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最終話

 小雨の中、傘をさして歩く。学校の終業時刻を今か今かと待っていた三鶴は、知らぬ間に小走りになっていた。  町の中央にある大きな総合病院は患者で溢れかえっている。  隼人が入院している部屋番号は松方刑事に教えてもらった。真っ直ぐエレベーターに向かう。  警察に保護され、救急車で運ばれた隼人にも事情聴取が行われ、数日間、面会謝絶が続いていた。  今日、やっと面会の許可が下りたのだ。  部屋の扉の前に立つ。個室で、名札は一つしか掲げられていない。 『古賀隼人』  名前を見た途端、鼓動が激しくなり、手が震えた。この扉の向こうに隼人がいる。  そっとドアノブに手をかけて、少しだけ開けてみた。  広い部屋の真ん中にベッドが据えられている。  隼人が眠っていた。  足音を立てないように、そっと部屋に入る。近づくと、顔色はずいぶん良くなっていた。ただ、頬に大きな紫色の痣が出来ていて、痛々しい。  そっと指で痣に触れると、隼人が薄っすらと目を開いた。 「……三鶴?」  三鶴は喉に熱いものがせり上がってきて言葉が出ない。頷くと、隼人が笑った。 「やっぱり、話さないんだな」  口を無理に開けると、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。隼人が手を伸ばして三鶴の手を握る。 「ごめんな、怖い目にあわせて」  黙ったまま首を横に振る三鶴に、隼人は微笑みかける。 「ありがとう、助けてくれて」  こくりと頷く。涙はいつまでも止まらない。隼人はずっと三鶴の手を握っていた。  涙が止まった頃には、雨もやんでいた。雲が薄くなっているのか、室内が少し明るくなっている。 「隼人、僕は異星人なんだ」  唐突に話しだした三鶴の手を握ったままの隼人は、指を絡めてぎゅっと握る。なにを聞いても受け入れると言われたようで、三鶴は安心して言葉を続ける。 「この地球にたった二人だけ、母と僕だけが地球人じゃなかった。故郷の星は消し飛んでしまって、僕にはもう帰るところはない」  隼人が手を揺らして、先を促す。 「僕には地球の言葉がよくわからなかった。母とは異星の言葉で話していたから。母が亡くなって、僕は誰とも話すことが出来なくなった」  三鶴は繋いだ手を胸に抱く。 「でも、隼人と話したいと思ったんだ。隼人が話す言葉を一緒に話したい。地球人の隼人と一緒にいる為なら、僕も地球人になりたい。ううん、なるよ」  片手で隼人の頬を撫でる。三鶴はそっと囁く。 「最後の異星語を聞いてくれる?」 「聞くよ」  三鶴は隼人の額に口づけた。優しく頭を撫で、抱きしめる。  母と交わした異星語は隼人にちゃんと伝わった。隼人は地球語では表せない気持ちを三鶴に返す。  三鶴の首に腕を回して、そっと抱く。三鶴は引き寄せられるままに顔を近づけ、隼人の唇に触れた。  伝わるものはきらめく星のかけらの美しさ。異星の思い出と、もう使うことのない幼い言葉。  地球へやってきた寂しい異星人を受け入れるために開かれた深い心。  二人は声にならない交歓を何度も交わした。唇を離したときには満たされて互いの目を見つめて微笑みあった。  疲れたのか、隼人は目を瞑り、枕に頭を沈めた。 「明日から夏休みだな」 「毎日来るよ」 「待ってる」  目を開けた隼人がふと三鶴から目をそらす。 「三鶴」  隼人は窓の外を見ている。その視線を追って三鶴も顔を向けた。 「虹が見えるよ」  窓の外、見上げれば空に大きな橋がかかっている。  この星の輝きそのものの七色。雨が送る祝福の色。  雲が去って晴れ渡った空。隼人が笑顔で三鶴に囁く。 「地球にいてくれて、ありがとう」  地球語で伝えられたのは、ずっと三鶴が聞きたかった言葉。ここで生きていいと、共に生きていいと胸に響く地球の言葉。  三鶴は初めて地球の青い空を見た。

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