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第25話 『知らないのか』

 二つの影のうちのひとりはクオンだ。髪が黒いのですぐにわかる。  荷物を詰めており、帰り支度をしているのがわかった。もうひとりはそばで見ている。  朱色の髪だと言っていたが、朱には見えなかった。陽光が照らした髪は薄い金色のように映った。  二人が村に背を向けたので、グラハムは慌てて声をかけた。 「クオンくん!」  多少距離があったが、声が届いたのか、クオンが振り返る。グラハムは手を振った。二人に近寄ると、クオンは破顔した。 「グラハム先生。こんなところで会えるなんて」  人懐こい笑顔を向けられ、グラハムも自然と微笑む。そしてすぐに隣の男に目をやった。すると、すかさずクオンは紹介してくれた。 「先生、こいつはレヴィン。二か月前にレイトンに引っ越してきたんだ」  その彼は実に端整な顔をしていた。金色のように見えた髪は光の加減か、今は朱色に見えた。青い瞳は涼やかで、陶器のように美しい。  村娘が騒いでいた理由がよくわかる。  そして彼は間違いなく貴族だと思った。着衣の質の良さもさることながら、立ち姿が凛としている。  グラハムの知っている上流貴族たちは、一様に背中に筋が一本通っているかのように姿勢がいい。彼もそうだった。  クオンは続けて朱色の髪の彼に言った。 「レヴィン。グラハム先生はレイトンの街のお医者さんだ」  グラハムが「はじめまして」と会釈すると、彼も軽く頭を下げた。  医師は貴族の健康状態を診るのも仕事である。貴族の屋敷には定期的に伺っていた。レイトンの街には自分以外にもうひとり、老齢の医師がいる。自分とその医師とでレイトンの街の貴族の屋敷を回っていた。  朱色の髪の彼はクオンの紹介だけで、自らは名乗らなかった。家名がどこか知りたくて、グラハムは尋ねた。 「失礼ですが、どちらにお住まいですか」  貴族であれば当然、医師の役割も知っているはずだ。不躾な質問ではあったが、意図は組んでもらえると思った。  彼は逡巡したのちに言った。 「丘の上だ」 「!」  グラハムは驚いた。丘の上の屋敷がどういう館なのか知らないグラハムではない。  あの屋敷の先代を診ていたのは自分だ。年甲斐もなく大酒飲みの主人で、内臓を悪くして死んだ。今年の冬のことだ。  となれば、この朱色の髪の彼は、新たに宮廷から送られてきた人物だ。家令のモーリスとは旧知の仲である。新しい主人がどういう身分の者か聞いていた。  我が国の第六王子殿下だ。グラハムは震えあがった。  慌てて膝を折って非礼を詫びようとしたら、クオンが呑気な声を出した。 「先生、レヴィンは俺の友人なんだ。貴族だけど、気を遣わなくていいよ」  グラハムはぎょっとした。 (貴族⁉ 貴族どころの騒ぎじゃない! この御方は王族だ!)  心の中で叫んだが、クオンは平然としていた。グラハムは唾を飲んだ。 (王子殿下だと知らないのか)  グラハムがその高貴な人物を伺い見ると、青い瞳がスッと細められた。  殿下の視線が刺さる。    グラハムが何を言うのか注視しているかのようだった。

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