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第35話 復興
「おはよう薫」
次の日の朝、起きて宿屋の食堂に向かうと、ウーリーが半笑いで話しかけてきた。薫はムスッとして無愛想に挨拶をする。
「その様子じゃ、告白しあった以上のことはなかったようだね。……ぶっ……くくっ」
「……何で笑ってるんですか」
薫はまだ笑うウーリーを睨むと、彼は手を振りながらごめんごめん、と目尻を拭った。泣くほど面白いことか? と薫は口を尖らせると、ウーリーは薫の肩を抱いて、エヴァンはもしかして初恋じゃないのか? と言う。
そう言えば、ベルの記憶の中でも、人を好きになるってよく分からないと言っていた。エヴァンのことが好きなひとは多そうだけれど、彼はそういうことに無頓着なような気がする。
(無頓着……そう、恋愛だけじゃない。何に関しても……)
昨日エヴァンが言ったことは本当のことなのだろう。元は奴隷の身であり、義両親の期待に応え、仲間を守れなかった罪悪感で、ずっと彼が望むことはしていなかったんだと思う。
それが、薫に対しては絶対に守ると言ってくれていた。
かあっと、顔が熱くなる。幸せになってはいけないと自制していたエヴァンが、自分に関心を持ってくれたことがどれだけ大きなことなのか、気付いてしまったのだ。
そして薫も、前世では疎まれてきた存在だったけれど、ここにきて、ただ単に好きと言い合うだけが愛じゃない、と学びつつある。
(残念ながら前世ではひとに恵まれなかったけど……)
ここの世界のひとは温かくて優しい。ウーリーも、……壊れていなければきっとシリルも。
「何を話しているんですか」
ぐい、とウーリーから引き離されて、二の腕を掴んだ人物を見ると、静かにウーリーを見るエヴァンがいた。ウーリーは両手を上げて笑う。
「きみたち恋人になったのに、まだかしこまった話し方をしているんだなって」
「恋人?」
エヴァンが眉を寄せた。その反応に薫はドキリとして、思わず声を上げてしまう。
「えっ? え、えええエヴァンさん、その反応はっ……昨日のはもしかして、なっ、なっ、なかったことにしよう、とか……っ?」
じわ、と涙が浮かんだ。するとハッとしたエヴァンが目を伏せる。
「いえ、あれは間違いなく本心ですよ。ただ……」
目を伏せたエヴァンはずっとそのまま動かない。それをいいことに彼の顔を見ていると、耳がじわじわと赤くなっていった。もしかして、照れているのだろうか?
エヴァンは普段から澄ました顔をしているけれど、ここを見れば、照れているかが分かるのか、と薫は思う。照れている彼にドキドキしてしまうのは、やはりこのひとを好きだからなのだろうか。それなら嬉しいな、と微笑んだ。
「お付き合いする、という意思確認は……しなかったので……」
「アッハッハッハッハッ!!」
エヴァンの答えに大声で笑ったのはウーリーだ。まさか両想いなのに付き合わないって、そんな酔狂なひとはいないでしょ、と手を叩いている。
「……」
エヴァンは静かに目を伏せたまま、ウーリーの笑いが収まるのを待っていた。その耳が真っ赤なので、多分逃げ出したいほど恥ずかしいのでは、と薫は助け舟を出すことにする。
「え、エヴァンさんっ。たた、確かに、昨日はそんな話、しなかったですねっ」
しまった、これは助け舟になっているのか? と薫は内心慌てた。でも、言い出した言葉は止まらない。
「よ、よ、よかったら、……っ」
そう言って、薫は二の腕を掴んでいたエヴァンの手を取り握った。薫より大きな手なのに、細くて長い指は何となく頼りない。けれど、柔らかくて、綺麗だ。
エヴァンは驚いたように目を開けた。そして薫の視線とぶつかると、昨日も見た、柔らかく優しい視線で薫を見つめる。
「ウーリーの言うことはもっともですね。薫、こちらこそよろしくお願いします」
「はいはい、二人ともオメデトー」
エヴァンがその視線のままじっと見つめるので、薫も何だか照れてしまった。ウーリーは呆れてご馳走様、と言っていた。
◇◇
それから朝食を食べ、ウーリーが視察に行くという場所に薫たちもついて行くことにした。そこは盆地を越えた国境付近で、介入を拒んだ貴族たちが川に架けられた橋を破壊したそうだ。その国境を越えればユチソンドだと言うので、どれだけ広い国土なのかを思い知らされる。
現場に着くと、すでに今日の仕事は始まっていて、率先して指示を出して動いている男性は、ユチソンドの元奴隷だという。橋を作らせたら右に出るものはいないらしく、ウーリーを見つけるなり手を振って声を掛けてきた。
「ウーリー! 来てくれたんだ」
「ああ。工事は順調?」
「概ね予定通り。けど、資材が……」
ウーリーは彼の話を頷きながら聞き、資材の到着が遅れていることに対応するべく、彼に指示を出す。
薫はその様子を眺めていたら、別の一人が「エヴァン様だ」と声を上げた。すると他の人も、口々に声を上げて、エヴァンの元へやってくる。
「エヴァン様、ご無事だったんですね!」
そういう男たちは、エヴァンを歓迎しているようだ。一体どうしてだろう、と薫は思っていると、すぐに理由は知れた。
「やっぱりシリル様が仰った通り、エヴァン様は俺らの希望になりました。なっ? みんな!」
「ええ! 奴隷の身から為政者になるなんて、凄すぎます!」
興奮気味に話す人々に対して、エヴァンは困惑気味だ。私は何も努力していません、と言う彼に、男たちは更に声を上げる。
「いやいや! ここらは城と国境が近いからか、シリル様がよく来られていたんです。その度に『王の左腕』のエヴァン様のことを、嬉しそうに話しておられましたよ!」
貴族の圧力が強くなることもあるだろう。けれど決して希望を捨ててはいけない。我々も、ユチソンドのように強く、豊かな国を目指そうじゃないか、とシリルはよく言っていたらしい。
仕事のことを城で言わなかったのは、ロレットがいたからだと思うけれど、シリルがそんなにエヴァンを買っていたのは意外だった、と薫は思う。
だから本当に城から逃げる直前、シリルにエヴァンの声が届かなかったことが、彼の病み具合を指していた。薫はそっと彼らに背を向け、零れそうな涙を堪える。
「だからロレットがシリル様を殺したと知った時は、俺らが団結して貴族をやっつけないとって思いましたさ!」
(え……?)
薫は思わず振り返った。働き手の男たちはうんうん、と頷いている。
「城の下っ端が見てたんだとさ。エヴァン様がベル様の生まれ変わりを、ロレットから守ったどさくさに紛れて、シリル様を短剣で刺した上で崖から落としたって」
今まで、シリルの死因については曖昧なところがあって考えないようにしていたけれど、やはり人の口に戸は立てられなかったようだ。そしてそれは瞬く間に一般市民、奴隷にも広がり、各地で貴族を糾弾する紛争が起こったらしい。
「そして! エヴァン様が連れているこのお方が、ベル様の生まれ変わりですね!?」
「!!」
エヴァンが囲まれているのを、他人事で眺めていた薫は、突然自分に視線が集まって狼狽した。
「ご無事で何よりです! 今世でのお名前は!?」
「ベル様もお綺麗な方だったけど、今世でもかわいらしい方だなぁ!」
「あああああああの! みみみ皆さん落ち着いて……!」
エヴァンのようにまたあっという間に囲まれて、薫は涙目でエヴァンに助けを求める。
けれど、エヴァンは困ったように笑うだけだった。
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