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第1話 皇沙羅衣は奴隷を持たない

「魔女の七つ鐘」と呼ばれる鈴が校舎中に響き渡り、生徒たちは授業時間の終わりを告げられた。  幼等部からエリートが集められ、外部から編入するには、尋常でない努力と才能が求められる、首都の中央に座する学院。  その学院の中で、  ――皇沙羅衣(すめらぎさらい)の「奴隷」には、誰がなるのだろう。  そんな噂は、沙羅衣が中等部のころから飽きるほど人の口に上ってきた。  人形のように整った顔に、背中まで伸ばしたつややかな銀髪。何代か前に異国人の血が混じったらしい、青い目。  それでいて運動神経も抜きんでており、学業においても、どの科目でも当然のように一位を取る。  友人は多くはないが、本人の人格に問題があるわけではない。  むしろ、周りが気後れしておいそれと仲良くなれないのだ。  この、学生ヒエラルキーの頂点に立ち続ける皇沙羅衣という男には、いまだに「奴隷」がいない。  当の沙羅衣は、この私立鳳凰千舞学院(ほうおうせんぶがくいん)の高等部に上がって、二度目の春を迎えている。  終礼が終わった直後の教室は、まだ慌ただしい。  ある男子が、クラス内でもひときわ目を引く銀髪に指先をかすめながら、沙羅衣の肩を叩いた。 「で? 沙羅衣サマは、さすがにもう奴隷を選んだのか?」 「選ばん。そもそも、『皇帝と奴隷』制度なんぞ、おれは反対だ」 「いつまでも、かってえなあ。うちの伝統みたいなもんだろ、あれは」  嘆息して立ち上がった沙羅衣は、声をかけてきた男子よりも、やや背が低い。  沙羅衣樹本人はその低さを気にしているものの、一応同年代男子の平均以上の身長はある。  なにより、群を抜いた美貌は、その銀髪と相まって、周囲の憧れを一身に集めていた。 「そういう和也(かずや)は、あの奴隷とは続いているのか?」 「まあね」 「鳳凰千舞に入った初日に、奴隷にしたんだったよな。しかも当時二回生を――先輩だというのに」 「向こうもいい皇帝が欲しかったみたいだから、ちょうどよかったんだよ。年上の奴隷ってなかなかいいぜ、背徳的で」  そう言いながら、カバンを持って二人とも席を立った時。  おどおどとした声が、教室のドアのほうから響いてきた。 「和也、くん……今日は一緒に帰れる?」  戸口にいたのは、現三回生の生徒だった。和也が軽く手を上げた。  沙羅衣も見覚えがある。噂をすればなんとやら、彼が、音羽和也(おとわかずや)の奴隷、井田喜四郎(いだきしろう)だ。  制服のブレザーを着ているが、そのすらりとした体躯は見事に均整がとれている。  ゆるくウェーブのかかった髪は肩まで降りており、毛先を淡いピンクに染めているせいもあってか、なよやかな色気があった。街を歩けば、男が放っておかないだろう。 「おお、今行くよ、喜四郎」と言ってから、和也は夏樹の耳元に口を寄せ、「喜四郎のやつ、出会ったころから大人っぽかったけど、最近はますます……やばいんだよ」 「……あいまいな言い方だな」 「具体的になんか言えるかよ。喜四郎に悪いだろ。……それにしても、沙羅衣はよく、奴隷もなしで涼しい顔してられるよな。どうしてるんだよ?」 「どう、とは?」  和也は両手を左右の腰に当て、 「だから、処理だよ処理。がまんできなくなる時があるだろ、年頃の男子なんだから」 「……どうもしていない」 「どうもしてないわけがあるか。もしかしてお前、特定の奴隷は作らないタイプか? それは、風紀的によくないぜ」 「そんなわけがあるかっ」 「……和也くん?」  いつまで経っても教室を後にしない和也に、またも喜四郎が声をかける。 「あ、わ、悪い喜四郎。今行くっ。じゃあ沙羅衣、明日詳しく聞かせろよ」  和也は、喜四郎と共にぱたぱたと帰宅していった。 「詳しくなど、聞かせられるか……」  教室には、もう誰もいなかった。  沙羅衣もドアをくぐり、廊下に出る。  すると。 「あ、あのっ、皇先輩。これ、受け取ってもらえませんか」  待ち受けるようにそこに立っていたのは、今年の新入生と思しき、小柄な男子だった。  旨に群青色のタイを絞めて、淡い水色の便せんを捧げ持っている。  何度目だろう。こうして恋文を突き出されるのは。  何度目だろう。強いて冷たい視線を作って、それを突き返すのは。  沙羅衣の拒絶に、少年は、目に涙を浮かべて背中を向ける。  心が痛まないわけではないが、妙に期待を持たせるわけにもいかない。 「ふうん。冷たいものですね」  いきなり背後からそう言われて、沙羅衣の肩がぴくりと震えた。  振り向くと、そこには、沙羅衣よりも頭一つ分背の高い少年が立っていた。  胸には、今の少年と同じ群青のタイ。ということは一回生か。

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