんの匂いの香水あったら欲しいと思うくらいだもん。ねえ、外に出るのは抵抗あるかもしれないけど、一人暮らし始めたら?」
「そうしたいのはやまやまなんですけどね……。父に一人暮らしはだめだって言われちゃいました」
「え~……そんなぁ」
ここで愚痴っても仕方がないのはわかっていた。ただ、誰かに聞いてほしかったんだ。
中西は「とりあえず引きこもりだからって舐められないように完璧にするね!」と言って気合を入れて髪型をセットしてくれた。
自宅での会食とはいえ、シェフを呼んでフレンチのフルコースを用意すると父は張り切っていた。僕も一応こざっぱりとしたカジュアルなセットアップの服を着て来客を待った。
基本的に僕はファッションに興味が無い。ただ、現在クラウドソーシングで受注している仕事がSNSの運用代行なのだ。その中でもピンスタグラムという画像・動画共有SNSを業務上仕方なくよく見ている。すると、嫌でもなんとなく今何が流行っているのかがわかってしまう。
しかもそこで僕はよくおすすめにピックアップされるある人物にハマってしまった。
まだ二十歳そこそこの若いモデルで、Ao(アオ)という名のいかにもアルファという見た目のイケメン。ただ姿形が良いだけのモデルならいくらでもいるのに、なぜか彼の画像に惹き付けられた。
アップされている画像の画角なのか、ポーズなのか――たしかに余白が絶妙だったり、服装がとてつもなくインパクトのある物だったりする。だからもしかして彼自身というより撮影者の美的センスに惹かれているのかもしれない。
いずれにせよ僕は彼の投稿する画像を毎日チェックし、どれだけのリーチがあり、エンゲージメントを獲得しているのかを仕事の合間に逐一チェックしているのだった。
「我ながらキモいよなぁ……」
客観的に見てどう考えても気持ち悪い行動だった。
三十三歳の引きこもりが、一回りくらい年下の男の子のSNSを舐めるように見て、「この投稿は伸びないな」とか勝手に分析までしている。
しかも、なんとDMまで送っているのだ。
彼の投稿に対するコメントを見ていると明らかに年配の人ですよね、という相手からも反応を貰っている。だから一人くらい僕のようなオッサンがDMを送ったとしても埋没する――はずだ。現に、返事が来たことは一度もない。
僕はやがて彼がSNS上で着ている服をそのまま買うことが増えた。メーカー提供のものや、広告として着ているものだからだ。彼の評価につながることならなんでもするつもりで、要するに僕は服や時計や靴を買うことで彼へ「課金」しているつもりなのだ。
それで三十代の自称引きこもりのオッサンなのに不必要にしゃれた服を持っているというわけだ。役に立つことなど無いと思っていたけど、今回着るものに困らなくて済んだのは彼のお陰だな、と勝手に感謝した。
そしてついに父の結婚相手――山内聖美 さんが我が家にやってきた。
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