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第9話
安吾と洒落が出会って、四季がひとつ終わりを迎えた。季節は初夏へと移りかけている。生活の変化にも慣れ、学生たちは良い意味でも悪い意味でも力を抜きはじめる頃だ。春先はあんなにも学生でひしめいていた教室内が、今ではちらほらと空席が目立つようになってきた。
安吾が涼しい教室から一歩外へ出ると、湿気が混ざった空気が纏わりついてきた。
「あーんごちゃん! 久しぶり、やーっと話せたね」
待ち構えていたのであろう黄が声をかけて隣に並んだ。
「いつも誰かに囲まれているようだからな。サークルに人が増えてなによりだ」
「うんうん。おかげでオカ研も安泰だよ。まさか一気に十人も入るとは思わなかった」
「何人が一年在籍するのか疑問だがな」
「まーまー、それはさておき――最近どうよ?」
建物の外に出た。
直射日光が酷く眩しい。初夏を飛ばして本格的な夏が始まろうとしている。今年も酷暑になりそうだ。
安吾は熱気と眩さに目を細めながら答えた。
「バイトを始めた」
「えっ!? 本当に!? どこで?」
「古書店」
「うわー、安吾ちゃんがバイトかぁ。でも古書店とか、イメージに合ってるかも。どこの書店? 遊びに行ってもいい?」
一瞬、黄の反応に眉をひそめたが、安吾は「ああ」と頷く。
「……なあ、黄は洒落と会ったことがあったか」
「洒落?」
黄は首を傾げながら、なにかを思い出すような素振りをみせて――
「いや、俺は会ったことないかな。初めて聞く名前だし。もしかして、安吾ちゃんのトモダチ?」
「そうだな。今度、紹介してやる」
「うわー、楽しみ。安吾ちゃんのトモダチってかなり貴重じゃない? 俺、時間作るから一緒に飲みに行こうね」
笑う黄に、安吾は曖昧な表情を作って返事をした。これから先、このやりとりを一体何度続けることとなるのだろうか。そのうち説明するのも面倒になって、古書店のことも洒落の存在も黄に隠すようになるのかもしれない。ますます黄に話すことができなくなってしまった。
「……黄」
「ん? なに」
「この前のことなんだが。ウィジャボード、貸してくれてありがとう」
なんのことだかわからないような顔をした後、大きく頷いて「……ああ!」と相槌を打つ。
「気にすんなって。ちゃんと綺麗に返ってきたし、俺としてはなんの問題もなし……でさ。あれ使って、上手くいった? 降霊できた?」
「上手くいったかと聞かれれば……まあ、上手くいったな。おかげでわだかまりが解消できた」
……洒落と会ってから、事実ではあるがすべてではないことを取り繕うことが巧みになってきたように思える。
黄は納得してまた嬉しそうに肩に腕を回した。
「よかったよかった。わだかまりが解消したなら俺も貸した甲斐があったってもんだ」
「近い。暑い。鬱陶しい」
「お前様ってばあ」
黄の腕を外し、安吾は深く溜息をついた。
食堂前で足を止め、律儀に黄の方を振り返る。
「すまんが俺はこれからバイトだ」
「うん。それじゃあまたね、安吾ちゃん」
「ああ。また明日」
安吾はどこか駆け足で坂の下の大学門へと向かう。微かに見えた横顔に笑みが見えた気がして、黄はその背中を微笑ましげに見送った。
歩行者天国と化している路地を斜めに渡り、二階建ての石上三年ビルへと入っていく。小さな瓦屋根には洒落た行灯が風で微かに揺れている。
階段脇には手作りの立て看板が置いてあった。力強い毛筆で『古書店【一九二一】』と書かれている。
安吾は堂々と階段を上り、右手側のドアを開けた。整然と並んだ本棚から放たれた、古書特有の香りが出迎える。
店内の突き当たり、カウンターの上の――黄ばんだ文庫や色褪せた雑誌の山からひょっこりと洒落が顔をみせた。
「おお、いらっしゃい。安吾」
「あんた、またそこで読書か」
「ん。落ち着くから」
へへ、と照れ笑いを浮かべる洒落。その背後でゆらりと白い尾が大きく動いた。随分とテンションが高いようだ。
「ご機嫌みたいだな。いい天気だから興奮してるのか?」
「そうかも。それに、安吾がここに来てくれるのが嬉しい」
安吾がカウンターへと近付くと、ぱたんと本を閉じる音が聞こえた。
「それで、今日はなにをすればいいんだ。店長」
「魔力ちょうだい」
「ふざけるな」
「んんん……駄目?」
カウンターから身を乗り出した洒落がじっと安吾を見つめてくる。愛らしい困り眉はその額に鎮座していた。そんな顔で強請られてしまえばそうそう断れない……が、安吾は額をつついて溜息を落とした。
「俺だって何度も引っかからない。その手には乗らないぞ」
「きゅうん」
洒落の喉から犬のような甘えた声が響く。
可愛らしい鳴き声に一瞬、安吾は押し黙る。そして数秒の沈黙の後――
「……仕事の後なら」
途端に嬉しそうに、それこそ大きな尻尾が音を立てながら左右に揺れた。カウンターを越えて洒落が安吾に飛びつく。本の山が崩れ、細かい埃が舞い、安吾は床に倒れる。
「安吾!」
「こらっ、この……!」
「安吾。 ……ありがとう」
ぐりぐりと洒落が頭を肩口に擦り付けてくる。自分の匂いをそこに付けるようでもあり、安吾に可愛がってもらおうとしているようでもあった。
しばらく、洒落の甘えた所作を見つめていた安吾だったが――開きかけていた口を閉じる。
「ん」
ほんの少しだけ口角を上げ、洒落の犬耳の裏を撫ではじめた。もっとやって欲しいと安吾に向けて頭を差しだす洒落。八の字の眉が、自信を取り戻していく様が微かに見えた気がした。
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