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第17話

朝起きたら枕元に着替えが用意されていた。 「手伝いましょうか」 「おかまいなく」 朝食を運んできた藤代の申し出を丁重に辞退し、木綿の浴衣に袖を通す。 「お若いのに和装に慣れてるなんて珍しいですね」 「実家でよく着てたんです」 凛と背筋を伸ばし、手際よく帯を締める。 濃紺の地に麻の葉を漉いた浴衣は見るからに涼しげで、端正な容姿にしっくり馴染む。 和柄には一個一個意味がある。 麻の葉は菱形を幾何学的に組み合わせた紋様で、嬰児の産着によく用いられた。植物の麻は生命力が強く、手をかけなくても真っ直ぐ伸びる。故に無病息災、長寿を祈願する魔除けのお守りにされてきたのだ。 全部祖母から教わった知識だ。 朝食をとり佐沼邸をでる。時刻は午前六時過ぎ、理一はまだ高鼾をかいてる頃か。 アイツとは数日間口を利いてない。向こうが何か話したそうな素振りをしても徹底的に無視をした。大人げない自覚はあれど、日和る気はさらさらない。 朝一で向かったのは村の入口、道祖神がおわす場所。夫婦一対の石仏を改めて観察し、変化の有無を調べる。 「特になし……か」 落胆はせずスマホを掲げ、前もってインストールしておいた震度計アプリを起動。 先日から地震の発生頻度が上がった。 体感震度は三レベルだが、ほぼ三時間刻みで相次ぐのがひっかかる。 試しに数えてみた所、昨日は二十四時間内に九回地震があった。三の倍数は九だ。 中国において、数字の九は永遠の一歩手前をさす。 九の読み方が永遠を意味する|久《ジュウ》と同じ事に加え、偶数を陰数、奇数を陽数として陽数が重なる日を祝うならわしとも無関係ではあるまい。香港の租借期間が百に一年足りない九十九年に定められたのは、それが永遠に等しい時間を意味するからだ。 おきゅうさまが地震を引き起こしてるなら、九の数に意味があるのか。 道祖神を境に見立て、あちらとこちらに五円玉をおく……のはやめ、一円玉に変更。深い意味はない。しいていうなら、実験に使うのが惜しくなった。 三十分後、一円玉がかすかに震えて移動を始める。手前の硬貨は微動だにしない。 無言で液晶を見下ろし、赤い波形のブレを確認する。 アプリで計測した所震度は4.0、昨日よりでかい。というか、一日ごとにでかくなってる。 このまま地震が続けば土砂崩れの再発を招きかねない。雨でも降れば最悪の状況だ。 のたのた這い進んでいた一円玉が止まり、不気味な静寂が積もりゆく。 「やっぱりおるんか」 其処に。 底深くに。 「ひみずのむらはひをみずに ひみずのやまはひをみずに きゅうのいずみにわきいずる きゅうせんさまがわきいずる」 九の泉。九番目の泉。其処におきゅうさまがいるのか。 「きゅうのいずみのそこふかく じむしのじごくがそこにある きゅうのいずみのそこふかく ちみもうりょうがわきいずる」 扁額には「九泉之社」と記されていた。間違いない、あそこが九番目の泉の跡地。 が、足を運んでもおきゅうさまはいなかった。 土砂崩れと同時に野に放たれてしまったのか、既に手遅れなのか。社を始点に枯れた地下水脈を移動してるのか、この地震はその為か。 ほうっておけば、日水村はじき滅ぶ。 いらだたしげに舌を打ち、脳裏に居座る顔を追い出す。次いで浴衣の袂から五色の組紐を出し、道祖神の周囲に巡らす。 即席の結界の完成。 気休め程度のまじないでもしないよりは断然マシだ、上手くいけばおきゅうさまを捕まえられるかもしれない。 ミミズさながらのたくる組紐に手首の痣を連想し、胃の腑を絞るような不快感がこみ上げる。 物事を深く考えない理一には誤解を与えたが、緊縛目的で持参したと思われるのは心外だ。 逃げるようにその場を去りひたすら歩く。 佐沼邸に直帰してもよかったが、気が変わった。藤代の母から情報を聞き出したい、今の時間帯は一人で家にいるはず。 「ごめんください」 なだらかな坂道の半ばにある、軒先に大根を吊るした民家の庭先に入っていく。案の定、老婆は縁側に座っていた。近くの地面には米が撒かれ、雀がそれを啄む。 「先日は突然失礼しました、東京から来た茶倉と申します。お時間がございましたら、詳しくお話聞かせてもらえませんか」 無反応。さらに詰める。 「例のわらべ唄、大変興味深かったです。日水村の歴史が唄われてるんですね。おきゅうさまは本当に実在したんでしょうか?清美さん……佐沼家のお嫁さんは、夫の事故がおきゅうさまの祟りじゃないかと疑ってます。あなたもそうおもわれますか?日水山には本当に人食いの化け物がいたんですか。あなた方の先祖は祟り神に転じた化け物を恐れて祀ったんじゃないですか。社の前身は牢屋、ケガレの集積地。だからこそ祀り浄める必要があった。日水山が忌み地と呼ばれる理由がよくわかりました、この村の方たちは酷く信心深いし十分ありえる話だと個人的には」 「おぉ……」 老婆の目が極限までひん剥かれる。 「お許しくだされおきゅうさま!」 地面で戯れていた雀が飛び立ち、空の彼方へ逃げていく。 「何卒何卒ばちを当てるのはおやめくだされ、連れ合いに先立たれ数十年このヒミズの地で母娘ふたり細々生きてきました、佐沼の御大へのご恩は忘れもしません、仕方なかったとです。後生です、娘だけは見逃してくだせェ」 勢い余って転げ落ち、手をさしのべた練に「ひっ」と息を呑んで土下座する。 「あの子だけは助けてくだせえ、この婆を代わりに連れてってくだせえ」 震える手を合わせ拝み伏す。 ガツンガツン、固い地面に額を打ち付ける。 「なんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶ」 振り返る。誰もいない。今ここにいるのは練と老婆だけ。 なら、老婆が恐れているのは。 練が踏んだ地面に影が落ちる。長く長く伸びた巨大な影が、練と老婆をすっぽり包み込む。 前もこれと同じ事があった。 四季折々の庭木が生い茂る実家の庭、遊び友達だった少女の幽霊が怯えた表情で練の背後を凝視し、言った。 『練ちゃんの後ろが怖い』 『ほかのおともだちも怖がってどっか行っちゃった。練ちゃんと一緒にいたら、練ちゃんがおんぶしてるおばけに食べられちゃうって』 耳鳴りがする。 頭が痛む。 後ろに何が見えると聞く練に、少女は答えた。 『にょろにょろ』 鼓動が一際強く打ち、体内にどす黒い瘴気が渦巻く。 愕然と立ち竦む練の足元では、相変わらず老婆が這い蹲り、震え声で念仏を唱えていた。 「世も末じゃ日水村の終わりじゃ、おきゅうさまが野に放たれた」 ああさよか。 アンタには見えるんやな。 「お許しくだされ、お助けくだされ」 恐怖と絶望に染まる瞳。 極大の畏怖と嫌悪に歪む表情。 その全てが自分を突き刺し、茶倉練の正体が醜く汚らわしい異形の化け物だと思い知らせる。 初対面にもかかわらず、おきゅうさまの昔話を聞けた理由が腑に落ちた。 同じ匂いがしたのだ。 猛烈な吐き気と眩暈に襲われ、振り返りもせず逃げ出す。 「なんまんだぶなんまんだぶ」 強迫的な念仏がどこまでもどこまでも追いかけてくる。振り切るべく速度を上げ、よろめく。 まだ早朝なのに蝉がうるさい。頭が割れそうに痛んで、辛い記憶が甦る。 慣らしが行われた穴蔵。 真っ暗な地下牢。 五色の組紐を張り巡らした結界の中心、着物をしどけなくはだけて倒れた練を蔑み、翌朝迎えに来た祖母が嘆く。 『また漏らしたのか。下の緩い子だね』 週一丸一晩凌辱され、股関節と括約筋が馬鹿になっていたのに。 木に手を付いて呼吸を整える最中、自転車の車輪が軋む音がした。 「熱中症か」 「ほっとけ。勤務時間外やろ、散歩か」 沖田だ。まだ交番は開いてないはず。 「ちょっと前大きめの地震があったろ?一人暮らしの爺さん婆さんが心配で、自発的に回ってたんだよ」 「ご苦労さんやね」 「送ってこうか」 「去ね」 親切ごかし伸びてきた手を振り払い、虚勢を張って歩き出す。瞼の裏にチラ付くキスシーンが不愉快だ。 立ち去り難げな沖田を睨み、牽制する。 「あんなド淫乱お前にくれたる。穴兄弟は願い下げじゃ」 「勘違いするな、アレは単なる当て付けだ。俺はノンケでそっちの趣味ないし、後で平謝りされたよ」 「知っとる」 「じゃあなんで」 「許すのはまた別や」 心底呆れた沖田が自転車のハンドルを握り、駐在所へ帰っていく。 「昼頃清美さん文彦さんの様子を見に寄る。頼りない相方によろしくな」 朝早いというのに陽射しは強さを増す一方で、両目に夥しい汗が流れ込む。 老婆の念仏が鼓膜にこびり付いて離れず、金属質の耳鳴りが高まりゆく。 地面を踏み締める足がよろけ、縺れ、躓く。 影を見るのが怖い。 人の形を保ってる自信がない。 さきほど庭に落ちた影は蠢いてなかったか? 今もまだ浸蝕が進んでいたら。 化け物が皮膚を食い破り、出てこようとしていたら。 地面に縫い付けられた影を踏みにじり、できるだけ見ないようにして進む。 俺はホンマに人間なんか? わからん。 ホンマは化け物ちゃうんか。 せやったら、そのうち人が喰いとうなるんか。 誰かを襲いとうなるんか。 練の予想が正しければ、その誰かとは彼の一番近くにいる人物に違いない。 正直に言えば、震度計アプリに頼らなくても地震の予知は可能だった。地震が近くなると中の化け物が暴れ出すのだ。 今は霊力で押さえ込んでるが、一瞬でも気を抜いて競り負けたら……。 手のひらに人と書いて飲み込む。 気休め程度のまじないでもしないよりはマシと信じ、口を覆ってえずく。 「けはっ、」 ずっと疑問に思っていたことがある。 内心疑いながら、忌まわしすぎて口に出すのを避けていたこと。 祖母曰く、母は儀式に耐えかね逃げ出した。その後父と結ばれ、すぐに練を身ごもった。 いくらなんでも早すぎる。 計算が合わなくないか。 俺、ホンマにおとんの子なんか? 化け物と番うて孕んだこの体は、人の肉で出来とるんか。 実家の地下牢で飼われていた化け物。祖母が祀るきゅうせん様。自分の半分が最初から化け物で、種親に犯されていたのなら……。 『どうりで相性が良いわけじゃ』 無理だ。 限界だ。 想像するだけで吐きそうだ。 そもそも母は、祖母はどうなのだ? 男が短命な家系だとして、婿養子も短命なのは不自然じゃないか。茶倉の一族は何重にも近親相姦の禁忌を犯し、異能の血を煮詰めてきたんじゃないか。 手のひらに指で人としるし、何遍もくりかえし飲む。 「かふ」 俺は人。人。人。 懸命に自分に言い聞かせ、立派な数寄屋門をくぐり、土間で靴を脱いで部屋に引っ込む。 それからどうすごしたか覚えてない。気付けば昼になり、藤代が昼食を運んできた。 祖母の好物の筑前煮が小鉢に盛り付けられていた。理一の好物の鮎の塩焼きもある。 一旦取り上げた箸をおき、手付かずで返す。 料理が喉を通らない。咀嚼するのも億劫だ。頭を冷やそうと襖を開け、あてどなく徘徊する。 日本家屋はどこもかしこも暗くて気が滅入る。そこはかとなく実家に似ている気がして心が休まらない。 前方から危なっかしい足取りの理一が歩いてきた。 灰色地に青海波を染めた浴衣を羽織り、食べ終えたお盆を手に持っている。台所に返しに行く途中らしい。 なあ理一、お前には俺がどない見える? 繰り返し「人」と刻み付けた手をギュッと握り、なるべく自然に開いてすれ違い、離れていく。 一瞬垣間見えた横顔は唇を引き結び、意固地に突っ張っていた。 自分が傷付いた顔をしてないことを、祈る。 あれだけ好き勝手にもてあそんでおいて、自己憐憫に浸る資格などない。呼び止めるなど論外。 口を利かず目を合わせず、無視し続けてればじき折れる。 理一は東京に逃げ帰り、TSSを去り、それで全部おしまいだ。 居座り続けるなら辞めさせる。 腐れた縁は切らなあかん。 心の中で呟いた矢先、目の前を何かが過ぎった。先日見かけた女の子の生霊。 「待て!」 反射的に下駄を突っかけ、百日紅が満開の庭を渡り、隅の土蔵へ駆け込む。 女の子の幻は鉄扉をすり抜け消滅し、透明な静寂だけが降り積もる。 「ここにおるんか」 試しに声をかけるも返事はない。 埃っぽい暗闇の奥で物音が立ち、ほっそりした影が動く。 「茶倉さん?」 「清美さん、何してるんですか」 先客はたおやかな柳腰の未亡人。蔵の中を見回し、途方に暮れた様子で呟く。 「子どもの泣き声がしたような気がして見に来たんです」 「部屋から随分離れてますけど」 「そうね、聞こえるはずないわよね。でも導かれたの。部屋で横になってたらトトトッて足音がして、ここに」 「鬼ごっこみたいですね」 「村に子どもなんかいないのに一体誰が……」 土蔵には葛籠や長持や文机、箪笥や鏡台がおさめられていた。梯子で行ける二階は闇に沈んでよく見えない。太い梁や柱には所々蜘蛛の巣が張っている。 「それ、見事ですね」 茶倉が顎をしゃくった方には、真っ赤な深紅の打掛が黒漆の衣桁に掛けられていた。清美がおくれ毛をかき上げ、恥ずかしそうに俯く。 「お色直しで着た打掛です。尚人さんが贔屓の呉服屋さんで仕立ててくれたの、私はいいって言ったのに」 「何故?」 「後妻ですし、年も年ですし」 「綺麗ですよ」 衣桁の前に立ち、絹の打掛の片袖を手の甲でさする。生地に染め抜かれているのは、円が交錯する七宝繋ぎの伝統紋様だ。 「尚人氏は本当に貴女を愛してたんですね」 「え?」 「この和柄は七宝繋ぎといって、結婚祝いによく贈られました。多くの輪が四方に広がる事からしほうがしっぽうに転じたといわれてます。ちなみに七宝は仏教で金、銀、珊瑚、しゃこ、水晶、瑪瑙、瑠璃をさします。永遠の象徴の円が連鎖する紋様には、繁栄・円満・調和の願いが込められてるんだとか。欲張りですよね」 「繁栄・円満・調和」 鸚鵡返しに返す清美に向き直り、完璧な笑顔で結ぶ。 「豊穣な人間関係を祈る、大変縁起の良い柄です。貴女が早く村に馴染めるように選んだんじゃないでしょうか」 刹那、未亡人の頬を大粒の涙が滑り落ちた。 「ごめんなさい……知らなくて」 誰に謝ってるかは問わず、浴衣の袖を摘まんで拭いてやる。 「こちらこそ、ハンカチがなくてすいません。背広に入れっぱなしでした」 どちらからともなく吹き出し、長持に腰掛けて話に耽る。 「具合が悪くて休んでると藤代さんにうかがいましたが」 「しばらく寝てたら良くなりました。疲れがたまってたみたい」 「無理なさらず」 「そういうわけにもいきません、色々手続きもございますし」 「香典返しや保険金受理の?」 「茶倉さんは私が車に細工したとお疑いなんですか」 「少しは」 人さし指と親指で幅を示すや、清美の唇が緩む。 「夫婦仲が気になるなら藤代さんや村の人たちに聞いてください、自分の犯罪を隠す為におきゅうさまの祟りをでっちあげたなんてお考えならお考えなら二時間サスペンスドラマの見過ぎですよ」 「そういうのはむしろ助手が好きな分野ですね」 「烏丸さんとは喧嘩中?」 「わかりますか」 「あれだけギスギスしてれば……廊下やお庭ですれ違っても挨拶されませんし」 「よく見てらっしゃる。それとも藤代さんのご注進でしょうか」 「家政婦は見ているものですわ。原因は存じ上げませんが、早い所仲直りした方がよろしいですわよ。烏丸さんもお食事が喉を通らないみたいです」 「昼飯たいらげてましたよ。鮎の塩焼きに至っては小骨ごとバリボリ噛み砕いたんじゃないですか、ちまちまとるの面倒だって毎度ぼやいてますし」 「よく見てますね」 「……別に」 「茶倉さん、ご出身は関西?」 「まあ」 「やっぱり。最初にお会いした時一瞬だけ関西弁がでましたよね、それで。銀座で働いてた時、色んな地方のお客さんとお会いしたんで聞き分けるのは得意なんです。私の前じゃ素で結構ですよ」 「ほなお言葉に甘えて。東京弁は肩こります」 蔵の中に並んで座り、調査の成果を報告する。清美も舅が口ずさむ、不気味なわらべ歌を聞いていた。 「あの歌が事実だなんて俄かには信じられません。日水山に九番目の泉が湧いてたんですか」 「社の前身は生贄を捕らえた牢屋やないですかね。多分」 村人が子供を誘拐・監禁している可能性に関しては伏せた。 「土砂崩れがきっかけでおきゅうさまが野に放たれたんなら、遠からず日水村は大地震に襲われるかもしれません」 「そんな」 「現に日数と震度が比例してます。今日は4、明日は5、明後日は6かもしれない。一週間以内に埋まりますよ、したら全滅です」 練がため息を吐く。 「頃合いとちゃいますか?もうじゅうぶん義理立てしはったでしょ」 「……」 「祟りで村が滅ぶ前に引っ越してください」 「屋敷を捨てろと?藤代さんや村の人たち、沖田さんを見殺しにしろとおっしゃるんですか」 「所詮他人です」 「私は佐沼の嫁、尚人の妻。喪明けを待たず一人で逃げ出す訳にまいりません」 「アンタの心はよそにある。喪服を脱いだかて誰も責めん」 「な」 「三年前、結婚当時の尚人は確かにアンタを愛してた。でも今は?あっちこっち車乗り回して、めったに帰ってこうへんかったやんけ」 「……仲が冷え始めてたのは認めます」 「原因は」 「あの人は子どもを欲しがってました。だから後妻を入れたんです」 「なるほど」 「もっと若い子を選べばよかったのに」 「事業の失敗にあせってたんとちゃいますか。業者にも借金したはず。尚人が寄り付かんあいだ、どでかい屋敷にひとりぽっちのアンタを支えたんは誰や」 「やめてください」 「勤務時間外に門の前掃き掃除して、駐在所閉めてからもちょくちょく覗きに来て、台風ン時はどしゃ降りん中走ってくるお人好し」 「やめて!!」 清美が耳を塞いで叫び、降参したようにゆるゆる手を離す。 「……浮気はしてません」 蚊の鳴くような声で認める。 「恋しとるだけか。悪いこと言わん、駆け落ちせえ。アンタらどない見たって両片想い、いや、両想いや。家も舅も村も捨てて、手ェ取り合ってトンズラこいたらええやん」 「私は人妻で」 「後家やん」 「沖田さんには駐在のお仕事が」 「コンビニもファミレスもネカフェもない、辺鄙な田舎に飛ばされてやさぐれとるおまわりを救い出すチャンスやで」 「沖田さんはそんな人じゃありません、村の事を一番に考えてくれてます」 「一番はアンタやアンタ、俺達が居候するて聞いた時のリアクション思い出せ。アイツの頭はアンタで一杯、村人なんて二の次三の次や」 頑固な清美に辟易し、話を打ち切ろうと腰を上げ…… 「茶倉さんの一番は何です?」 同じく長持から腰を浮かした清美が、胸元で手を握りこんで糾弾する。 「私の依頼より気にかかる事があるんですか?失礼ですが、調査に私情が入りすぎじゃないでしょうか」 「アンタに金積まれたからはるばる長野くんだりまで出向いてきたんやけど」 「危ないから日水山の社跡には行かないでってお願いしたじゃありませんか、また土砂崩れが起きたらどうやって責任とるんですか」 「真実を知る為や」 「ふたりも続けて大事な人に死なれたくありません!」 清美は心労が嵩みナーバスになっていた。無理もない、夫が死んで間もないのだ。 練の独断専行が祟り、村に被害を及ぼすのは本末転倒。 また土砂崩れが起きでもしたら、想い人の駐在が危険な現場に駆り出される。 「村が埋まらへんか心配?どのみち地震で」 「帰って」 「あ?」 「今までご苦労様でした。依頼は終了です」 「ちょい待ち」 「報酬の残りは必要経費を含め、後日口座に振り込んでおきます」 きっぱり言いきり、血相変えて扉を目指す。茶倉に聞いた地震の話を村中にふれ回り、退去を促す算段なのだ。 まず真っ先に駐在に会いに行こうとした清美の腕を、練が強く掴む。 「離してください!」 甲高い抗議を一蹴、片手で打掛を取り払い下に敷き、その上に押し倒す。 「ぁっ、いや、ぁあっ」 乱暴な手付きで胸を揉みしだき、肩から落ちた喪服をさらにずり下ろす。仰け反るうなじにキスし、生白い首元に唇を滑らし、鎖骨のふくらみに吸い付く。 「あッ、ぁッ、あぁんッ」 悲鳴が次第に弱まり、濡れた喘ぎ声に取って代わる。めくれた裾の合間に手をもぐらせ、肉感的な太腿をなでまわし、反対の手で乳房を捏ね回す。赤く熟れた乳首を摘まんで引っ張り、下着の上から割れ目をなぞり、いよいよもって下着を剥ぐ。 「人を呼びますよ!」 「屋敷は離れとるで。都合よく来るヤツおらんやろ」 夫に贈られた打掛の褥に組み敷かれ、怒りと屈辱に顔が歪む。だがすぐ意地悪な指遣いで思考が散らされ、欲情を持て余し火照った体が踊りだす。 「俺とおきゅうさまは切っても切れへん腐れ縁なんじゃ、おとなしゅう帰れるか」 「あッ、あッ、ぁあッ、やっ」 甘美にとろけた表情。潤うまたぐら。本気で抗えば逃げ出せたが、男の魅了が興ざめなまねを許さない。 「あッ、もっと深くッ、強くッ」 喪服の黒と打掛の赤が混ざり合い、閨の褥に変貌する。仰け反り跳ね回る肢体を幾筋も汗が伝い、両目から散った涙が化粧を溶かす。 「やっ、ィく、沖田さん!」 女陰のぬかるみが立てる音が響き渡り、青年の剛直を深く深く咥えこむ。 理一が扉を開けた。

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