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第34話 誘惑
「おー、お二人さん。揃って来たってことは、上手くいったのかな?」
墓地の出入口まで戻ると、ウーリーが柵に座って馬に草を食べさせていた。置いていくなんて酷いよカオリ、とウーリーが抱きついてくる。それでも付いてこないでここで待っていたのだから、一応遠慮はしたようだ。
「……」
エヴァンが無言で歩き出す。薫はウーリーの腕から抜け出しエヴァンについて行くと、彼の馬がいた。薫が馬から降りた場所よりもう少し先に、エヴァンは馬を待たせていたようだ。
「ウーリー、貴方これからどうします?」
エヴァンがウーリーを振り返って聞く。大人しく付いてきていたウーリーは笑って、この先の酒場で夕食でもどう? と言った。
「再会の記念に奢るよ。宿も必要だろ?」
「初めて会った時とは随分待遇が違いますね」
「そりゃ、薫にひもじい思いをさせたくないからね」
二人ともにこやかに会話をしているけれど、どことなく棘があるように聞こえるのは気のせいだろうか、と薫は思う。二人とも、薫を巡るライバルだと認識したらしい。
「薫、後ろに乗ってください」
そう言ってエヴァンが馬に乗った。ウーリーが「この一週間俺と乗ってきたから、上手くなったよ」と余計なことを言うので、エヴァンは「暴れ馬の相手は大変だったでしょう」と薫に言う。薫は乾いた笑い声を上げて、エヴァンの腰に腕をしっかりと回した。身体を密着させると、甘い香りが鼻を掠め、温かい体温と彼の髪が顔に当たる。……少し身体がムズムズした。
「あーあ。俺、本当にお前が嫌い」
「……」
エヴァンが無言で馬を走らせる。流れる景色を眺めながら、薫はこっそり、その甘い香りを堪能した。
◇◇
その日の夜、薫たちは賑やかな酒場で夕食をとっていた。やはり客の多くは農民で、ワイワイと騒ぎながら酒を飲んでいる。
テーブルの上にはユチソンドで食べたような、新鮮で豪華なものではなかったけれど、香辛料の効きすぎた肉を食べて、ああ、戻ってきたんだな、と実感した。
「薫~、飲んでる~?」
左隣にはもうすっかりできあがっているウーリーがしなだれかかってくる。薫のグラスが空く度に、どんどん酒を注いでくるから、薫も割と限界だ。それでもウーリーはグラスに酒を注ぎ続け、溢れさせながら「あー勿体ない」とか言って笑っている。
右隣のエヴァンは、最初こそ止めていたが諦めたらしい、静かに飲んでいた。
ウーリーが言うには、保守的だったのは貴族たちが殆どで、一般市民やその貴族たちに買われていた奴隷は、国外から入ってくる商人などの話を聞いて、自分の国もそうなればいいのに、と思っていたそうだ。シリルや、ベルの家がしていたことは、無駄じゃなかったかな、とウーリーは笑っていたので、改めて薫はシリルに感謝した。
町のひとに聞けばシリルはウーリーと同じようなことをしていたらしく、シリル擁護派が多かったこともよかった。けれどシリルを守る後ろ盾がなかったので、彼はどんどん立場を悪くしていったらしい。
それでは壊れるのも無理はない、と薫は思う。心の支えはベルだけで、ロレットさえも連れて歩いていなかったので、彼のことを気付いていたのかもしれない。
「……」
そう思ったら視界が滲んだ。酔いが回ったのか、涙が出る量が多く、そのままぐすぐすと泣いてしまう。
「どうしたの薫? かわいい顔が台無しだよー」
ウーリーが顔を覗いてきた。けれど、薫は左肩に回された腕に引き寄せられ、エヴァンの胸元に収まってしまう。
「そろそろ宿に行きましょうか。ウーリー、泊まれる宿はありますか?」
「……ほんと、お前嫌い」
ウーリーはブツブツ言って立ち上がった。けれどエヴァンはしれっとしている。こういうエヴァンの行動──しれっと薫を連れて行こうとするところも、腹が立つのかもしれない、と薫は思った。
宿屋に着くと、タイミング悪く部屋は二部屋しか空いていないと言う。どこまで読んでいたんだ、とウーリーは騒いでいたが、一応薫とエヴァンの同室を譲る心の広さはあったらしい。
薫が部屋に入ると、いつかと同じようにベッドが一台あるだけの部屋だった。エヴァンは早速荷物を置いて、休む準備を始めている。
「薫、寝る前に汗を流しましょう。やっぱりクリュメエナはいいですね、温泉がありますし」
二人きりになった途端、スっと離れていくエヴァン。それが寂しくて、薫はエヴァンにまた抱きついた。しゃがんでいた彼の後ろにおぶさるようにすると、バランスを崩したエヴァンが倒れてしまう。
「……薫……」
自分でこんな行動に出ておいてなんだが、薫はこの先のことを何も考えていなかった。ただ彼の温もりを感じたくて、はあ、と息を吐いて彼の背中に頬ずりをする。
「……薫、貴方酔ってるでしょう? 早く寝ますよ」
ほら、顔を見せて、とエヴァンは倒れた体勢のまま振り返った。薫が、その白い頬を食みたい、と思って見ていると、彼は苦笑する。
「ほら、まずは汗を流さないと」
どうしてこの状況で早く寝よう、なんて言うんだ、と薫は思った。自分たちは先程想いを伝えあって、ベッドがひとつしかない部屋にいると言うのに。
「……この状況で、何もしないつもりですか?」
エヴァンは半身を起こした状態、薫はその上に乗っている。自分が発した言葉をきっかけに、薫は欲が止まらなくなった。
多分今、自分はそれを隠しきれていない顔をしているだろう。けれどこの綺麗な顔を前にしては、我慢をしろと言う方が酷だ。
エヴァンは薄紫色の瞳を細めた。微笑んだのだと気付いて胸が高鳴る。細く、白い指が薫の頬を撫で、ぞくりとした。
「ほら、……でもとりあえず、汗を流さないと」
薄く、桜色をした唇が動き、優しい声色が薫の肩を震わせる。これほどまでにエヴァンの色香に酔ってしまうのは、酒のせいなのか、と堪らず彼の胸に顔を寄せ、服の上から軽くキスをし、甘い香りを吸う。
(ああ、やっぱり……安心する……)
そう思ったら、急激に意識が遠のいていった。
嫌だ、ここで寝てしまったら、エヴァンはこのことを、無かったことにするだろう。もっと、彼の体温と香りを感じていたいのに。
しかし、薫の抵抗も虚しく視界は暗転してしまった。
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