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君の事情

「なぁ、睦月。そろそろ帰らないか?」  冷たい風が吹き抜ける廃ビルの屋上で、一時間近く膝を抱えて霞む空を見つめる幼馴染の雨月(うげつ)睦月(むつき)に話しかける。  しかし、とくに返事は返ってこず、俺、霜月(しもつき)(ゆき)は風の音に紛れるほど小さなため息をついた。  聞こえているのか聞こえていないのか睦月はこちらを見ることもなく、目の前に広がる景色に視線を向けながら、ただただ、冷たい風に淡い栗色の髪を靡かせてその身を任せている。  どのみちそろそろ帰らないと学校の時間に間に合わなくなってしまうので、俺はとりあえずぼーっと景色を見つめている睦月に近づきその肩に触れた。 (あ、しまった……っ)  寒さで頭の中が麻痺していたのか、眠さがまだ残っていたのか、つい睦月に触れてしまってからはっと我に返った。 「〜〜ッ!!」  睦月の体が大きく跳ね上がるとその場からものすごい勢いで後退った。  俺はそんな睦月を呆然と見つめてから、正気に戻ると慌てて謝る。 「悪い……っ! 怖がらせるつもりじゃなかったんだ」  睦月はガタガタと体を震わせて真っ青な顔で涙を零しながら、夕陽のように透き通った琥珀色の瞳で俺を見つめた。  俺と睦月は家が隣同士の幼馴染だ。  小さい頃から、いつも一緒にいて、「大きくなったら結婚しようね」と言い合うほどには仲がよかった。  今も悪いわけではないが、睦月には少しばかり複雑な事情がある。 「睦月……ホント、ごめん……」 「……っ、……っ」  涙でぐちゃぐちゃになった顔で、自分の腕で自分をぎゅっと抱きしめる睦月に、俺はぐっと握り拳を作り唇を噛んだ。  ……睦月は。俺の幼馴染は声を発することが出来ない。  そして、触れ合うことも、出来ない。  触れればパニックを起こしたように声にならない声で今みたいにボロボロと泣いて暴れるのだ。  睦月自身がもともとそうであったのではなく、睦月の過去が彼自身をそうさせてしまった。  原因の一つは母親からのネグレクト……いわゆる育児放棄というものだった。  睦月の母親は、幼い睦月に食事などを与えず遊び歩き、帰ってきても風呂に入ったあと服を着替えてまた出かける。  そういう生活を繰り返していた。

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