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第20話 依拠
しかし、それから五日かけて国境を越えたものの、ひと息ついた先で待ち受けていたのは、悪い話だった。
その時、エヴァンと薫はお世辞にも上品とは言えない酒場で、噂を聞いたのだ。
「クリュメエナ国王、気が触れて自害したって」
「マジか!? やっぱ婚約者を殺されたのが大きかったのかね」
「これでちったあ、あの保守的な国も変わると良いがな」
「ないない! あの国はシリル国王が異端だったんだよ。そんなにすぐに変わるはずないさ」
酒場の一角で盛り上がる男たちは、その後には口を揃えて、「ま、我が国ユチソンドには関係の無い話だ!」と笑っている。
薫は瞠目したまま、自分の食事のスープを眺めていた。
(シリルが、自害した? 他の人の話も、どういう事?)
手が震えてスープが掬えない。スプーンを置くと、エヴァンが「食べないのですか?」と聞いてくる。
目頭が熱くなって、薫は首を振った。その様子にエヴァンは、「食べなさい」と語気を強くする。
それでも、薫は首を横に振った。こんな状態では食べられない──食べたくない。
エヴァンはため息をつくと、パンを二つ服の中に入れ、移動しましょう、と席を立つ。薫も黙って後を付いて行った。
店を出て隣の宿屋に入り、薫たちが泊まる部屋に戻る。
「国境を越えてからの方が長いですからね。途中で野垂れ死にされては困ります」
部屋に入るなりエヴァンはそう言って、先程のパンを出した。薫は受け取ったものの、食べる気にならなくてまた首を振る。
「……あくまで噂です。貴方これから、クリュメエナの噂を聞く度にそうするつもりですか?」
「……っ、だっ……」
「だってじゃありません。打ちひしがれてばかりで、自分がどうしてこんな状況に置かれているのか、なぜ私が貴方を助けたか、聞こうともしないじゃないですか」
そんなに泣くのが好きなら、好きなだけ泣けばいい。エヴァンはそう言う。
薫はそう言われて、堪らずボロボロと涙を零した。
どうしてこのひとは、自分を泣かせることばかりするのだろう? 自分は殺されかけ、好きなひとが死んだかもしれないと知って、生きる気力すら、あまり無いというのに。
そんな薫を見て、エヴァンはため息をついた。
「真実を知っても、貴方はまだメソメソと泣くでしょうか? 周りの国から見た、クリュメエナがどんな国なのか。……シリルが、どんなひとなのか……」
どういう意味だ、と薫は涙を引っ込めて顔を上げる。その言い方だと、薫が思っているシリルと、周りが思うクリュメエナ国王は、違うとでもいうような言い回しだ。
「クリュメエナに対する周囲の意見は、そのうち嫌でも耳に入るでしょう」
だから、私から見たシリルの話をします、とエヴァンはベッドの端に座った。足を組んで座る仕草になぜか扇情的なものを感じて、薫は気まずくなって視線を逸らす。
「……とは言え、目的地まではまだ十日……貴方がいるので二週間はかかります。ゆっくりしていてロレットに捕まったら元も子もないですし、今日は休みますよ」
分かったならそのパンを食べなさい、そう言ってエヴァンは靴を脱いだ。
そこで薫はハッとする。節約の為に部屋は狭い一人用を借りた。なのでベッドは一つ。安い宿なので椅子などもろくにない。
(僕が床に寝ればいい話か……)
考えてみれば、城以外のベッドで寝るのはこれが初めてなのだ、こんな所で裸になるのは躊躇われるけど、と薫は床に腰を下ろす。
「何してるんです? こっちに来なさい」
顔を上げると、綺麗な顔がこちらを見ていた。途端に顔が熱くなって、顔ごと視線を逸らすとエヴァンはまたため息をつく。
「……分かりました。少しキツい言い方したのは謝ります」
だからこっちに来てください、と言われ、薫はおずおずとエヴァンの隣に座った。
不思議だ、と薫は思う。
ちゃんと見れば紛れもなくエヴァンは男性なのに、美しいと思うのだ。長いストレートの髪は薄紫色で、薫がいた世界ではまずない色なのに、違和感がない。同じ色の眉や、瞳の色もそうだけれど、全体的に肌の色が白くて淡い色をしているから、柔らかく見えるのかな、なんて考えていると、彼は眉根を寄せた。
「パン、食べないなら私が食べますが?」
「……っ」
手に持ったパンを取り上げられそうになって、薫は慌ててパンに齧り付く。しかし口に入れた瞬間、口内の水分が全部持っていかれて、噎せた。
「ああほら、勢いよくかぶりつくから……」
果実酒をどうぞ、と差し出され、薫はそれを受け取り飲む。本当はビールの方が安かったけれど、薫の口には合わなさ過ぎて、エヴァンに無理言って買ってもらったのだ。
薫は、お世辞にも美味しいとは言えないパンを、二つとも流し込む。鼻水か涙も飲み込んだのか、しょっぱい味がしたけれど、胃に何か入れば気分も落ち着くものだ。
(……っていうかこのお酒、強くない?)
そう思った瞬間、ぐらりと視界が傾く。どうしてこんなに身体がふわふわするのだろう、と隣のエヴァンに凭れかかった。
「薫?」
おかしい。城でもワインは飲んでいたはずなのに、このお酒は妙に酔っ払う。
「粗悪品を掴まされましたね……」
エヴァンの苦々しい声がした。粗悪品ってどういうこと? と頭を彼の肩に預けたまま彼を見ると、彼は大きなため息をつく。
「どの道もう休むところでしたから、良しとしましょう」
そう言うと、エヴァンは「寝ますよ」と立ち上がった。ベッドで寝ないの? という顔をしていたらしい、彼は呆れたようにまたため息をつく。
「狭いベッドに二人は無理でしょう。私は床に……」
薫は、彼の言葉に反射的に彼の裾を掴んでいた。それでもエヴァンが動かないと知ると、薫も立ち上がって彼に抱きつく。
甘えただな、と薫は自分でも思った。けれど前世ではこんなこと、間違ってもできなかったし、酔いが回っているせいにして誰かの温もりを感じたい。
そしてなんだかんだ言って優しいエヴァンは、薫のことを受け入れてくれると知っているのだ。
案の定、エヴァンは肺の空気を全部吐き出したようなため息をつく。そして薫を抱えてベッドに押し倒し、薫の靴を脱がせた。
「……貴方、前世では何歳だったんですか? ……ああ、まあ、ここに来たなら関係の無い話ですし、見た目は背が低い成人した男性ですからね」
早く寝なさい、と薄い布を掛けられる。エヴァンは? と見上げると、彼はローブを脱いでベッドに入ってきてくれた。
横になったエヴァンに抱きつくように腕を回すと、彼は嫌がらずにそのまま目を閉じる。いつかの葬儀の時にも嗅いだ甘い香りに安心して、薫もストンと眠りに落ちた。
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