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第1話 「僕、人を見る目はあるんですよ」

 陣ヶ岡(じんがおか)央司(ひさし)は九階建てのマンションの最上階に一人で暮らしている。一階は管理人室、二階から八階までは二世帯ずつが入居しているが、この最上階だけはマンション所有者である央司が占有している。また、地下にはボイラー室があり、建物の中心を煙突が貫いていた。  二階から八階はその煙突を挟んで対称的な間取りとなっており、住人は備え付けの「本物」の暖炉を使用することができた。ただ、手入れの煩雑さを嫌って、ほとんどの住人はマントルピースをインテリアとしてのみ活用しているようだった。  数少ない利用者の一人は北欧の出身で、まさにその「本物の暖炉」を決め手として入居していた。彼の故郷の実家にも同じような暖炉があるのだという。クリスマスには毎年森へ行き、これまた本物の樅の木を切り出してきて、家族総出でオーナメントを飾り付ける。サンタクロースを待つのだと、子供たちは暖炉の前に集まって寝ずの番を試みる。しかし何度挑戦してもいつしか眠ってしまう。そうして朝になり目を覚ますと、ツリーの下には数々のプレゼント。――そんな光景に欠かせない暖炉を、ここ東京の市街地の真ん中で見ることができるなんて、と大層興奮気味に語りながら、高額な賃貸契約書にサインをした。彼のルックスは白い髭をつけると「サンタクロース」にそっくりで、クリスマスシーズンにはボランティアで保育園などにサンタ役として出向くこともあるのだという。しかしてその実体は優秀なトレーダーで、巨額の資産を築くと早期リタイアし、悠々自適の身だ。数年ごとに心の赴くままに居住国を変え、今回は日本の番だというわけだ。その前はモーリシャスだったとか。  彼だけではない。このマンションの住人は全員が富裕層の外国人だ。だから管理人は英仏独語が流暢に話せることが条件で、「マンションの管理人」というよりは高級ホテルのコンシェルジュに近い役割を果たしている。当然報酬もそれに匹敵する、あるいはそれ以上の高給取りだ。このたび長らく務めていた前任の管理人を父が通訳として連れて行ってしまったものだから、早急に後任を探さねばならなかった。でないと央司が代行しなくてはならない。勤め人ではないし時間的余裕もあるから、やってやれないこともないが、他人の生活に踏み込まざるを得ないこの仕事は、人付き合いの苦手な央司には向いていない。そう痛感する日々だ。 「話せるのはその三ヶ国語だけですか? 中国語はいかがですか?」  管理人を雇うにあたっては、央司自らが書類選考をし、面接を行った。応募者のひとりであり、その後採用されることになる永山(ながやま)実玖(みく)という青年にそう尋ねたのは、その面接のときだ。 「マンダリンとカントニーズなら日常会話程度。それと日本語を少々」 「……なるほど、少々、ね」央司はわずかに口の端を上げて笑った。「まあ、いいでしょう。日本語は僕と宅配や設備工事の業者ぐらいとしか話す機会はないと思うので。いつから来られますか」  実玖は目を見開いた。 「それはつまり、採用ということですか」 「何か不都合が?」 「あ、いえ。この場で決まるとは思ってなくて。語学テストのようなものもなかったですし」 実玖が提出した履歴書の資格欄には、運転免許の国際ライセンスの記載しかない。語学力については「英仏独語が話せる」と口頭で伝えただけで、裏付けとなるものは何もなかった。 「伺った申告内容が事実なら、問題ありません。嘘やハッタリだったら困るけれど、そういうタイプには見えない」央司は、今度ははっきりとした笑顔を見せた。「僕、人を見る目はあるんですよ」    そうなのだろう、と実玖は思った。正直、面接に来て、驚いたのだ。自分とさして変わらぬ年齢であろう若い男が出てきて、それがこの高級マンションの所有者であり、雇い主本人だと知ったからだ。三〇手前ほどに見える彼がそのような立場にあるのは、おそらくは資産家の親から譲り受けたといったところに違いないが、そうだとしても、これだけの物件を自らが維持管理しているというなら、それなりの見識や商才は必要だと思われた。 「ありがとうございます」実玖は思わず頭を下げた。「いつからでも大丈夫です。帰国したばかりで、家財道具も何もなくて」 「では、この連絡先の住所は……?」 「それ、家具付きのウイークリーマンションなんです。だから早いほうがこちらも助かると言いますか」 「ああ、それでこんな住み込みの仕事を。若いのに珍しいなと思ったんですよ。他の応募者は定年退職後の(かた)が多くてね」    住み込みのマンション管理人。確かにその種の求人は、年配の夫婦を想定している案件が多く、そして、その報酬が存外に低かったことを実玖は思い出した。調べてみると住宅に困った年金生活者を当てにして、報酬を低く抑えているらしい。そんな中で桁違いに高額の報酬を提示していたのが、今目の前にいる央司の求人だった。  十五の年から海外を転々としてきた実玖だったが、母国日本に既に実家はなく、身を寄せられる友人もいなかった。体力と語学力だけを頼りに仕事を探して、これぞ天職と思って応募したものの、ここまでトントン拍子に進むとは思ってもいなかった。 「じゃあ、明日からでも大丈夫かな」 いつの間にか砕けた口調になっていた央司が言うと、実玖はハイッと元気に答えた。 「勤務場所はこの部屋、管理人室ね。あのドアの向こうが管理人のプライベートな部屋になってる。一通りの家具や家電は揃っているし、生活するには困らないはず。でも、もし足りないものがあれば言ってください。それと住人の部屋の状況も把握しておいてもらいたいんだけど、あいにく今は空き部屋がなくて……」央司はしばし考え込む素振りをしてから、うん、と自分ひとりで頷いて、実玖に言った。「間取りは違うけど、基本の設備は同じだから、僕の部屋を案内しよう」

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