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第6話
夢にまで見た店の中は、まさに桃源郷のようだった。ゼノンの大好きな美しく可愛いもので溢れかえっている。自分が女装していることさえ忘れて、アナスタシアが苦笑するほどにあれもこれもと商品を見るのに夢中になった。
せっかくここに来たのだ。次に来られるのはいつになるかわからないし、もしかしたら先に結婚してしまい二度と来られないかもしれない。ならば目当ての青いブレスレット以外にも気に入ったものがあれば買ってしまおう。
この刺繍のハンカチは? 美しいシルクの手袋は? この飾りはなんて綺麗なんだろう!
キラキラと瞳を輝かせながら興奮気味に店内を見回っていたゼノンは、ふと周りがひどく騒がしいことに気が付いた。何事だろうと商品から視線を外した時、店の扉が開かれる音がいやに響く。扉の外には多くの兵が立っており、その隊服から彼らが近衛兵であることがうかがえる。そんな彼らが敬礼し、恭しく開いた馬車の扉から金の髪が美しい青年が現れ、迷いない足取りで店内に入ってきた。店内にいた淑女たちが一斉にドレスをつまんで礼をする。
「買い物に来ただけだ。みな普通にしてくれ」
透き通るような声で青年が言うと、ぎこちないまでも皆命令に従って買い物に戻る。そんな淑女たちに紛れて、ゼノンは冷や汗を浮かべながら混乱していた。
まずい。非常にまずい。肖像画しか見たことがないので本人を見るのは初めてだが、彼は紛れもなくこの国の王子であり、ゼノンの婚約者ではないか。この国でゼノンと同じ年ごろの、近衛に警護されるほどの王族など王子一人しかいないのだから間違いのしようもない。
幸いにもお互い幼いころに国と親が決めただけの婚約者で、未来の王妃として教育こそ受けているものの顔を合わせたことは一度もなく、ゼノンが見た王子の肖像画も記念日に街に飾られたものであって、婚約に際して肖像画を交換したこともない。つまり王子は肖像画すら見たことがなく、ゼノンの顔などまったく知らないのだ。
そんな状態で、なおかつ今は女装中であり化粧もしている。バレるはずがない。そうわかっていても恐ろしいものは恐ろしい。万が一のことが起こらないように名残惜しいがさっさと帰るべきだろうかと姉の方へ視線を向ければ、彼女は店員の一人と何やら熱心に話し込んでいる。あの熱量を見るに結婚に際しての品を特注しているのだろう。ならば、まだまだ時間はかかると見てよい。おそらく姉はまったく王子とゼノンのことを気にしていないのだ。バレるはずがないと自分の芸術作品である女装姿のゼノンに絶対的な自信があるのだろう。ならば、そんな姉の力量を信じて、ゼノンは王子と距離を取りながら普通にしているしかない。そう、普通にしているのだ。コソコソすればかえって怪しまれ、目立ってしまう。
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