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第52話:『彼』と脅威

 当時のオレは、少々調子に乗っていたかもしれない。  自分は美しい。誰の音でもこの身体の中に引きずり込んでやる。そう思っていた。  だからとあるイベントの打ち上げで『彼』と同席した際、さりげなく室外に誘って抜け出さないかと囁いた時の彼の反応は今になっても屈辱的だ。 ——俺はきみと違って本当に好きな相手としかしたくないから。  オレが本気だと食い下がっても、 ——演技は上手いけど嘘は下手だね。  と薄く笑って言って、彼は打ち上げ会場に戻ってしまった。  あれが、あの人こそが、オレに初めての『敗北』の烙印を押したわけだが、セックスの話以外だとどうしてか馬が合い、ちょくちょく合う間柄になった。 ——まだその気になりませんか?  そう言ってみせると、 ——そういうのは本当に人を好きになってから言いな。  と返される。ガキ扱いされているのが分かって腹が立つ。だがオレは彼を嫌いになれない。これはもはや恋だとかそういう話じゃない。  同時期にオレを震わせたことがもう一件ある。  たまたま劣情が抑えきれず先輩のバンドマンと行為に及んでいた際、彼のパソコンから流れてきた曲を聞いて、身体が硬直したのだ。 ——いおい? どうした?  オレに覆い被さる男のことなどどうでもよくなった。オレは猫撫で声で今の曲をもう一度聞きたい、とねだった。相手も了承し、最初から再生してくれた。 ……なんだ、この曲は。  突然全身がビクッと揺れ、何事かと思って腕を見ると鳥肌が立っていた。  4ピースバンドの曲と思われた。演奏技術は唾棄すべきクオリティ。しかしこのメロディとこの構成は……もはや狂気の域だ。 ——なんか都市伝説みてえな話なんだけどな、これ書いたの高校生らしいぞ。依頼すればどんなジャンルの曲でもタダで書くっていう。水沢タクトって名前だけど、多分これ複数人だよ。楽曲の幅が広すぎる。  相手の男はそう言ったが、オレは本当にひとりだろうと二曲目を聞きながら確信していた。  そして、このソングライターの存在は俺が何かを引きずり出せるか分からない、とわずかに恐怖させた。それから逃げるように、オレは性交渉に戻った。

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