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第3話 道楽息子で何が悪い
「二階から上は暖炉があるんだけど、一階だけは間取りが違うから使えないんだよね」
「そっか、それは少し残念です」
しょんぼりとうなだれる実玖を見て、央司は思わず笑ってしまう。
「まあ、シーズンになったらまた招待するよ。いや、その前かな。暖炉のメンテナンス方法も覚えてもらわないといけないし」
実玖の表情が明るくなる。感情がすべて顔に出るらしい。
「そうですよね。サンタを迎える準備をしないと」
それは困る、と央司は思う。クリスマスの晩に、あの北欧出身の男が煙突を通ってにょっきり顔を出すのを想像して、慌てて打ち消した。それから、クリスマスは、実玖と二人きりの、甘い甘い夜にしようと心に決めた。もちろんそんな心情は、実玖と違って顔には出さない。
季節はまだ秋を迎えたばかりで、クリスマスなんて先の話だし、実玖とはさっき出会ったばかりだ。それでも、央司はこの「初めての恋」の成就を確信していた。
そんな央司のことを、自信家と人は言う。それを道楽息子の思い上がりだと陰口を叩く者もいれば、いやいや父親に負けず劣らずの切れ者なのは事実、自信があるのは結構なことだと持ち上げる者もいる。どちらも正解だと央司本人は思っている。
――自信家の何が悪い。道楽息子で何が悪い。与えられたものを最大限有効活用しているだけだし、誰にも損はさせていない。
実際、この高級マンションが全室埋まったのは、央司が管理するようになってからだ。派手な広告宣伝をしたわけではない。むしろ逆だ。会員制の高級クラブのように、信頼のおける紹介者を介さなければ入居できないようにした。プライベートを漏らされたくない芸能人がセキュリティに定評のあるマンションに集中するのと同じで、数年ごとに居住地を変えたがる海外セレブにはそういった「安心」には金に糸目をつけない者も多いのだ。
他にも何件か任されたオフィスビルにしても、個々の特性を生かした運営をすることで、央司がオーナーになってからの業績は好調だ。早々に売却して父親からダメ出しをくらった物件もあるが、後に目の前の道路に埋設されていた排水管が破裂して周辺が冠水する事故が起こり、一帯の物件価格は急激に下落した。偶然ではない。央司は入手した資料からその地域の埋設管の老朽化も、それへの対応が遅れていることも把握していた。
だが、それらの物件に直接赴くことはほとんどない。央司は安楽椅子探偵ならぬ安楽椅子不動産オーナーだった。その安楽椅子のありかこそ、このマンションの最上階だ。
「暖炉については、ほとんどの人はアンティークなインテリアの扱いだからそう問題は起きない。設備関連で一番多いトラブルは水回り」
央司は事務的な説明を再開した。実玖はふんふんと頷きながら央司の後を追って、キッチンへと向かう。広いキッチンはL字型に調理台がある。シンクがふたつ。食器棚もストッカーもオーブンも作りつけだ。どれも同じデザインの扉で統一されており、閉じてしまえばすっきりとする。人工大理石らしき天板も滑らかで凹凸がない。
「これは?」
「食器洗い機」
それもまたシンクの隣に埋め込まれるように作りつけられていたので、実玖には一見してそうと分からなかったようだ。
「このへん一式、ドイツから輸入してるから故障するとちょっと面倒でね。規格が日本製品とは違うし、部品の取り寄せにも時間がかかる。だから定期的にメンテ業者に入ってもらってる」
「ああ、だからこの高さなんだ。俺が今住んでるウイークリー、日本女性の身長に合わせているのか、低いんですよね」
「毎日使うには不便だな」
「そうなんですよ。食器洗い機もついてないし、洗い物するのにも腰を屈めないといけなくて」そこまで言って実玖はハッとした。「管理人室のキッチンは日本製だったりします?」
「ははっ」央司が笑う。「確かシンクはひとつしかないタイプだけど、それ以外は同じだよ。オーブンも食洗機もある」
「よかった」
「自分で料理するんだ?」
「ええ、まあ」実玖は少し照れたように頬を赤くする。「そんなにすごいものは作れないけど、毎回外食するのはもったいないし」
「得意料理は?」
「だからそんな凝ったものは作れないですって。……最近は肉じゃがとか、親子丼とか、和食ばかり作ってますね。日本の食材が安いのが嬉しくて」
「久々の日本を満喫してるわけか」
「そんなところです」
実玖は央司に同じ問いかけを返そうとして、やめた。どこもかしこもモデルルームが如くに新品同様のキッチンは、掃除が行き届いているというよりは、使われている形跡がないように見える。その視線を察したのか、央司が言った。
「コーヒー、飲む?」
「えっ」
「お察しの通り、僕が使ってるのはこれだけ」
央司がトントンと調理台の天板を叩いた。そこにはコーヒーメーカーが設置されていて、何ひとつ置かれていない調理台で唯一存在感を示している。
「いえ、結構です。俺、ミルクたっぷりじゃないと飲めないんで」
「そうか」実玖の想像通り、牛乳も生クリームも買い置きなどしていない。「ごめん、用意しておくよ」
「そんな、謝るようなことじゃ……」
「僕も前から気になってたんだ。この、カプチーノボタンがね」
コーヒーメーカーにはいくつかのボタンがついていて、エスプレッソもカフェオレもカプチーノも淹れられるようだった。
「だったら、明日」
「ん?」
「明日こちらに来るとき、買ってきます、牛乳」
「ははっ。了解。じゃあ、引っ越しが済んだらお茶会をしよう」
「ふふ」
機嫌のいい央司につられるように実玖も笑った。央司がこんな風に上機嫌を隠さないのは極めて珍しいのだが、当然、実玖には「普段の央司」のことなど知る由もない。
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