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第16話

日水村に滞在し五日が経った。 茶倉とは冷戦状態に突入したまま、いたずらに時間だけが過ぎていく。 「俺の馬鹿……」 あれから猛烈に反省した、主に沖田さんを巻き込んじまった事に対して。 田んぼにどぼんした後、沖田さんは自転車を引き、俺を佐沼邸まで送ってくれた。 『ごめんなさい』 恥ずかしくてまともに顔が見れない。俯いて詫びる俺に対し、沖田さんはがりがり頭をかいた。 『痴話喧嘩か』 『そういうんじゃないです』 『付き合ってるんだろ』 『違います』 『はあ……』 特大のため息。 『当て付けに使われたのはムカツクが、二度としないと誓うなら不問に処す』 意外だった。 『変態て罵らないんすか』 『ゲイは変態じゃねえだろ。俺的には女が恋愛対象じゃなくて安心したし』 やっぱいい人。回れ右して去ってく背中に頭を下げる。 『風邪ひくなよ』 『へくちんっ』 言うまでもなく、清美さん藤代さんは泥まみれで帰宅した居候に血相変えた。 茶倉に遅れて敷居を跨いだ俺も根堀り葉掘り詮索されたが、「帰り道を横切ったカエルにびびって田んぼに落ちた」の一点張りで、切り抜けるのに辛くも成功する。 クソ上司に至っちゃ助手に弁明を丸投げし、完全スルーを決め込みやがった。 「はあ……」 事態はまるで進展してねえ。 あの日以来茶倉にゃガン無視されてる。お互いの部屋を行き来することもねえし、廊下ですれ違ってもそっぽをむく。飯も一緒にとらない。負けじとシカトこいてるからおあいこが、ぶっちゃけ虚しい。 「ごちそうさんでした」 ぱちんと手を合わせ、空っぽのお椀を見下ろす。 一人で食うめしは味けない。行きのグリーン車で食った山賊焼き弁当が懐かしい。 襖を開け廊下に出る。お盆を台所に返しに行く途中、向こうの角を曲がり天敵が歩いてきた。 床板が軋む音がやけに大きく響く。 「……」 「……」 むすっと黙ったまますれ違い、離れてく。 スーツの泥汚れがとうとうおちなかったと見え、茶倉は濃紺の地に白い麻の葉模様を染めた、粋な浴衣に着替えていた。文彦さんのお下がりらしい。悔しいがめちゃくちゃ似合ってる。もとが塩顔イケメンだから和服と相性抜群なのだ。実家じゃ着物で過ごしてたと前に聞いたことがある。 どうでもいいが、俺も和装にイメチェンした。 田んぼに落ちた時着てた服は青年団の人ので物で元の服はびしょ濡れ。借り物に関しちゃ元通り洗って返却したが、「きっとお似合いになりますよ」「文彦さんや尚人さんのお下がりが箪笥の肥やしになってるんです」てな具合に清美さん藤代さんに勧められ、滞在中は浴衣で過ごす事にしたのだ。 俺が着てるのは灰色地に扇が連なる青海波を染めた浴衣で、風通しが良い。上等な生地で仕立ててあるんで、肌触りもすこぶる滑らか。着付けには藤代さんの手を借りた。 「お世話かけます」 「とんでもない。尚人さんがお小さい頃はよく着替えを手伝ってたんですよ、懐かしい」 「へえ。尚人さんてどんな子供だったんすか」 「落ち着きがなくて大変でしたわ、ちっともじっとしてないの。お母さまを早くに亡くされたせいかとても甘えん坊で、十歳まで添い寝してあげてました」 「なんていうか、いかにも金持ちのお坊ちゃんて感じですね」 「優しい所もあるんですよ。家事の最中にこっそり忍び寄って折り紙で折った花や鶴をくれたり、亡きお母さまの代わりに母の日の似顔絵を描いて贈ってくださったり。土蔵でかくれんぼしたこともありました」 尚人さんの子供時代を語る口調は弾んでいた。藤代さんは七十代、尚人さんは五十代。およそニ十歳の開きがあるのを踏まえりゃ、世話焼きな姉と弟……いや、若い母親と息子みたいな関係だったのかもしれねえ。 最初は着慣れずこそばゆかった浴衣が馴染むに従い、村人たちともうちとけてきた。 今じゃ散歩の行き帰りに気安くお喋りし、序でに野菜をもらい、日課のようにゴンをもふるのを楽しみにしてる。青年団への喝が利いたのか、いやがらせもぱったり止んだ。嵐の前の静けさに似た凪の日々。 俺は茶倉がわからない。 アイツが今考えてる事が全然わかんねえし、十年間ずっと独り相撲してきたんじゃねえか、不安でたまらない。 『仮にそうでも、他人に関係ない』 レイプ紛いの行為を強制されたショックより、他人行儀にされた動揺の方がでかいなんてどうかしてる。 「藤代さん……はいねえか。おいときますよっと」 暖簾を分けてくぐり、広い台所を見渡す。 お盆をテーブルに置いて戻り際、不気味なわらべ唄が聞こえてきた。どこかで文彦さんが歌ってるのだ。 「ひみずのむらはひをみずに ひみずのやまはひをみずに きゅうのいずみにわきいずる きゅうせんさまがわきいずる」 ぞくりとした。 茶倉は日水村の人たちが、おきゅうさまに生贄を捧げてるんじゃないかマジで疑ってる。 「きゅうのいずみのそこふかく じむしのじごくがそこにある きゅうのいずみのそこふかく ちみもうりょうがわきいずる」 野菜を分けてくれた菊池の爺ちゃん婆ちゃん、俺に喫えない煙草を勧めてくる青年団のおっさんたち、もはや心の友といえる癒し枠・桑原さんちのゴン。 全部嘘だったら? だまされていたら? 茶倉の読みが正しかったら、どうしたらいい。 「どうするもこうするも決まってんだろ」 台所を出た足である場所を目指していた所、中庭を挟んだ反対側の縁側を歩く、藤代さんを見かけた。 文彦さんに昼食を運んでんのか、お盆におにぎりとからあげ、たこさんウィンナーに卵焼きがのっかってた。 「藤代さーんごちそうさまでーす、お皿台所においときましたー」 びくりと立ち止まり、ふくよかな顔にぎこちない笑みを浮かべる。 「ご丁寧にありがとうございます。お部屋においといてくださればあとで下げにいきますのに」 「居候の分際でそこまで甘えられませんて」 「助かりますわ」 「清美さんは?」 「少々具合が優れないとかで、お部屋で横になっておいでです」 「心配ですね。そだ、生前尚人さんが使ってた部屋見てもいいっすか」 「調べものですか」 「おきゅうさまの件でちょっと」 奥さんに許可を乞うべきか、もしくは日を改め出直すべきか迷うも、思い立ったら即行動が俺のポリシー。 藤代さんは笑顔で快諾してくれた。 「かまいませんよ、奥様からも烏丸さんたちの好きにさせるよう承っておりますし」 「私物はそのまま?」 「手を付けてません。でも過分な期待はなさらないほうがよろしいかと。烏丸さんたちが来られる前に私どもでも一応調べてはみたのですが、収穫はございませんでした」 「当たって砕けてきますよ」 「ご検討をお祈りします」 中庭越しに会釈して別れ、廊下を真っ直ぐ行く。 「文彦さん、相当なお子様舌だな」 俺に出された飯と献立が違った。注文の多い主人の為に、包丁を器用に動かし、ウインナーに切り込みを入れる藤代さんを思い描いて和む。 さて、負けず劣らず偏食家の茶倉はお残しせず食ったかな。昼のおかずの一品はアイツの嫌いな筑前煮……。 「どうでもいいじゃん!」 やべ、また電波ジャックされてた。気付けば茶倉のこと考えてる自分にちょっと引く。 てか尚人さんの部屋どこ?聞きそびれた。それが目当てで藤代さん呼び止めたのに、アホすぎてへこむ。しかたねえ茶倉に……ざけんな死んでも頼るか。 ぷりぷり怒りながら角を曲がった瞬間、空気が変わる。 「!ッ、」 暗い廊下の先に子供が立っていた。 数日前に目撃した子だ。あの時と同じ灰色の着物を羽織り、目隠しをし、こっちをじっと見詰めてる。 「おきゅうさまの……」 背中を冷たい汗が伝っていく。 子供は身じろぎしない。 裸足で床を踏み締め、両手を無防備にたらし、隧道めいた闇の途上にただ突っ立ってる。 どことなく諦念と達観を帯びた、物寂しい佇まい。 「なんで目隠ししてんの?」 答えはない。 「よくちょこまか動き回れるな、コケたら怪我するぞ。死んでんなら大丈夫か?大丈夫ってこたねえか」 答えはない。 「藤代さんちから付けてきたの。マジで生贄の霊なの」 堰を切ったように質問し、一歩踏み出す。片足を乗せた床板がギッと軋み、緊張感が高まる。 「知ってんなら教えてくれ。茶倉が言ってることは本当なのか。この村じゃまだ生贄の儀式が続いてんのか。それを教えに来てくれたのか」 真実に近付く手がかりはこの子だけ。 と、急に駆け出した。伸ばした手があっけなく空振り、右から三番目の襖に吸い込まれてく。 「捕まえた!」 勢いよく襖を開け放ち、殺風景な書斎の光景に拍子抜け。案の定子供は消えてた。 「ったく、かくれんぼが得意なガキだぜ」 舌打ちし出る間際、書棚に詰め込まれたビジネス書が目にとまる。まさかと思い室内を見回し、確信を抱く。 「尚人さんの部屋」 でかい迷子を見かねて、案内してくれたのか? 尚人さんの部屋は生前のまま、故人の人柄が偲ばれた。 本棚におさまってるのは何をしたら成功するとか儲かるとかのビジネス書や自己啓発本が主、作者や出版社ごとに揃えるでもなくばらばらに突っ込まれてた。 続き物のシリーズすら一巻の次に六巻がきてるこだわりなさで、逆さまになった本も少なからずある。 机の上には最新型ノートパソコン、すぐ横の写真立てには清美さん尚人さんの結婚式の写真。 純白のベールをかぶり、マーメイドラインのウェディングドレスを纏った清美さんに薄幸の未亡人の面影はない。 「うーん」 きょうび重要なデータが入ってるのはパソコンの中と決まってる。 開け、閉める。開け、閉める。葛藤。 「さすがにまずいだろ覗き見は」 人様の、しかも死んだ人のパソコンを勝手に見んのはいかがなもんか。無害なタイトルのファイルをクリックしたらエロ画像で埋め尽くされたりしねえか。 五分ほど悩んだ末、パソコンを起ち上げる。ロックがかかってた。パスワードは不明。ドッと疲れた。再びパソコンを閉じ、机の前に立って部屋を見回す。 「日記とかありゃ謎がとけんのに」 木を隠すなら森の中理論で本棚に紛れてねえか期待、適当に抜き差ししてみる。俺ならベッドの下に隠すんだが……。 「ん?」 壁に掛かったカレンダーに目が吸い寄せられた。 主が死んだ月で止まってんのは不思議じゃねえが、二十九日……死亡したまさにその日に赤丸が付いてるのはなんで? とても嫌な胸騒ぎがする。覗き見がどうたら言ってる場合じゃねえ。 すぐさまパソコンを開け、思い付くさま候補を試してく。 本棚の乱雑な並びを見るに尚人さんはずぼらな性格、繊細さが欠如してると言っていい。そんな人がこったパスワードを設定するとは思えない。 名前。 遺体から回収後、机の引き出しに移された免許証記載の生年月日。 はずれ。 溜息を吐いた拍子に写真立てに目が行く。椅子から動かず手が届く位置。真っ先に目に入る場所。額縁をひったくり、写真右下に印刷された日付を打ち込む。 「ビンゴ!」 スタート画面起動。 一抹の後ろめたさを覚えながらマウスを操作、ファイルやメールをチェックしていく。どれも仕事関連だ。清美さんとやりとりしたものも少しある。 「土木業者宛の請求書に領収書、こっちは日水山の再開発計画書。おきゅうさまの名前は……ねえか」 まだだ。 諦めずグーグル画面にとび、検索履歴一覧を表示する。 「んだよこれ……」 続いて最新のブクマにとぶ。クリック。 リンク先の記事では、元誘拐犯の受刑者が連れ去りやすい子供の特徴を語っていた。 清美さん曰く、事故が起きる数か月前から尚人さんは街にでかけることが増えたらしい。二・三日帰ってこない事もざらだったそうだ。 震える手をキーボードにかざし、検索窓に「長野 誘拐 子供」と打ち込む。 記事が出た。 動悸。眩暈。気分が悪い。 一旦電源を切ってノートを閉じ、疑問符渦巻く頭で情報を整理する。 佐沼尚人が土砂崩れに巻き込まれた日に、同じ長野県内で小学生の誘拐事件が発生していた。 よろめく足取りで書斎を後にし、薄暗い廊下をただひたすら歩く。歩いて歩いて歩いて、サンダルを突っかけ庭に出る。 茶倉に、アイツに報告しなきゃ。俺一人じゃ手に余る。どこいった?部屋にはいなかった。 「茶倉!」 もどかしげに声を張り上げた瞬間、太陽が雲に遮られ空が陰り、燃え上がるように花を咲かす百日紅の下に子供が現れた。 目隠しに覆われた表情は相変わらず読み取れず、浮世離れした佇まいに背筋が寒くなる。 「連れてってくれんの」 首肯に続く緩やかな手招き。付いてこいの合図。小さく華奢な背中を追いかけ早歩きし、叫ぶ。 「誰なんだ」 無言。 「目隠しとれよ」 無言。 「おいってば」 無言。 「こっち向けったら」 無言。 濃紅色の百日紅が鮮やかに燃え立ち、よく練り上げた水飴のように粘る陽炎が此岸と彼岸の境をふやかす。 「名前位言えよ!」 唐突に立ち止まり、振り向く。 『|縣《あがた》』 不可思議な響きが鼓膜を打ち、焔と化した百日紅がざわめく。 「待てよ!」 だしぬけに駆け出す。弾かれたように追いかける。濃紅の花嵐に巻かれた縣の足は速く、あっというまに庭の隅の土蔵へと駆け込んでいく。 こんな所に本当に茶倉が? 観音開きの鉄扉に慎重に手をかけ押し開く。瞬きで暗闇に目を慣らし、だんだん浮かび上がってきた光景に凍り付く。 別人のように怖い顔をした茶倉が、喪服をはだけ啜り泣く清美さんを押し倒していた。

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