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第10話
「は、はい。少々お待ちくださいませ」
店員は明らかにホッとした顔で会計を済ませ、綺麗に包装され紙袋に入れられたポーチを少女に渡した。
「ありがとう! お姉ちゃんも、本当にありがとう!」
母へ念願の贈り物ができると、少女は満面の笑みを浮かべて店を出る。そんな彼女が通る姿を、まるで奇妙なものを見る目で見つめ、避ける貴婦人たちにゼノンは胸の奥に広がる黒い靄を感じ取った。
「あ、あなた! さっきから何なんですの!?」
少女が去ると、先程からギャーギャーと騒ぎながらもゼノンに無視され続けていた女性がゼノンの前に立ちはだかって喚き散らした。美しく着飾っているというのに、肩を怒らせ喚くその姿はちっとも美しくなくて、ゼノンは胸の内で小さくため息をつく。さてどうしようかと考えを巡らせながら口を開こうとした時、パン、パンと乾いた拍手がひとつ、聞こえた。突然のことに驚き振り返れば、王子が拍手をしながらゼノンの方へと近づいてくる。
(あ、まずい……)
先ほどまですっかり忘れていた存在に、ゼノンは再び冷や汗を浮かべながらドレスの端をつまんで礼をする。
(僕は女性僕は女性僕は女性僕は女性――)
自分に言い聞かせるというよりは、むしろ王子に呪いでもかけようかと言わんばかりの勢いで、ゼノンは胸の内で呟く。そんなゼノンの焦りなどまったく知らない王子はゼノンの前に立つと軽く礼を返した。
「とても清らかで、優しい心を持ったご令嬢だ。あなたのような方がいらっしゃれば、民はますます心豊かに過ごすことができるでしょう」
惜しむことなく与えられた称賛に戸惑うゼノンの手を優しくとって、王子はその指先に口づける。
「素晴らしく美しいレディ。どうかお名前を教えていただけませんか?」
お伽噺のように美しい王子に甘く請われ、ゼノンの頭はパニックに陥った。
(どうしようどうしようどうしようどうしよう!)
とりあえず何か言わなくては。でも偽名なんてそんな急には思い浮かばないし、本名を告げるなんてもっと不可能だ。どうにかして曖昧に終わらせることはできないだろうか。
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