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第2話 これが恋ってやつか。
央司が他人を部屋に入れることはめったになかった。週に一度のハウスキーパー、月に一度のレンタルグリーン業者。それらの他は点検や修理の業者を仕方なく招き入れる程度だ。身内に至っては彼らよりも会う頻度は低い。身内と言っても兄弟はおらず両親だけだ。二人とも健在だが、母親は央司の成人を機に父親と離婚して今は新しい家庭を築いており、険悪とは言わないまでも疎遠になっている。そして、このマンションを含めた不動産管理事業を央司に譲り渡した父親は、それ以外の事業に関してはまだ現役で、精力的に世界を飛び回っており、親子と言えど顔を合わせる機会はほとんどない。
また、顧問の税理士や弁護士といった相手と自宅で会うことはなく、互いの家を行き来するような親しい友人もいなかった。ましてや恋人などいた試しもない。たまに湧き上がる欲求の相手ならいくらでもいたけれど、彼らとの逢瀬はもっぱらホテルの一室だ。
――そう、央司の相手は、「彼女ら」ではなく、「彼ら」だった。
だが、それが理由で実玖を採用したわけではない。その意味で言えば、実玖は好みから外れていた。容姿は悪くはないが、若すぎる。央司は自分よりうんと年上の包容力のある男を、しかし、自分が攻めて身も心も屈服させるのが「好み」だった。
つきあいはじめはとろとろに甘やかす。短期間のうちにホテルに何度も呼び付けるが、会えば上げ膳据え膳でどんなわがままも聞いてやる。週末などはルームサービスで食事を済ませ、二人で終日ベッドで過ごしたりもする。何しろ甘やかされることに慣れていない中年の男たちだ。央司の手に掛かればあっという間に〝単なるセフレ〟という約束も忘れ、「陥 ちる」。すっかり自分に夢中になったところで態度を一変、素っ気なくする。すると、いい大人が泣いて「捨てないで」と縋りついてくる。そのさまを見るのが何よりの快感だった。
趣味が悪い自覚はある。だが、退屈な人生に、そのぐらいの毒があってもいいじゃないかとも思う。
そんな退屈しのぎの相手としては、実玖はいささか未熟に見える。そもそもそういう対象になりうる男を管理人として雇ったりしない。そんなことを考えながら、央司はエレベーターにカードキーをかざした。最上階だけはその操作をしないとエレベーターを止めることができないようになっている。 その次には虹彩認証で自宅のドアを開けた央司が、実玖に声をかけた。
「靴のままでどうぞ。これは他の部屋も同じ。中にはせっかく日本にいるんだからって、カーペットを敷いて靴脱ぎ場にしている人もいるようだけどね」
実玖は自分の足元を見る。廊下と部屋との間には段差がない。つまり、いわゆる三和土 がなかった。いかにも外国人用住宅の作りだ。実玖もこちらのほうが慣れているので、土足で室内に入ることに抵抗はない。だが、次の瞬間目に入ったものにはさすがに驚きを隠せなかった。
「マントルピース、煤 がついてる。もしかして本物ですか?」
「本物。煙突が通ってる。でも、ほとんど使わない」
「すごい」実玖は火の入っていない暖炉を嬉しそうに見つめたかと思うと、くるりと向きなおって央司を見た。央司は今更になって実玖が自分より少し背が高いことに気づいた。細身のせいか、面接のときはもっと小柄に見えた。「これだったら、サンタクロースも本物が来るんじゃないですか?」
無邪気に笑いかけて来る実玖に、央司は急に胸が痛くなった。初めての感覚だった。――痛いのに、不愉快じゃない。
「そのうち君も会えると思うよ。住んでるから」
「えっ?」
「北欧からやってきたサンタクロース」
「……あなたが言うと本当に聞こえるなあ」
実玖が笑い、央司はますます心臓が痛み、言葉に詰まった。その沈黙をどう解釈したのか、実玖が眉根を寄せた。
「す、すみません。雇い主の方に失礼な言い方して。えっと、これからなんとお呼びすればいいですか」
「央司 」
「え」
自分で言っておきながら、実玖に聞き返されると狼狽えてしまう。普段は冷静沈着な央司にとって、こんなことも初めてのことだ。
「いや、君も海外生活が長いみたいだから、ファーストネームのほうが呼びやすいんじゃないかと思って。年もそんなに変わらないし」
言い訳めいた言い方だ、と央司は思うが、実玖は気にしていない様子だ。
「それは、央司……さんがよければ、いいですけど。じゃあ、俺のことも実玖 で」
「……実玖」
「はいっ」実玖はわざとらしく背筋を伸ばす。「明日から、宜しくお願いします。俺にできることは、なんでもやるんで」
「……こちらこそ」
〝普段は冷静沈着な〟央司は、自己分析にも長けている。だから、今の自分の状況も理解していた。
――これは、恋だ。
恋なんてしたことがない。だが、過去に見聞きした映画でも小説でも、そういう描写ならいくらでも見たことがある。実経験がないからこそはっきりと分かる。初めての胸の高鳴りの意味。
そうか、これか。これが恋ってやつか。
好みからは外れているはずの実玖。けれど、きっと自分はこれから、この男に「とろとろに甘やかされ」、「どんなわがままも聞いてもらい」、「陥ちる」のだ。
そうしたら、実玖は態度を一変させ、自分は泣いて縋るのだろうか。いま目の前にいる、ニコニコと愛想のいい実玖がそんなことをするとは思えないけれど、そうだとしても、そうじゃなくても、構わない。
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