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夏前の夜 二

 草木や土のにおいがかすかに鼻孔をくすぐる。池の鯉でも跳ねたのか、あるかなしかの水音が聞こえた。  夜空には幾つかの星が(またた)き、青春の入り口でとまどっている少年を見下ろしている。  夏前の夜はすがすがしく、それでいて、どこかねっとりとした淫らな風も吹く。夜空ににぶく輝くのは乙女座か。  離れからは、かすかに光が漏れている。  望は忍び足で、誘われるようにその小さな明かりに向かっていった。 「い、いやです! こんな、こんなこと……!」  悲鳴のような、いや、悲鳴そのものの声が聞こえてきて、望は身をすくめた。  声はまぎれもなく香寺のものだ。 「なにを言っている? 納得したのではないか? 契約不履行はゆるさんぞ」  とがめる声は雨沼のものだが、本気で怒っているわけではないようだ。  望は離れ座敷を見上げて、ひとつ呼吸をしてから下駄を脱いだ。  おそるおそる石段を踏み、縁側に上がる。緊張で胸が破裂しそうだ。  幸い雨戸は開けられたままで、離れの障子は下三分の一ほどガラス窓となっている、いわゆる雪見障子なので、望が身をかがめている位置から、かろうじて中の様子を見ることができる。  雪見障子は、その名のとおり、中から雪景色を見れるようにと一部ガラスで作られたものだが、外からも中が見えるものだ。まるで、古い座敷の秘密を見せてやろう、と建物そのものが望をそそのかしているようだ。  望は呼吸とともに唾をのみこんだ。緊張もあるが、それ以上にたかぶる想いが体を焦がす。  薄いガラスいちまいに描かれた妖しい絵のように、男たちの様子が見えてくる。  ほのかに灯された座敷の雪洞が、ひどく淫靡に室内を照らす。  その雪洞にもまた深紅の牡丹が描かれており、否応なしに、望に先日の妖夢の世界を思い出させ身体を火照らせる。  望は這うようにして、さらに障子に近づいてみた。 「わ、私に二人の相手をしろというのですか!」  悲痛な叫びが望の鼓膜を突いた。 「あ、あんまりです! こんなこと……あんまりだ!」

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