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prologue-1
不意に忍びこんできた音階に、環 はその歩みを止めた。
耳を澄ますと、いわゆる宗教音楽といった感じの曲がどこからか流れてくる。
どうやら、それは道沿いに植えられている木々の向こうから漏れ聴こえてくるようだ。
並木の間から覗くと、こじんまりとした建物が目に入った。
十字架を冠しているところや建物の造りから、教会だということがわかる。
環がいまの高校に転入して一ヶ月になるが、通学路にこんな場所があるとは全く気付かなかった。
美しいメロディに誘われるように、アンティークな木の扉の前に立つ。
試しに押してみると、微かな軋みとともに意外と簡単に動いてしまった。
どうしよ、勝手に入っていいのかな?
躊躇いながらも、好奇心に負けた環はすこしずつ手に力を込めてゆく。
ゆっくりと開いた扉の向こう、まず目に飛び込んできたのは、荘厳なステンドグラスだ。
宗教画がモチーフになっているのであろうそれは、太陽の光を受けてきらきらと輝き、室内に色とりどりの模様を投げかけている。
きょろきょろと辺りを見回しながら、中央の通路を進んでいく。
その頃には音楽が全身にしっかりと届いていて、環はその源であろう場所に目を向けた。
おそらくパイプオルガン、というものなのだろう。圧倒されるような大きさの、楽器というよりはオブジェのようなものが聳え立っている。
そのなかに埋もれるようにして座っているのは、猫背気味の、しろいブラウスを着た細い背中。
演奏に合わせて、漆黒の髪と華奢な肩が揺れていた。
目を奪われるような白皙のほっそりとした首や、綺麗に切り揃えられた襟足から薫る清廉さは、場の雰囲気と相まって神々しささえ感じさせる。
環はその麗しい姿と音楽に、魂を抜かれたようにぼうっと立ち尽くす。
やがて演奏が終わると、反射的におおきな拍手を送った。
目の前の背中がびくりと跳ね、慌てた様子でこちらを振り向く。
「あ……、」
その顔を見た途端、環は心臓をぎゅっと掴まれたような、不思議な感覚に襲われた。
ハーフリムの眼鏡がよく似合う涼しげな目元と、白磁の肌が印象的な美青年。
しかし、驚いたせいなのだろう、まるくなった瞳とぽっかりと開いたくちが、どこかあどけなさを感じさせる。
「ごめんなさい、勝手に入って」
「いや……出入りは自由だから、構わないけど」
艷やかな低音が響いて、環は思わずまじまじと青年の姿を見つめた。
とまどったように俯いたその肌が、ほんのりと桜いろに染まる。
「すごく素敵な演奏でした。いまの、なんていう曲なんですか?」
「ブクステフーデの、パッサカリア ニ短調」
「ぶくすて……?」
環が首をかしげると、ふ、と青年が笑みを浮かべた。
その瞬間、今度はきゅん、と胸が疼く。
なんか、このひとすっごく可愛いな。男相手なのにそう思うなんて、変かな?
これが、環と莉音 との初めての出逢いだった。
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